第二十話 幸せ者!
ガサガサ、カタカタ。
私が寝室で休んでいると、不意にそんな音が聞こえてきた。硬い地面を鋭い肢で叩くような音だ。そう、まさに蜂が歩くような微かな音。
少なくとも、私の寝返りの音でないことは確かである。なぜなら、私は人間の姿に変身して寝ているから。これほど大きな寝室に、蜂の姿だと広すぎるのだ。
「遅かったね。こんな時間に私の部屋へ入ってくるってことは……夜這い?」
時刻はもう零時を回ったころだろう。多くの蜂は寝静まり、『クリエイトダンジョン』で迷宮の入り口も閉ざしている。混乱の魔力も全開だ。
そんな中誰にも気づかれずこの迷宮に侵入し、無遠慮に乙女の部屋へ入り込む人物など、私は一人しか知らない。
「悪いな。本当は明け方に帰るつもりだったんだが、どうしても今日君に会いたくなった」
許可も取らずに私の横へ寝転がるのは、当然私の想い人シャルルだ。
横目で見ると、疲れている様子がとても良くわかる。私のジョークにツッコミを入れなかったことからも、彼の疲労は歴然だ。
と言っても、身体的な疲労は皆無だろう。むしろ、精神的な疲労が大きい。
私にはわからないが、やはりあの女王とは以前、何かがあったのだろう。
「良いよ、私も会いたかった」
「それは……嬉しいな」
いつの間にか人間の姿に変身したシャルルが、仰向けに寝ていた私を抱きしめる。
その腕にはいつもよりも力がこもっていて、その心臓は普段よりもずっと早く鼓動していた。
シャルルの肌から熱が伝わってくる。蜂の姿では感じることのできない、人間ならではの温かさだ。
「いろいろ言いたいことはあるだろうけど、今はこのまま……」
「大丈夫だよ、私も準備はできてる」
きっと今日あたり、シャルルが帰ってくるだろうという予感がしていたのだ。だから私は、産卵直後ではあるがスキルをフル稼働させ、産卵以前の状態へとこの身体を戻した。
ランクAの肉体というのはすごいもので、出産後の疲労感も倦怠感も、一瞬で吹き飛ぶのだ。
まあ、生物界において最上級に出産が苦しいと言われる人間と比較するのも、おかしいとは思うのだが。
私はもう、シャルルが帰ってきたらすぐするつもりで準備していたのだ。
私たちはおもむろに向き合い、お互いの目を見つめる。そしてそのまま、私の方から唇を付けた。
最初は重ねるだけ。それだけでも、シャルルの温もりが伝わってくる。
けど我慢できなくなって、結局舌を入れてしまった。
考えてみれば、キスなんて蜂の姿では絶対にできない。メスがオスを捕食するのかと勘違いされてしまうから。これも、高ランクの特権というやつだろうな。
たっぷり30秒ほど、息も止めて私たちは深いキスを交わした。
(私、えっちな子になっちゃったかも)
シャルルが帰ってくる前からずっと、胸の高鳴りが止まないのだ。
やらなきゃいけないこと、言わなければいけない言葉もたくさんあるのに、今は彼と肌を重ねること以外考えられない。
朝。蜂用の小さな穴から差し込む柔らかな日差しが、疲れた私の身体を無理やりに覚醒させた。
それは温かくもあり、煩わしくもある。
人間の身体で行うまぐわいは、蜂の姿で行うそれとはまったく異なっていた。
もちろん、性感という意味でも全然違っていた。蜂の性感帯は、それはもう発達していないのだ。シャルルのテクニックがなければ、到底楽しむことはできない。
逆に、久しぶりに味わう人間のそれは、とても甘美なものだった。
……いや、前世ではずっとお独り様だったけど。
それに、昨晩私たちがしたのは産卵のためではなく、そう、二人の愛を確かめ合うためのもの。
蜂よりも人間の方が痛覚が鋭く、苦痛がある分余計に、シャルルの優しさ、愛を感じることができた。
彼は粗雑に見えて、実は結構繊細なのだ。テクニシャンでもある。他の男なんて知らないけど。
「さて、私は私のやるべきことをやらないとね!」
シャルルはお寝坊さんだ。私が起きていても、彼はまだ寝ていることが多い。
彼の頬をツンと指で触って、私は今日を生きる元気をもらった。
私は彼を起こさないように、一人で寝室を出る。
流石に今日はちょっと恥ずかしいから、お昼ぐらいまでシャルルとは会わないでおきたい。
……それに、昨日シャルルから聞いた話も、まだ私の中で折り合いがついていないんだ。
今はとにかく、シャルルの言葉じゃなく自分の考えで結論を出したいと思う。それまでは、彼に頼らないでいたい。
「おはよう、サガーラちゃん!」
私は最奥の間の入り口に作ったスペースで待機しているサガーラちゃんに声をかけた。
彼女は誰よりも早起きで、日が昇り始めたころにはもうここに来ているのだ。
うんうん、今日も私のサガーラちゃんはかわいい!
