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海花

第1話

「大丈夫か?」


教室の席に着くそうそう俺は後ろの席の翔琉かけるへと声を掛けた。

朝のひんやりした空気が微かに残る騒がしくなってきている教室で、翔琉は腕を枕にして目を閉じている。

返ってこない返事に『寝ているのか……』と前を向うとした途端


「───昨日……寝られなかった……」


翔琉がボソッと返した。


「………保健室………行ったら…?」


また翔琉に向き直すと俺は顔を覗き込んだ。


「無理…………色々とうるさいから……」


そう言われると俺は何も返せなくなる。


───俺だけが知っている…………翔琉の……『秘密』…………。


心配なのに言葉が見つからない俺の耳に自由を奪う耳障りなチャイムが大きく響いた。

それでもまだ腕を枕に目をつぶっている翔琉を横目に俺は1時間目の準備を始めた。




俺と翔琉は中学になって、たまたま席が近いことから話すようになった。

それからなんとなく馬が合い、2年になった今もつるんでいる。

なんでかお互い2人でいるのが心地よくて、不思議と『しっくり』きていた。


「次…… 体育だよ…?」


休み時間にやはり机で寝ている翔琉に声を掛ける。


「分かってる……」


「休むの?」


「………次休んだら親を呼ぶって言われたから出る」


「…………大丈夫なの……?」


「………………別に……平気……」


それで会話が途切れない様に次の言葉を探したが…見つからない………。

こういう時の翔琉はあまり話したがらない。それでも、全身で俺にそばにいて…と言っている気がして……。

俺は翔琉のそばから離れられなくなる。

何も出来ない無力さを思い知りながら、それでも翔琉のそばにいたくて、俺は翔琉の髪を指先で弄びながら黙ったまま座っている。

そうするとほんの少し…翔琉が安心しているようで、時間ギリギリまで俺はそれを続けた。




2人1組でのバトミントンが始まり、みんなキャァキャァ騒ぎながら休み時間の如く楽しんでいる。

10月と言っても天気も良いせいか動くとそれなりに暑くて、半袖になったり腕まくりしたり…真夏の様に半袖短パンになっている者もいる。

俺も額の汗を袖で拭くと肘の上まで袖を捲り上げた。

翔琉は……汗をかきながら長袖のジャージを手首よりまだ下にしてシャトルを打ち返している。


───傷が見えるから………。


そう思いながら俺はまたシャトルを翔琉へと打ち返した……。

とんでもない方向へ飛んで行ったシャトルを「へたくそ!」と笑いながら取りに行く翔琉から目が離せなくなる。


───なんで……笑っていられるんだろう……。でもきっとそれは…………ずっと当たり前のことだったからなんだ………。


「うるせー!」


俺も笑いながら返し


───翔琉は心と体……どっちが痛いんだろう……


そんなことを考えて慌てて消した……。




体育も終わり更衣室で残った数人の生徒が着替える中、翔琉は隅で体を隠す様に着替えている。しかもいつも殆どの生徒が着替え終え、いなくなってから………。

それでも……体についたアザが見え隠れしている……。



俺が翔琉の秘密を知ったのも、更衣室に忘れ物を取りに来たときだった。



いつも一緒に行動するのに、着替えだけは絶対に一緒にしたがらない翔琉に最初俺は『ああ…裸を見られたくないんだな…』程度に思っていた。

だから俺は必ず先に着替え、この時ばかりは先に教室に戻っていた。

それが…たまたま更衣室にスマホを忘れたのに気付いた。

もちろん授業中持っていて良いわけがなく……バレたら取り上げられるか……最悪親に言い付けられる。

そう思って翔琉が着替えているのも忘れて慌てて戻った。

更衣室に入ると案の定、俺が着替えていたそばの椅子にスマホが置かれたままになっていた。


しかし………俺の目に飛び込んできたのは……“白い肌にはっきりと浮かぶいくつものアザ”だった。


1人だと思って翔琉は体を隠すこともせずに着替えていた。


その肌に……赤や紫、それに黄色くなったアザが服に隠れそうな場所にいくつも……まるで花の様に体を飾っていた………。


その意味が解らず立ち尽くす俺から隠すように翔琉は慌ててワイシャツを羽織ったのを、俺は今でも時々思い出すんだ……。


あの身体を一瞬『キレイ』だと思ってしまった自分と…………。


俺に見られて酷く傷付いたような目をした翔琉が…………今でも鮮明に目に浮かぶ……。




みんな短い昼休みを話をしたり、校庭や体育館で遊んだりと…それぞれ好きなことで過ごす中、翔琉と俺は屋上に繋がる階段で過ごしている。

理由は別に屋上に出られる訳でもないこの階段に来る物好きはいないから。

ワイシャツのボタンを外し、腕も捲りあげ、翔琉は自分を下敷きで扇いでいる。


「……今日あっつくねぇ?」


「天気いいしね」


苦笑いしながら翔琉に視線を向けると、その肌に新しいアザが幾つか増えている。しかも胸にはタバコを押し付けられたのか……小さな火傷の様なものも3か所キレイに三角を作る様に並んでいる。


