第三十四話 悪質トラップフォーエバー!
勇者一行の判断は早かった。足手まといになるだろうガインというスキンヘッドの男を置いて、そのまま迷宮を進み始めたのだ。
(なんて薄情な奴らだ。蜂になった私でもこんなことしないぞ! せっかく『世界樹の雫』まで使って命を救ったのに、こんな迷宮で独りぼっちとか可哀そう)
蜂になって以降私の感情は変化しつつある。人間を攻撃することに躊躇いがないのも、きっと転生の影響だと思う。
しかしそれでも、未だ人間の部分を保っているのだ。特に愛。
もちろんシャルルに向ける恋人としての愛もそうだが、人を助けたいという慈愛の心も失っていない。
たとえ妖精王の手先であっても、それは変わらないのだ。
「サラちゃん、悪いけどそのスキンヘッド保護して。毒は解除して大丈夫。こっちで麻痺毒を入れとくよ」
『承知しました、レジーナ様。貴女様は本当にお優しいですね』
サラ、という燕蜂のメイドに念話を飛ばし、ガインさんを保護する。
世界樹の雫で免疫機能は超強化されているだろうが、完全回復したわけではない。
矢や毒針で受けた傷は完治しているものの、体内に侵入した毒は、ただ免疫機能が上昇した程度では根絶できないのだ。
どんな毒にも対応できる万能の薬など存在しない。
そこでサラちゃんは、ガインさんの心臓に手を当てる。彼は困惑している様子だったが、毒の巡りで抵抗もできない。
そして次の瞬間、彼の体内からあらゆる毒が霧散した。サラちゃんが持つ、『解毒』のスキルだ。『毒創造』で生成できる毒を解除できるというスキル。現在はすべての蜂にこれを習得させようと、『毒創造』とともに研究している。
(さて、解毒したガインさんにはトラップ生成で麻痺毒をぶち込んでと。薄情な勇者君たちは……?)
世界樹の感覚を強引に横取りして覗き見ると、勇者たちが歩みを進めているのがわかった。
毒のトラップを警戒し、ゆっくりとしたペースだ。感知に引っかからない罠を最大限注意しているのだろう。
燕蜂は彼らを脅威だと感じ取り、私の言いつけ通り巣に引きこもっている。
しかし毒針を一発ぶち込めたのだから、彼女たちの仕事はそれで終わりだ。もとより燕蜂の仕事は、このエリアで数多の毒を複雑に注入することにある。
(けど、勇者君だけはまだ一発も喰らってないんだよねぇ。本当にバケモンって言うか、この至近距離で燕蜂に視線を合わせ避けるとか、物理的に不可能なはずなんですけど……)
この閉鎖空間、超至近距離では、『超加速』を発動した蜂の動きを見てから回避するなど不可能だ。
身内贔屓ではない。感情論でもない。これはれっきとした生物学に基づく考察である。
人間の脳というのは、電気信号でやり取りをしている。つまるところ、電気よりも速く動く物体を視認できない。
それこそ銃弾とか、一定の速度を突破すれば人間には見えなくなる。
古いビデオカメラが六十分の一秒までしか録画できないのと同じだ。
そして何を隠そう、ごく短距離であれば、燕蜂は電気の速度を優に超えて見せる。これこそ、彼女たちが人間たちにとって絶対的脅威である所以。
この迷宮内部であれば、燕蜂はランクAの冒険者にだって打ち勝って見せる。何せ、相手はこちらを視認することなどできないのだから。
いくらランクが高かろうとも、身体の構造を変えることはできない。良くて、電気信号が伝わる速度が理論値に近づくだけ。電気よりも速い物体に追いつける道理はない。
(つまり勇者は、電気以外の信号伝達手段を持っている。肉体の一部、もしくはすべてを改造してその強さを手に入れた……)
考えてみれば、勇者の左手は義手だった。あれも、肉体改造の影響だろう。あの左手に何か仕込まれていると考えるべきだ。それから……。
「エイニーちゃん、ユグドラシルの聖水『世界樹の雫』は、おそらく人間の免疫機能を極限まで高める効果を持ってる。人間は種族的に毒耐性が強いから、手持ちの毒じゃ殺しきれないかも……」
人間という種族は超が付くほどの雑食で、食えそうなものなら何でも食う。それこそ、毒だろうがなんだろうが。
毒を抜いて食べるとか、そんな次元ではない。他の生物にとって明らかに毒物であっても、人間は消化できる。コーヒーのカフェインや玉ねぎに含まれるアリシンだって、れっきとした植物毒だ。
人間とはそういった植物の毒を、いともたやすく分解して見せる。普通の動物なら体調を著しく崩してしかるべきだ。
『ご安心ください、レジーナ様。以前にいただいた知識から、また新しい毒を創り出しました。人間の蛋白質を変質させて作った毒です。免疫機能がいくら高かろうとも、そもそも免疫系が毒を敵と認識できなければ、意味がないのでしょう?』
……! エイニーちゃん、恐ろしい子!
