……猫のこと。
※注意。
こちらの短編はわたしの拙作「夜行逢鬼」の番外編です。
夜行逢鬼特有の専門用語はありません。ただの日常です。
時系列でいえばエピローグから数か月後の話。
全員成人です。
恋愛もの。甘々多め。苦手な方はご注意ください。
そして毎度のことながら、キャラ崩壊注意です。
〈神山〉
俺は
いま、猫カフェに来ている。
猫カフェとは、この世の猫が集いし至上の
そう、あくまで寄り道。
決して本気で癒されたくなったとかじゃない。
決してだ!
うんうんと何度もうなずいて、店の扉を開ける。
からんころん、と音が鳴って、店員が笑顔を振りまいて、
「いらっしゃいませー!」
と挨拶をしてくれる。
レトロチックな木造りと植物を積極的に使った装飾が特有の優しい雰囲気を醸し出していた。
何気にハードルの高さを感じていた俺だが、案外ちょろいな、と思ってテンションが弾んだ。
だが、そのときだ。
まさか、思うわけないだろう。
まさか、わかるわけもなかろう。
まさかのまさか。
俺だって、頭のなかで想像しなかったわけじゃない。
こういうの着てくれたらいいな、とかは何度だってある。
でも、それはあくまで妄想のなか。
現実で起こりえることじゃないからこそ、燃えるものがあって。
でも、やっぱり実現してしまうとそれ以上に燃えてしまって。
そんなジレンマに挟まれてしまった。
「アリス?」
「いらっしゃいませだにゃ……ご、しゅじん、サマ……」
かなりきわどい。
胸元なんか開いてるし、肩なんて丸出しだ。
そのうえ、猫耳だと?
そしてなにより欠かせないのが、語尾。
にゃーだぞにゃー。
さて。
「なに、やってんだ?」
*
そもそも、その猫カフェ──『ねこみみ』──の存在を知ったのは、青木さんに教えてもらったからだ。
「さて瞳也くん! 猫カフェって知ってるかい?」
行きつけのカフェで、声を弾ませて、身を乗り出す青木さん。
その日、俺は彼女に呼び出されてきたのだ。
「まあ、存在は知ってますけど」
「ぜひ! 行ってみる! べきだよ!」
わざわざアクセントを三つに分けて、青木さんはすすめてくれた。
だが、その押しつけがましいところが逆にプレッシャーになって、行く意欲がそがれた。
俺は適当にあしらって、話をさっさと終わらせようとした。
(その話のなかで、青木さん一推しの『ねこみみ』の名前が出て、俺はそれを憶えていたらしい。)
──で、まあなんやかんやあって話は終わったのだが。
別れ際、青木さんは俺の耳に口を寄せて、こうささやいた。
「ドSちゃん、よくそこに行ってるみたいだよ」
それを知ったときは、へえとしか思わなかった。
まあ、可愛いところがあるんだな、ぐらい。
冷血が服を着て歩いてるみたいなやつだが、可愛いものには意外と目がない。たまにアリスといっしょにぶらりと町中を歩いていると、散歩中の犬や野良猫に会う。
アリスが、その子らと目が合った瞬間、あいつは暴走する。
過呼吸を起こして、瞼を上下に思い切り広げて、胸元の服の布を握りしめる。
それはだいたい、触りたい触りたい触りたい、と頭のなかで脳死で唱えている時間だ。
最近、やっとそれを理解した俺は、
「お、可愛いですね。チワワですか? あ、トイプードル。すいません、間違えて。お名前は? へえ、チワワ? トイプードルなのにチワワって名前なんすね~。あ、触っていいですか?」
と散歩中の人に声をかけて、許可を得てアリスに触らせた。
猫には、
「にゃおー、にゃーにゃー。にゃにゃ? にゃ? にゃにゃにゃー、きしゃー!