第一階層の巣からここまで、いつも苦労をかけている。そろそろ、ここにサガーラちゃん専用の部屋を作るのもいいんじゃないかと思っているのだ。
……贔屓するなと、シャルルにさんざん言われたけどね。自分は良いくせに。
「あ、おはようございます、レジーナさま! 昨晩は早速、次の世代を?」
「んな!?」
サガーラちゃんの口から飛び出した言葉に、私は思わず声を裏返してしまった。
(え? 嘘、私そんな大きい声出してたかな!? い、いや。さすがに第一階層まで聞こえるような声は出してない。あの寝室は『世界樹の支配者』で完全防音になっているはず……)
まさかとは思うが、現場をサガーラちゃんに見られた!?
いやでも、まだ勘違いという可能性もある。一応探りを……。
「ど、どうしてそう思ったのかな~? 私は普通に、シャルルと仲良く寝てただけだよ~」
「あはは、誤魔化さなくても大丈夫です。ボク、レジーナさまの表情はずっと見ているんですよ! お顔を見れば、何をしていたのか丸わかりです!」
ガーンッ!
頭の中でそんな音が鳴り響く。
ショックだ。サガーラちゃんにバレていたことももちろんショックだが、「意中の男性と二人きり」「寝室」「スッキリした満面の笑み」。この情報だけで推察できるほど、サガーラちゃんが子どもでないことがショックだ。
私の中で、サガーラちゃんのイメージが上書きされていく。
(ん? でも、性知識に興味津々な年端もいかないボクっ娘、というのも最高だ! よし、今後はその路線で妄想することにしよう)
フンス! 鼻息を荒くした私にサガーラちゃんが若干引いているのは、きっと気のせいだろう。
「あ、愛を確かめ合うのはよろしいのですが、申し訳ないことに、まだ新しい巣の用意ができていません。前回の産卵が想定をはるかに上回る数でしたから……」
「い、いや!? 大丈夫だよ! うん、まだしばらくは……きっと」
ここで子どもを産まない、と断言できないのが悔しい。
だって、これからシャルルと夜を過ごさないというのは流石に無理だ!
私はもう、あの甘美な心地を覚えてしまった。
どうして『強制受精』なんて恐ろしいスキルはあるのに、『受精拒否』とかのスキルがないんだろう。
……いや、普通にいらないか。スキルは進化の過程で出現した側面もあるみたいだし、生物の意義に反するスキルはあんまりないのかも。
(ってことは、『支配』とかのスキルも何らかの理由で必要だったことになるけどね)
「それでレジーナさま、こんな早くにどうされたんですか? 特に急ぎの用事はなかったと思うのですが」
おっと、私の世界に入りすぎていた。サガーラちゃんが声をかけてくれて良かったよ。
「うん、そろそろ『世界樹の支配者』を本格的に使おうと思ってね。まずは手始めに……この混乱の魔力を取っ払ってやろうかと!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます