第2話 Apol-lo
地球標準時19:55。
基地を飛び出したノームのArt-em-isは月面を離れた真空域を航行していた。
「どうなっちまうんだ、俺……」
ノームはコクピット内部で途方に暮れる。何とか月面に戻ろうとスイッチやパネルをいじくり回したのだが言うことを聞かず、
「回復でも何でもいいけど、月に帰してくれよ……」
疲れた声で言う。今まで息つく暇もなく動き続けていたのだから、疲労するのも無理はない。モニターに映る外の様子は不気味なほど静かだった。吸い込まれそうなほど無限に広がっていく空間。
背後を見ると離れた月の表面があり、不思議な感慨を覚える。
「月って、離れてみるとこんなふうに見えるんだな……」
月で生まれ育ったノームであったが離れたことは一度もない。教育プログラムの映像でちらっと見たような気もするが、その光景を肉眼で見ることになるとは思ってもみないことだった。
正面に目を移すと青い星がある。月からも見えていた近くて遠い星。
「地球って、どんな場所なんだろうな」
素朴な疑問が浮かぶ。何度も見上げてきた地球の姿もいつもとはまた違って見えた。
と、その時、モニターに
「な、何だ?」
慌ててレーダーを見ると後方から何かが接近してきていた。やがて肉眼でもはっきり見えるようになり、あっという間に目の前に現れる。
Art-em-isとは対照的な紅白のカラーリング、両手持ちの大型ライフルと肩部の装甲が目を引く派手な機体で、全体のフォルムも男性らしいたくましさを感じさせた。
「Art-em-isに乗っている盗人くん、生きているのなら返事をしなさい」
「あ、ああ……」
聞き慣れない女の声がコクピットに響き、普通に返事をしてしまう。
「私はAt-he-na(アテナ)のスレア・グローブ。あなたの名前は?」
「ノーム……ノーム・ライト」
「そう」
スレアと名乗る声の主がモニターに映し出された。まだ若い。ノームともそれほど歳は離れていないように見える。
「あんた、誰だ? 地球の軍人かよ?」
「違うわ。
「贖罪? 今更何を言ってんだ!」
ノームは吠える。故郷のシェルターを破壊しておきながら、と怒鳴り散らしたが、スレアは悲しげな顔で首を横に振った。
「シェルターを攻撃したのは私じゃない」
「じゃあ誰だよ?」
「ゾディアック・エデュケートリー・アッシャー、政府公認の冒険家集団……実態はならず者の集まりだけど」
「やっぱり地球の差し金なんじゃないか!」
「違う! ……少しでいいから説明させて」
スレアはどうにかノームを落ち着かせて経緯を説明し始める。
彼らが月に派遣されたのはひと月前のこと。情勢が不安定なこともあり派遣に否定的な意見も多かったが、推進派が実施を強行したのだった。
月に到着した彼らは情報収集と称してシェルターを片っ端から襲撃し、監視のために同行していた政府の連絡員も殺され、誰も彼らを止められなくなってしまう。
「そのためにAt-he-na……あんたが出てきたのか?」
「いいえ。私にその権限はないわ。動くのはもっと大きな脅威に対してよ」
「大きな脅威?」
「……Art-em-is、そしてその素体たるLet-oよ」
彼らは最初からあの宇宙港に稼働可能なArt-em-isにあることを掴んでいた節があり、推進派が彼らを利用しArt-em-isを手中に収めようとしたのが事の真相なのだとスレアは話す。
「でも、そのことが政府に伝わったのは実際に宇宙港でArt-em-isが発見されたあとのことだったし、私も君が現れるまで別室で軟禁されていたから、手の打ちようが無かったわ」
勝手に動いておいて、いざこざが起きたら私に尻拭いさせるのもどうかとは思うけど、とスレアはため息をついた。
「もし、最初から気付いていたならあんたは奴らを止めたのか?」
「当然よ。それも任務だもの」
「なら、もっと早くに動いてくれよ。シェルターの人間は無駄死にじゃねえか」
「……それについては弁解の余地はないわね。見込みが甘すぎたわ」
スレアは素直に頭を下げる。許されざる行為なのは百も承知だけれど、しなければ死んだ人達に対し申し訳が立たない。そんな気持ちが伝わり、ノームは口から出しかけた言葉を飲み込み冷静に言い直した。
「……それがAt-he-naの主な任務なのか?」
「それならApol-lo……この人機は必要ないと、そう思わない?」
「思うよ。だから聞きてえんだ。このArt-em-isは、あんた達にとって何なんだ。そんなに危険な存在なのかよ?」
「それは……」
スレアが口を開こうとしたその瞬間、双方の機体に警告音が鳴り響く。
「今度は何だよ!」
「……来たわね!」
コクピットの中でオロオロするノームとは対照的にスレアは表情を固くした。両機の頭上からArt-em-isの2.5倍はあろうかという巨大な人機が姿を表す。黒い塗装が空間に溶け込み良く見えないが、その姿形はArt-em-isに似ていた。
「な、何だよあの馬鹿でかいArt-em-isは?」
「あれがLet-o、At-he-naが立ち向かうべき敵よ!」
その言葉とともにスレアの乗るApol-loはLet-oに向けてライフルを放つが、放たれた光の矢はLet-oの目の前で消失する。それを見たノームは腰を抜かした。
「お、おい。大丈夫なのかよ?」
「私に構わず、早く逃げて!」
「に、逃げろったって……」
「いいから早く! あいつの狙いはArt-em-isよ!」
スレアの言葉を待たずにLet-oはノームの乗るArt-em-isに手を伸ばす。
後にLet-oと呼ばれるようになる存在は、月の海に埋まっていた。それを模倣して作られたのがArt-em-is、
地球との戦いを睨んでいた月の人々にとって大いなる福音になるはずのそれは、実は月の人々のみならず人類全体に滅びを告げる毒々しいラッパの音色に過ぎなかった。
地球側への宣戦布告を前日に控えたその日、月の首都に保管されていたLet-oは突如として動き出し、出撃したArt-em-isを逆に傀儡として月全土を壊滅させる。
続いてLet-oは地球へ侵攻を開始。地球もまた壊滅的な被害を受けたものの、辛うじてArt-em-isの全機撃破に成功し、人類にとって
地球標準時21:03。
Let-oの伸ばした手が機体に触れた瞬間、ノームはパニックを起こしていた。必死でパネルや計器をいじるが全く反応しない。
「何してるのよ! 早く逃げて!」
重粒子ライフルを連射してLet-oの腕を押し戻しながらスレアが怒鳴る。
「出来たらとっくにやってるっての!」
八つ当たり気味に怒鳴り返す。実際こんなところからはさっさと逃げたいのだが、動いてくれないのではどうしようもない。
と、ノームは足がふにゃりと柔らかいものを踏んでいるような感触を覚える。コクピット自体が少し小さくなったようにも感じられる。
「な、何だよこれ。何でコクピットが小さくなって……?」
「……!」
事態を察してかスレアの表情が変わった。
「ノーム、急いでArt-em-isから脱出して! そのままじゃ飲まれてしまうわ!」
しかし、その警告は遅すぎた。ノームの体は融解していくコクピットの中に飲み込まれていく。
「た、助けて……!」
悲鳴はスレアには届かない。
「ノーム! 返事をしてノーム!」
スレアの声も届かない。あとには静寂の中に浮かぶ三つの人機だけが残された。
自然と顔がこわばる。
「……助けが来るわけでもないし、私ひとりでやるしかない……何だか震えてきちゃった、よ……」
彼女は震える手をどうにか抑えて銃口をLet-oに向けた。
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