(きみ、きゃわいいねー。触っていい? だめ? ええ、いいじゃーん。ひゃっほー!)」
と襲いかかる。
むろん顔は傷だらけである。
俺への被害が甚大であるのと、猫語をしゃべる俺への周りの冷たい視線があまりに痛いのと、そもそも野良猫は汚いという三つの点から、以来アリスには猫のおさわりは遠慮してもらっている。
だから、なのだと思った。
アリスが、猫を触れないという不満を解消するために、わざわざ猫カフェなるものへ通っているのだと思った。
とはいえ、スコフィールド邸から猫カフェのある都心まで多少時間がかかる。
往復する労力と、猫による癒し。
かけられたふたつの天秤。
そのどちらが傾くか、だ。
それで、アリスのなかの天秤は右に傾いたのだと思う。
で、まあ。
俺はどうなのだというと、少し街まで用事があり、それをすませた帰りだったのだ。
そこはどこにでもあるオフィスビルみたいなところで、二階に看板がさげられていた。
猫カフェ、『ねこみみ』。
シンプルな店名がいい。
そして見てみたまえ、あの猫たちを。
窓に並べられた写真には、猫、猫、猫、人、猫、人、人……。
いや、なんで人?
猫耳つけてるし。
…………あれか、もしかして猫耳つけて猫とのツーショットサービスがあるというのだろうか。
なるほど、それなら納得いく。
「よし、俺も撮ってもらおー」
そんな感じで、気軽に店へ寄った結果──。
*
「ご、ごごごごごご主人サマ、ゴ注文は、お、お、オ決マリデショウカ」
「そそそそ、そうですネ、え、えーと。それじゃ、この──ねこねこ肉球ケチャップメッセージつきオムライスを、お、お、おひとつ……」
「か、か、かかかかかカシコマリマシタ。ソレデハ、少々オ待チクダサイマセ」
きわどいメイド服姿で、アリスが立ち去っていく。
マジかよ背中の肌もばっちり見えてんじゃねえかクソ。
いやいやそれより。
どうしてこうなった。
俺は猫カフェにきたはずだ。
うん、間違いない。
だってあそこに猫が──猫じゃねえそれは猫耳メイドだバカ。
いや、でもそれならあそこに──、
ちげえそれも猫耳メイド(推定50~60)のおばさまだ。
さて、整理しよう。
看板はたしかに猫が映っていた。
あの窓ガラスに貼りつけられた写真も、まあ人は混ざっていたがきゅるきゅるな猫の瞳があった。
「すいませーん」
メイドおばさまを呼びつける。
「はーい。お呼びになられましたか、ご主人様♡」
ひっ……!
いや、失礼だ。
たしかにすこぶる寒気がするけれど、我慢するんだ神山瞳也。
「あのー、ここって猫カフェでは?」
「はい! 猫耳メイドカフェでございます!」
「……いや、猫カ、」
「猫耳メイドカフェでございます♡♡♡」
「あ、はい」
おばさまメイドがウィンクをして、厨房のなかへ行った。
つまりそういうことらしい。俺は猫カフェと見誤って訪れてしまったらしい。ここは猫耳をつけた可愛らしい(ひとりそれにそぐわない人がいるが)メイドさんが、笑顔を振りまいて料理をふるまってみんなに癒しを届ける素敵なお店──それがここ、猫耳メイドカフェ『ねこみみ』らしい。
いや待て待て。
そもそも、ここを猫カフェだといったのは誰だ?
青木さんだ。
青木さんは、猫耳メイドカフェと言ったか?
言ってないな、なら!
と、電話をかけてみる。
このことを話してみると、
「はぁ? ワタシ、猫カフェだなんて言ってないよ」
「ん? でも」
「あぁ、もしかして聞き違いじゃない?」
「きき、ちがい?」
いや、そんなわけが。
「『ねこみみ』、ですよね?」
「違う違う、ワタシが言ったのは『みにねこ』。子猫がたくさんいる猫カフェで、それがもうめっちゃくちゃかわいくてさぁ!
あ、もう電話切るね。締め切り過ぎちゃっててさー、そんで、」
携帯を閉じて、俺から先に電話を切った。
うん、わかってた。
もちろん自業自得だって、わかってた。
あのとき、俺がちゃんと話を聞いていればこんなことにはならなかったってわかってた。
けど、けどさ。
こんなことになるなんて、ふつう思わないじゃん。
思うわけないじゃん……。
「お、おおおおまたせしました、その、ねこねこ肉球ケチャップメッセージつきオムライス、で、で、です。ハイ」
「あ、あ、あああ、ありがとうございます。え、えと、メッセージって、もしかして」
「はは、はい。お、お客様の、ご希望、にあわせ、て、わたくしがこのケチャップでメッセージをそえさせていただき、マス。ハイ」
「……じゃあ、」
*
〈アリス〉
「…………」
「…………」
トウヤさんといつもどおり、図書室で二人きり。
いつもどおりソファで隣り合って、いつもどおり各々で本を黙読していって……そのいつもどおりが、あの一瞬で壊れてしまった。
……私は、終わった。
もう人生終わったのです。
今日、私があのお店でバイトをしている姿を知人に──しかも、いちばん見られたくなかった人に見られてしまいました。
もう、死にましょう。
そうね、死にますか。
よし死のう!
