第2話 闇夜2(葵サイド)

 13時間前。

 

 暗い。鉄臭い。重苦しい。


 本来は存在しない場所に、存在してはいけない臭いが漂っている。

 開けた先にあるのは、デパートの地下の物販コーナー。所謂デパ地下だ。


 しかし、目の前に広がっているのは、赤く染まった世界。あと、逃げ惑う人間たちの発する悲鳴だ。金切り声が鼓膜に響く。


 日曜日ということもあって人が多い。やらないでもらいたいというのが本音だが、アクションを起こすにしろ平日にしろと文句の1つも言いたくなる。


 弦巻葵つるまきあおいは逃げ惑う人々に逆らう形で進む。歩みを進めようとするたびに人々の体がぶつかる。何度も続いて苛立ちが募る。


『総員配置に付きました』


 報告が入り、弦巻葵つるまきあおいは「了解」と答えて進む速度を速める。


 喧騒が止み、ようやく標的こと「吸血鬼」の姿が視界に入る。


 その名の通りに人血を啜る怪人。


 起源、行動、何処から現れるのか尽くが不明。唯一分かっていることは、遊び感覚で人殺しをする人類にとって天敵に等しい存在であること。


 所々に倒れている死体。胸焼けするほどに酷い血の臭いを放っているには物足りない。それから位置のずれた商品棚と納められていた商品が散乱している。


 その中心に聳える、死体の山。


 気分を害するほどの臭いはこれが原因だろう。


 買い物客、店員、騒動を聞きつけて現れたであろう警備員。性別も年齢も全てがバラバラ。


 立ち止まり、葵は左肩に担いでいた筒を開いて収めている吸血鬼殺しの長剣『逆鱗・烙蛇リベリオン・おろち』を取り出す。その音に気付いた吸血鬼が葵に目を向ける。手には死体があり、この状況でも血の味を楽しんでいる。


 グチュグチュという生々しい血を啜る音。どれほど聞き馴染みのある音でも、繰り返し繰り返し、それこそ毎日のように聞いていると嫌いになる。


 何か武装をしていないかを確認する。取りあえず頭から爪先まで一通り眺めたところ特に武装はしていないことが確認できた。


 西欧の男性を思わせる彫りの深い顔立ちにくすんだ短いブロンドと無精髭。吸血鬼特有の赤い瞳は陶酔の色に満ちている。服装は灰色のパーカーに黒のチノパン。確かに群衆に紛れられてしまえば一般人と見間違うのも無理はないだろう。


「さて、終わらせるぞ」


 烙蛇おろちを抜き、葵は飛び上がる。真後ろから銃撃でのバックアップが入る。確認した吸血鬼は死体の山から飛び降りて袖口からナイフを取り出す。刃渡り30センチぐらい。それを両手に装備した。


 葵は右一文字で仕掛けるが、刃が届く寸前で吸血鬼は後ろに下がって距離を取るや、すぐに移動を始める。真正面から挑んでくるつもりはないらしい。


 次にとるアクションを予想し、ホルスターに納めているハンドガン『逆鱗リベリオン・デストロイ』を取り出して四時の方向に発砲する。


 撃った弾は全部で5発。その内の1発が吸血鬼の腿を穿った。


 バランスを崩した吸血鬼は顔面から血の池に突っ込む。


「今だ‼」


 吸血鬼が行動不能になったところを見逃すはずもなくバックアップに回っていたグループが雨霰とアサルトライフル『逆鱗リベリオン・ビーハイブ』の弾丸を浴びせる。幾度も続く銃撃の音に合わせるように吸血鬼の体には穴が開き、衝撃によって手足が不規則に跳ねた。


「状況終了です」


 撃ち手の1人が葵に報告を入れる。他の隊員も既にことは終わったと感じているのか顔が緩んでいる。その中で葵の表情だけが緩んでいない。


「どうしましたか?」


「死体の数が気になってな」


 先ほど飛び乗った死体の山に目を向ける。


 エマージェンシーが入ったのが今から15分前。突入班がアクションに移った時間もほぼ同時刻。少しだけ剣を交えたからこそ言える話であるが、あの吸血鬼は下の下もいいところの力しか備えていないと断言できる。愚行としか言いようのない今回の事件を起こしていることからおつむも足りていないと断言していい。


 つまるところは、1人でこれだけ手際よく殺すことが出来たとは思えない。


 葵はデストロイを死体の山に2発撃ちこんだ。硝煙の臭いが鼻腔を刺激して不快だ。


「何をなさっているんですか⁉」


 横でこの光景を目撃した隊員が苦言を飛ばすが、無視。この場ではそのような言葉は、余計なものだ。


 判断が正しければ、結果はすぐに出る。


 直後に床一面を染めていた鮮血が急速に死体の山に収束していき、頂上が蠢く。その様子を他の5人は茫然と見ている。


「やっぱりな」


 推理が確信に変わった瞬間だ。葵はすぐに烙蛇おろちを霞に構え、姿を現しつつある吸血鬼に突撃を仕掛ける。


 しかし、もう少しで喉を貫くというところで切っ先を掴まれる。ギラギラと揺れる赤い瞳と目が合った。


 根元まで木材に打ち込まれた釘のようにピクリとも動かない。それもそのはずであるが。


 対峙している吸血鬼の姿を目にすれば、女一人の腕力で解決できる存在でないことは分かる。


 煌々と輝く狂気を内包した赤い瞳に剥き出しになった筋骨隆々の上半身。罅割れた体からは瞳と同じぐらいの赤が漏れている。口腔内に収まらずに伸びた犬歯は、体躯も合わせて鬼に見える。