「やっと長袖でもおかしくない時期になったのに……」


翔琉が大きなため息を吐いた。

一年中長袖なのを本当は気にしているのを前にボソッと言っていたのを思い出す。


「……その傷……大丈夫?すごく痛そうだけど……冷やした方が良いんじゃない?」


俺が大きく空いた胸元を見ながら言うと


「……今更だろ……。昨夜ゆうべやられたんだから……。いつもそのまんまだし」


関心無さそうに答える翔琉に俺は胸が痛くなって思わず視線をそらしてしまう。


「…………でもさ……」


「大丈夫だって!」


嫌がるのを解っているのに、つい“この事”に触れてしまう俺を鬱陶しそうに翔琉の言葉が遮る。

それから大きなため息を吐くと


「……じゃぁまた触っててよ」


そう呟く様に言った。

俺は黙ったまま痛々しいその傷に指でそっと触れる。

すると一瞬翔琉の顔が痛みに歪む……。

前に「人の手には痛みを和らげる効果があるってテレビで見た」…と翔琉が言ってから、俺は時々こうして翔琉の傷に触るようになった。

なるべく傷自体には触れない様に、だけど翔琉が安心する様に肌に触れる。

胸に…肩に……いくつもアザが見える。


─── 一体……翔琉の父親は……なんでこんなことをするんだろう………。


体のアザを目で追っていると、翔琉がじっと俺を見ているのに気付き、『ドクンッ』と心臓が大きな音をたてた。

翔琉の切長の少し茶色い瞳が、その視線を俺が捉えた後も揺らぐことなく見つめる……。

胸元に触れた手から翔琉の早くなった鼓動が伝わってきて、俺は思わず息を呑んだ…………。

痛いほど、自分の心臓が激しくなっている。


───あ………………俺は…………翔琉のことが……………………


不意に翔琉の顔が近づいた様な気がした時、昼休みの終わりを知らせるチャイムがうるさいくらい鳴り響いた。


「………教室…戻ろうぜ」


翔琉が立ち上がりワイシャツのボタンを戻しながらそう言って階段を降りていった。


ただの気のせいだったのか……


それとも翔琉は…俺に…………


まだ早いまま打ち続ける心臓の理由を考えながら俺は翔琉の後へ続いた。




土曜の午後いつもの様に翔琉と一緒に宿題をやると称してゲームをするために俺はさっさと昼食を済ませ、部屋を簡単に片付ける。

しかし3時には来ると言っていた翔琉が4時を過ぎても姿を見せない。

何度か電話もしたがいくら鳴らしても出る気配さえ無い。

ただでさえ自分の家にいたがらないのに……こんなこと今まで一度だって無かった。

俺は不安に掻き立てられるまま翔琉の家へ向かった。

きらした息のままインターホンのボタンを押したがいくら待っても誰も出てこない。けれど中で“ガタンッ”と音がして人がいるのは間違いない。

俺は迷った挙句、庭の方へ入っていった。

庭へ出るガラス戸から中を恐る恐る覗くと横たわった翔琉の上に男が馬乗りになっているのが見えた。

見ている間にも抵抗する翔琉を何度も殴っている……。

俺は庭を見渡し、これは果たして植物だったのだろうか…と考えてしまう程枯れて風化した何かが植えられたままの古い鉢植えを手にして中へと入っていった。


───ただ『翔琉を助けたい』それしか考えていなかった───


気が付いた時には横たわった翔琉の上に“父親”と思われる男が頭から血を流し倒れ込んでいた……。


「───颯太…………」


殴られて口の端から血を流した翔琉が驚いた様に目を見開いて俺を見つめた。

はだけた胸からまた新しいアザが見えている。

翔琉は自分の上の男を力任せに退かすと


「───颯太‼︎」


呆然とする俺の腕を掴んだ。


「………………俺………………翔琉を…………助けたくて………………」


「解ってる!」


そう言って倒れている父親を見下ろし


「──────逃げよう……」


俺の手を掴み外へと走り出した。




あれから何時間たっただろうか、繁華街をずっと手を繋いだまま歩いている。

騒がしく通り過ぎる人達に紛れながら俺は少し前を歩く翔琉の背中だけを見つめた。


───翔琉の父親は……死んだのだろうか……………それにあの時…………翔琉は父親に『何をされていた』んだ…………


心臓がずっと激しく“ドクドク”と音をたてている。

突然翔琉が立ち止まると、スっと狭い路地裏に入り身を隠す様に小声で告げた。

何が起こったのか解らない俺の耳元で


「あいつら私服警官だよ。……一回補導されたから覚えてる…………」