と、私はトウヤさんの顔をちらりと一瞥する。
トウヤさんは気にせず、もくもくとページを繰っている。
手に持っている本は、生前、兄が好んでいたハードボイルド小説『長いお別れ』だった。
ページはすっかり焦げており、隅のところなんかいくつか折れてしまっている。兄が何度も何度も読み返していたな、と思い出した。
昔ならきっと、トウヤさんの姿と兄の姿を重ね合わせていただろうな……。
って、ちっがぁーーーーーーう!!
そんな感傷に浸ってる場合じゃなくってよアリス・スコフィールド!
そもそも、なんでこの人はこんな冷静なの? バカなの?
頭のなかでバカ騒ぎしてる私がバカみたいじゃない、バカじゃないの。
どうしよう、ほんとにどうしよう。
ページを繰る音。
「ひっ」
「? アリス?」
首をかしげて、トウヤさんがこちらを見る。
いまはだめ、見つめられるとまだ思い出しちゃう!
ぷい、と顔を背ける。
「変なやつだな」
くすり、とかすかに笑う声。
見てみると、トウヤさんが目を細めて、優しい微笑みを浮かべていた。それからすぐにページに目を落とした。
……もしかして、昼間のあれは人違いなんじゃない?
だって見てみなさいよ、この反応。
どう考えたって昼間の醜態を目にした人間の表情じゃないわ。
ええ、断言できる。
きっと人違い。
なぜあのお客様が動揺していたのかは、まあたぶんよっぽどの人見知りだったのよ。
そう、そういうこと。
うん、そういうことだ!
……でも、そうなるとあのメッセージは、
「アリス」
「ひゃい!」
やだ、変な声出ちゃった……。
「いつ、あそこでバイトし始めたんだ?」
「へ?」
「あのメイドカフェだよ。いつ、始めたんだ?」
もろバレでした。人違いではありませんでした。
私はもう終わりました。
すべて白状いたします。
「……もともとは、アオイさんに誘われたんです。猫カフェ行かないかって」
「青木さんに?」
驚いたように目を見開くトウヤさん。
うなずく私。
すると、トウヤさんは悩ましげにため息をついて、
「ああ、それで?」
「でも、行ってみたらただのメイドカフェで……で、なぜか私、そこの店長に歓迎されて」
「歓迎って?」
「いつのまにか私、そこで働くことになってたんです」
「え、どうして」
「そもそも、事の発端はアオイさんとの勝負でした」
そう、あれは蝉の声がやっと聞こえ始めた、初夏のころ。
仕事の関係でアオイさんのところへ訪れていたとき、彼女は、
「あ、そうだ。ドSちゃん、前に賭けをしたこと憶えてる?」
「賭け?」
「ほらー、あれだよー。
瞳也くんとドSちゃんが、くっつくかくっつかないかってハ・ナ・シ!」
「……ああ、そんなこともありましたね」
「うん。だからワタシのいうことなんでも聞いてくれる?」
「は?」
「言ったじゃん。どっちかが負けたら、相手のお願い事をなんでもきくってやつ」
そういうわけで、私はあのメイドカフェに連れてこられたのだ。
そして私は、罰ゲームとして一か月間、八月が終わるまであのメイドカフェで働くことになった。
それがすべての経緯であった。
「そういうことね」
呆れたように息をついて、軽く何度かうなずくトウヤさん。
やはり、気に入らなかったのだろうか。
ん? 気に入らなかった?
なにが? あのメイド服?