私がちょっと前に教えたにわか知識から、もうそんな最強の毒を創り出したというの!?
対人間用最終兵器。人間の蛋白質から作り出した毒。
元々人間の細胞が由来であるゆえに、人間の免疫系はそれを敵と認識できない。より正確に言うなら、ごく少数の免疫細胞以外戦おうとは思えない。
そんな少数の勢力では、蜂の蛋白質毒を無効化するなど不可能だ。
『第一階層、ぜひすべてのトラップを発動させる勢いで毒を叩き込んでください。奴らがユグドラシルの聖水を信頼しきったところに、この毒をぶち込んで差し上げます。第二階層、炎の間を、勇者様方にご覧に入れましょう』
エイニーちゃん、本当に末恐ろしい。
毒を創り出す。毒を応用する。毒の性能を強化する。毒への耐性を突破する。
毒に関するあらゆる才能は、既に私を凌駕している。ただ少しの知識を付けただけで、彼女は無限の可能性を生み出して見せた。
シャルルやシャノールさん、デューンとウチの最高戦力は凄まじい奴が多いけど、本当に恐ろしいのはこの子かもしれない。
「了解、エイニーちゃん! じゃあ勇者君たち、存分に第一階層の罠を楽しんでね!」
勇者はまっすぐに迷宮を突き抜ける。彼が踏んだところには、トラップが存在しない。
流石ランクS。ランクA程度の『隠蔽』は突破できるよね。けど……!
私は今この瞬間に『クリエイトダンジョン』を発動し、新しい罠を設置する。地面から出現した毒槍のトラップだ。
感知に引っかかるとか、そんなレベルでは断じてない。まさに今作り出した罠は、余裕の表情であった勇者に牙を剥く……!
さしもの勇者もこれには驚いたのか、先ほどの毒槍よりも大きな動作でこれを回避した。
(ま、燕蜂の最高速を視認できるなら、見てから回避余裕でした状態なのはわかってたよ。けどね?)
毒槍をうまく回避した勇者だったが、メンバー全員がそんな超次元的動きができるわけではない。
慎重に、勇者の足跡だけを踏んでいたパーティーメンバーは、軒並みこのトラップに反応できず逃げ遅れる。
ランクAの妖精族は咄嗟に魔法の盾を創り出したが、ランクBの姉弟は回避すら間に合わない。
残念。毒槍には麻痺毒が仕込んである。筋肉に電気信号が伝わらなくなり、身体はもう動くまい。
さらにランクAの妖精族が勇者の足跡から離れたことで、そこに設置してあったトラップが発動。呼吸器を刺激し過呼吸へと陥れる、霧状の毒だ。
これにより妖精族はうまく息を吸えなくなる。あまりの衝撃に動揺したのか、目を見開いて叫ぶように息を吐きだそうとしていた。
『マズいな』
流石に仲間の危機を感じ取ったのか、勇者が『世界樹の雫』を取り出し歩き出す。しかし……。
「そんなこと私がさせるわけないじゃん! いつまでスカしてられるかな?」
勇者に攻撃が届かないことは重々承知。それならばと、『不壊属性』を持つ世界樹の枝を格子状に出現させ勇者の行く手を阻む。
その最中さらに新たなトラップを生成、残る三人に追撃を仕掛けた。
大丈夫だ。『世界樹の雫』を使えば、この程度のトラップで死ぬことはない。
ただちょっと、迷宮に対する恐怖とトラウマが焼きつくだけ。
創り出したるは、天井から出現する夥しい量の矢。必殺の毒バトラコトキシンを大量に仕込んだ。
『ガアァァァァァァァァッッッッ!!??』
『ぎゃああああああ!!!』
『げほっげぇぇぇぇぇぇぇああああ!』
突如出現した罠に反応できず、一行は全員矢で串刺しにされる。高ランクの身体は矢を弾いたが、少しでも突き刺されば毒が浸透するのは必然だ。
蜂毒に比べ痛みは少ないはず。しかし、だからこそ『死』という存在をより近くに感じる。
その恐怖に、全員が絶叫を上げた。
勝気な姉は強引に矢を抜いて迫り来る死に抗おうとし、弱気な弟は呼吸を荒くし自分の運命に絶望する。
麗しい妖精はその身に宿る力を最大限振り絞り、必ず訪れるその結果を否定しようとした。
『世界樹の雫ッ!』
……このまま絶命するかに思えた三人だったが、彼らは意地を見せた。最後の瞬間に、最良の手段を思い出したのだ。彼らはまだ、諦めていなかった。死に抗おうとした。
『まったく、悪質なダンジョンですね』
『あやうく本当に死ぬところだった……』
『でもやっぱり、世界樹の雫があれば毒対策はばっちりよ!』
本当に、私などよりも彼女たちの方がずっと、気高い生き物だ。
もし彼女たちが蜂であったのなら、今よりももっと美しく誇り高い存在だったんだろう。
「さあ、そこから先は第二階層。炎の間だよ」
『お待ちしておりました、勇者様方』
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