19
「!」
そこから見える激しい炎にみな驚いていたようだが、ぼくが率先して中に入り手招きすると、皆もぞろぞろと連れ立って入ってきた。そして、激しく燃えている町並みを前に、呆然と立ち尽くす。
「もしかしてぇ……
ぼくに声をかけてきたのは、和服の中年女性だった。五十歳くらいだろうか。背はシオリよりも低い。
「ええと……まあ、そういうこと……ですかね……」
苦笑しつつぼくが言うと、女性は、ぼくの前で両手を合わせて拝む仕草をする。
「ほんながけ……
「いや……そんな……」
ぼくは照れ隠しにかゆくもない頭を掻いてみせる。
その時だった。
いきなり一人の女の人が、炎に向かって走り出したのだ。すかさずぼくはダッシュしてその人の右手首を掴み、引き留める。
「ちょ……待って下さい! どうしたんですか! 危ないですよ!」
「離してま! 向こうにわてのおばがおるんや! ちょうど風下の方や!」
年は三十代くらいだろうか。やはり地味な色合いの着物を身に付けているその女性は、ぶんぶんと右手を振ってぼくの手をほどこうとする。
「分かりました。ぼくも行きます」
「ほんなら付いて来まっし!」言い捨てて、女の人が走り出す。その後について、ぼくが走り出そうとした、その時。
「待って、カズ兄! ウチも行く!」シオリだった。ぼくに向かって駆け寄ろうとするが、
「いや、お前は来るな!」
とぼくが叫ぶと、シオリの足がピタリと止まる。
「なんで?」
「火に近づくんだ。危ないぞ! だからお前はそこにいて、みんなを見張っているんだ!」
「嫌や! ウチも行く! カズ兄にもしものことがあったら、ウチ……」
「ぼくだって、お前を危ない目に遭わせたくないんだよ!」
「だけどカズ兄、ウチと離れたら『神』様と話出来んよ。ほんでもいいがんけ?」
「う……」
それを言われると辛いところだ。風下に取り残されている人が危ないかもしれない、という予想外のことがすでに起こっている。この先も何が起こるか分からない。となると、「神」と会話が出来ることが望ましいのは間違いない。
「分かった! それじゃ一度戻って見張りをヤスに頼んで、その後ついてきてくれ! ここから見える範囲で待ってるから!」
「うん!」
シオリが笑顔で応えるのを確認して、ぼくは彼女に背を向け、既にかなり離れてしまった女性目がけて、全力で走り出す。しばらくしてから振り返ると、遠く離れたシオリがこちらに向かって走ってくるのが見えた。よかった。アイツはぼくより足が速いから、すぐに追いつくだろう。再び前を向いたぼくは全力ダッシュに戻る。
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風下に近づくにつれ、炎の範囲は広がっていた。女の人は遠回りすることでそれを避けているようだった。ひたすら彼女を追いかけ、ぼくはようやく風下にたどり着いた。この辺りは街外れだし、家と家との距離が結構あるので、火災の影響はないと思ってぼくらは誰も避難させていなかったのだ。
しかし。
「!」
目の前の一軒家の藁葺き屋根が、火の粉をかぶったせいか、燃えていた。その家の前で女の人は足を止める。どうやらここが、この人のおばの家らしい。
「まさ……まさー!」
「ダメです!」
家の中に飛び込もうとする女の人を、ぼくは必死で押さえつける。「まさ」、っておばさんの名前? この時代は目上の人でも呼び捨てにしちゃうんだな……
「ぼくが中に入って探しますから。いいですね」
ぼくが彼女の目を見据えて言うと、彼女はしっかりとうなずいた。
走ったときに息が切れるので外してた防煙マスクを、再びしっかりと装着する。引き戸を開け、ぼくは家の中に飛び込んだ。
家はそれほど大きくはない。二階はないようだ。いろり端に一人、女性が倒れていた。弱いが呼吸はしているようだ。煙に巻かれて倒れたのかも。しかし……この人がおば? あの人のおばにしては、えらく若いんだけど……
そんなことはどうでもいい。ぼくはその人を抱え上げる。この時代の人たちは大人でもそれほど身長が高くないので、体重も重くはない。抱え上げたまま、ぼくは外に走り出る。
「まさ!」女の人が声を上げると、その人はうっすらと目を開けた。
「お姉……」
「良かった! まさ!」女の人は "まさ" さんをぼくから奪うようにして抱きしめる。
「お姉……?」ぼくにはこの二人の関係が全く把握できていなかった。
「はぁ……はぁ……あのね、カズ兄」いつの間にか追いついてきていたシオリが、息を切らせながら言う。「この辺では……はぁ、はぁ……『おば』って妹のことねんよ。ほやさけ……はぁ……あの人とこの人は、姉妹ねん」
そうだったのか……
その時だった。
「大二郎は……?」"まさ"さんが言う。
「大二郎?」ぼくが問いかけると、
「まさの息子や。まだ赤ん坊ねんけど、あんさん、見とらんが?」
"まさ"さんのお姉さんが、ぼくに鋭い視線を向けていた。
「いや、見てません。でも、中にいるんですね?」
"まさ"さんが弱々しくうなずく。
「わかりました!」
走り出そうとしたぼくの目の前で、大きな音と共に、家の屋根がべこりと凹む。おそらく屋根の
もうこの家はすぐにも崩れ落ちる。思わず足を止めてしまったぼくの右を、何かが風のようにすり抜けていった。
シオリだった。
「……シオリ!」
ぼくが声を上げたときには既に、シオリは家の中に飛び込んでいた。とんでもないスピードだった。
まさか……時間加速しているのか……?
「くそっ!」
無茶しやがって。彼女を追いかけて、ぼくも再び家の中に入る。
「イタ! コレヤ!」
声の方に振り向くと、シオリが座敷の奥で赤ちゃんを抱え上げていた。
とてもシオリとは思えない、甲高い声。しかもギリギリ聞き取れるくらいの早口だった。以前、小学校の時に先生が聞かせてくれた、人の声を録音したテープをテープコーダーで早回しした時の音に似ている。そして、シオリの姿はなぜか明るく光り輝いていた。
その時。
柱の折れる音が連続的にして、彼女の真上の天井が崩れ始めた。
「カズニィ!」
シオリが赤ちゃんをぼくに向かって放り投げる。ぼくがそれを受け止めた、次の瞬間。
轟音と共に落ちてきた天井の中に、シオリの体は飲み込まれた。
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