えーと、私、なに考えているんだろう。
「でさ」
と、トウヤさんがこちらに顔を向ける。
「は、はい」
「あの服って、やっぱ制服だよね」
「……え、えぇ」
「あれって、やっぱ店ん中?」
「いえ、今日が最後の出勤日だったので、洗濯するために持ち帰っていますが」
「……ふうん。じゃあさ、着てきてくれないかな」
「へ?」
突然、なにを言い出すのだろう。
「見てみたいなって思ったんだよ」
トウヤさんがおかしくなっちゃった?
なにを真顔で言っているんだろう。
あんなもの、二度と着るものか。
「な、お願い」
「……その、一回だけです」
「うん」
「一瞬、だけですから。見るのは」
「うん」
*
「おぉー」
私の痴態を舐め回すように観察しては、興味深そうにうなずくトウヤさん。なにがおぉー、なのか。
「あの、トウヤさん。少し、おじさんっぽいですよ?」
「あ、わりい。つい、な」
「ついって、もう」
一瞬だけ、と言ったのに。
もう十分ほど眺めているじゃない。嘘つき。
でもなにより、なんで拒否しないかなあ、私。
「…………」
あれ、急に黙っちゃった。
トウヤさんは口をつぐんで、なぜだか悲しそうな目で私を見下ろしている。目を合わせても、彼の目の焦点が合っておらず、向き合っている気がしないのだ。
「トウヤ、さん?」
試しに呼びかけてみると、彼の顔がはっとなって、
「ちょっと、な。ごめん、もう大丈夫。悪かったな、まだ着てもらっちゃって」
トウヤさんが振り返り、私に背中を見せる。
寂しそうな背中だ。
でも、意味がわからない。
わざわざ洗濯し終わったあとの服を着させて、じっくり視線で舐め回して、それでなんかごまかす感じで終わり、だなんて。
……あれ、なんか、おかしい。
私、おかしい。
なんか、拍子抜けみたいな感じになってるのはいったいなに。
──期待、してるのかな。
「……あの、トウヤさん」
その背中に呼びかけた。
「うん?」
「あのメッセージは、なんだったんですか。
──K・W・E」
「あぁ、それは可愛いって意味。K(か)・W(わ)・E(いい)。できれば、言ったほうがよかったのかなとも思ったんだが……悩んだ末、こんなキモイ形になった」
「か、かわっ!?」
「……驚くことでもねえだろ。実際、可愛かった。でも、」
「……」
「いや、やっぱ」
「言って」
気がつけば、私は彼の背中に寄り添っていた。
お腹のほうに手を回し、背中に顔をくっつける。
身体全体に、トウヤさんの匂いが染みていく。
「す、すごかったんだぜ。周りの男、ぜーんぶおまえの姿に釘づけなんだよ。ぜったいあそこで働きつづけていたら、アリス人気ナンバーワンだったろ」
「だから?」
「……ったく」
突然、トウヤさんが振り返って私を腕を握った。
少し、痛い。
握りしめる力があまりに強く、とても相手には勝てないと思い知らされる。
でも、いまは、
「加減は、できないぞ」
その痛みがちょっとうれしかった。
自然と、ソファに寄りかかる私の身体。
背中に手を回し、優しくトウヤさんがソファに倒してくれる。加減できない、と言いながらやっぱり気を遣ってしまうのが彼だ。
「あっ、ちょっと……嗅がないで」
トウヤさんの鼻先が、首筋に少し触れる。
「キミが言ったことだろ。俺は犬だって」
「でも、それは……ん、」
「いやなら、いつおどおり絞めればいいだろ」
「……そんなの、」
「いまから五秒数えるから、さっさと決めて」
そんなこと言われたって、
──五、
すぐには決められないし、
──四、
いやって、わけじゃないけど、
──三、
でも……匂いとか、
──二、
「んっ……!?」
唇をふさがれる。
乾燥した唇で、とても心地いいとは思えないはず、なのに。
「……どういうつもりですか」
「悪い。五秒数えるほど、余裕なかった」
そう、弱々しく微笑むトウヤさん。
余裕が、ない。
「ねえ、さっき本を読んでいたとき、なにを考えていたの?」
試しに、尋ねてみた。
「……
頬を赤く染めて、少し濡れた唇を動かし、低く細い声でそう言ってみせた。
照れくさそうに微笑し、鼻先と鼻先をくっつけあう。
うるんだ瞳を前に、私は拒否なんてできなかった──。
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