数人の大人が通りすぎると翔琉は立ち上がり何処か目的があるのか、さっきより足速に歩き始めた。




「勝手に入っていいの…………?」


もう使われていなさそうな古い空き家の割れた窓から中に入り俺は翔琉の手を強く握りしめた。

埃っぽい部屋にお菓子のゴミや空のペットボトルが転がり誰かがここにいた事を知らせている。


「前に家飛び出した時見つけたんだ」


時々…どうしても辛くなるとここに来て一晩過ごすんだと翔琉は話した。

隣の家の風呂が隣接しているようで、小さな子供が母親と一緒に歌を歌っているのが聞こえる。

翔琉と俺は適当な場所に座りずっと黙っていた。


「最初は……ただ殴られてただけだったんだ……。だから……目を瞑って我慢してれば良かった……」


徐に翔琉が口を開いた。


「それが…………少し前から……俺の体を触る様になって…………すげぇ嫌でさ…………」


翔琉の言葉に始めて感じる程心臓が速くなっているのが分かった……。


「でも抵抗できなくて………次は……俺にも…自分のを触れって……そっからはすぐだった………心底クズだと思ったよ………けど………言いなりになってる俺は………それ以下だ…」


翔琉の瞳から幾つも涙がこぼれ落ちた。


「……今日も…朝から酒飲んで……颯太の家に行こうとしたら………自分とやってから行けって言われて……嫌だって言ったんだ……颯太と…会う前にやりたくなくて…………」


頭が痛くなる程…胸が苦しくなった………。


自分の父親に……無理やり犯される日々が………どれだけ辛かったか…………俺には想像すら出来なかった。


『昨日……寝れなかった』と言った言葉も、タバコの火が押しつけられていた『胸』も………

それが真実だと告げている。


「───ごめん…………俺……気付かなくて…………」


「だから…………颯太が助けてくれた時……嬉しかった……」


瞳に涙をいっぱい溜めて翔琉が微笑んだ。


「ずっと………………颯太が好きだったから……」


「───翔琉…………」


「ありがとう………いつも俺のそばに…いてくれて……」


そう言って本当に嬉しそうに笑うと、翔琉は俺の手を離し立ち上がった。


「颯太は家に帰れ」


「───何言って………」


「あれは………俺がやったんだよ……。きっと……颯太が来てくれなかったら………いつか…俺があいつを殺してたかもしれない……」


「翔琉…………」


「本当は最初からそうしようって思ったんだけど……どうしても……颯太ともう少し一緖にいたくて……ごめんな」


そう言ってまた笑った……。

そのまま俺を置いて出て行こうとした翔琉の手を俺は再び掴んだ。


「───俺も……翔琉が好きだよ。だからあんな事したのも後悔してない」


翔琉の瞳が驚いたように大きく見開かれる。


「だから─── 一緒に逃げよう。逃げられる所まで…………一緒に…………」


「───そう…た…………」


「二人なら……きっと大丈夫だよ」


にっこり笑う俺に翔琉の瞳から涙が次々と溢れ出した。




───その後は突然怒鳴り声が聞こえ、それに続く様に数人の警官が入って来た。

隣の住人が人の気配に気付いて通報したらしい……。

逃げようと俺の手を掴んだ翔琉を取り押さえ、そして暴れる翔琉が俺に『逃げろ』と怒鳴ったのだけ朧げに覚えている───。





何故かいきなりそんな昔の夢を見て目が覚めた。


───なんだ……突然………


あの後…翔琉は祖父母に引き取られ、結局軽傷で済んだ父親は翔琉への悪質な暴行罪で逮捕、起訴された。


───俺………あん時マジで殺したと思ってたもんな………


思わずクスクスと笑ってしまう。


───本気で逃げられると思ってたしな…


明るい日差しが届いているベッドに起き上がった。


───あれから…もう7年も経つのか………。


「何笑ってんだよ」


隣で眠っていた愛しい腕が俺を無理やりベッドの中へ引きずり込む。


「……昔の夢を見てさ」


「…………どんな……?昔好きだったヤツの夢とか言うんだろ……」


「……正解」


そう言って笑う俺を、少しムッとしたように抱きしめ優しくキスをした。


「──お前の夢だよ」


「俺の?」


「そう───お前の」


俺は3つ三角を描くように並んだ傷にそっと手を当てると、もう一度キスをした。



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