「ちっ」と舌打ちすると葵は烙蛇おろちを手放して元の位置まで下がる。こうなる前に発見しておきたかっただけに、己の手際の悪さに苛立った。


「全員下れ」


 内心の焦りを隠すべく努めて冷静に命令を下す。だが、命令を実行に移す前に、吸血鬼が動いた。


 吸血鬼が左腕を振り上げる。それを目にした瞬間に葵は身を屈めた。


 風切り音。聞こえた直後に「パンッ」と耳障りな音が聞こえ、血飛沫が頬に跳ねた。


 悲鳴を上げる間もなく、自身が死んだ理由を知ることもなく隣にいた隊員が死んだ。本来は内に収まっているべき臓物がボトボトと床に落ちる。


「な…な…」


 そのあり得ざる光景を目にしてしまった残りの隊員たちはあっという間に恐慌状態に陥り、無意味にビーハイブを発射する。だが、強化された吸血鬼の肉体は押し寄せる弾丸を弾き飛ばしながらこちらに突撃してくる。


「散れ‼」


 起き上がると葵は恐慌状態にある隊員たちに命令を下し、商品棚の影に隠れる。とはいえ、吸血鬼と人間の身体能力には大きな乖離がある。


 よって、他の隊員たちは回避行動が間に合わず、1人が吸血鬼の体当たりに巻き込まれた。確認するまでもなく即死だ。


 前に向いていた吸血鬼の目が葵に向く。次のターゲットとして認識されたようだ。

 面倒な状況になった。葵は溜息をつきつつ自分の武装を頭の中で確認する。


 デストロイが2丁で弾丸は5発を使用済み。ただ、体表への狙撃は通用しないと考えた方が良い。もう1つは先ほど吸血鬼が使っていたナイフと同サイズのナイフ『逆鱗リベリオン・リッパー』が2つ。続けて行動パターンをトレースする。


 血力ティグス。吸血鬼全般が使うことの出来る力。見た目通りのパワー重視の姿。しかも、あの状態から更なるパンプアップが出来る。


 攻撃力は小さな災害と捉えても良いだろう。だが、あの状態になれば攻撃速度と行動速度は低下の一途を辿る。今の状態がバランスのいい姿だ。


 烙蛇おろちを回収するのは別に難しくない。だが、生き残っている隊員たちがこれ以上意味もなく殺されるのは忍びない。それに今の標的は自分だ。ここを逃せば残りのメンバーに移ることになる。


 未使用のデストロイを手に取って発射して吸血鬼を引き付ける。葵は距離を取りながらデストロイからリッパーに持ち替え、商品棚に身を隠す。


「Gaaaaaaaaaaaaaaa‼」


 声にならない叫びをあげながら吸血鬼は葵に迫る。


 当たれば砕ける。それは葵とて例外ではない。


 だから、ギリギリまで引き付ける。死の風切り音が近づいて、巻き込まれた物が壊れる音が聞こえる。背後にある瓶に罅が入る。


 立ち上がって葵は吸血鬼と面を合わせる。


 接触まで、あと少し。身に纏っているスーツに切れ目が生じて血が滲む。


 ―ここだ‼


 前に出る。攻撃に使う右手は余波に巻き込まれ、手から肩の辺りまで破れる。生じた傷の痛みに少し顔を顰める。捨て身の行動は功を奏して吸血鬼の後ろに回ることに成功する。


 後ろは確認するまでもなくがら空きだ。動きが止まると葵は吸血鬼の後頭部にリッパーを投擲する。続けてデストロイに持ち替え、心臓に向けて3発発射する。


 背中から唯一の核である心臓を穿たれた吸血鬼の動きが止まる。


 フラフラと数歩前に進み、倒れた体に葵はダメ押しの銃弾を撃ち込んだ。


                  ♥


「お疲れさまでした」


 烙蛇おろちに付着した血を拭いていると落ち着いた声音が聞こえ、顔を上げる。


 小紫甘楽こむらさきかんら。部下の1人で葵の右腕を務めている女性だ。偶然に葵が近くに居なければ一緒に突撃することになっていた。


「2体いるとは報告になかったね」


「あの状況では無理はないでしょう」


 不満を滲ませる葵を甘楽は窘め、コーヒーの入った紙コップを渡してくる。テイストは葵好みのミルクなしのノンシュガーだ。


 受け取って飲むと苦みと温かさが体に染みこんでくる。初夏であっても仕事終わりのコーヒーは体に良いものだ。


「愚痴の一言ぐらいはいいでしょ?」


「私になら構いませんよ」


 コーヒーを飲み終えると葵は立ち上がって周辺を見渡す。一言で表現するなら、台風の残した爪痕とでも言うべきか。


 整然と並んでいた商品棚は倒れて納めてあった商品は床に散らばっている。瓶などの割れ物は収まっていた商品の多くは割れて床を汚している。元が白のノラメントであるため手当たり次第にキャンバスに絵の具をぶちまけた図に見えなくもない。ただ、臭いは筆舌に尽くしがたいほどに酷い。


「2人は外で警戒中?」


「敵があのような状態でしたので。念には念をと」


 残りの部下たちとは明日まで顔を合わせることはないだろうなと思いながらコーヒーを飲み干す。一息ついて葵が口を開こうとしたところで甘楽かんらが先に口を開いた。


「私が残りますのでお休みください」


 本当のところはあまり疲れていないのだが、言ったところで聞いてはくれない。ここはお言葉に甘えておくことにしよう。


「何かあったらすぐに連絡を」


 言い残すと葵は出口に歩いた。

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