第36話 玖城ミカナの追想


 手足を振り乱す。ワンピースのすそが跳ねる。脚を振り上げるたびに、ひらひらが膝にまとわりつく。


 うっとうしい、もどかしい。わたしはもっと速く走れるのに、これじゃ追いつかれちゃう!


 背後で茂みを突き破る音が鳴った。焦燥に負けて振り向く。


 無機質な物体が追ってくる。草木をまとったような深緑しんりょくのボディに日光を反射させ、くるくるとした足で地面の上をすべる。


 円柱状のボディから細い筒が伸びている。ストローを思わせるそれは死神の鎌だ。こうしている今もわたしの首をり取ろうと小刻みに動いている。


 銃口からのぞかせる闇と目が合った。


 撃たれる! 喉に氷の柱をねじ込まれたような感覚に遅れて、破裂音と光が散った。

 爆散したのは筒の先端。硬質な音に遅れて無機物の花が咲いた。


 誰かいる! 衝動のままに振り向くと、視線の先に人影があった。細身の体に暗い緑色のマントが垂れている。中性的な顔立ちだけど頼りなさとは無縁だ。何せ手にはハンドガン。たった今無人兵器の銃身を変形させた代物が握られている。その威力を目の当たりにしたら頼もしさしか感じない。


 助けが来た。


 安堵した刹那。いやに人影が少ないことに気付いた。視認できるのは年の近そうな少年だけ。残る無人兵器は二機。子供一人で相手するには心もとない。


「走れ!」

「ひゃっ⁉」


 気が付けば少年が近くにいた。右手首をがしっと握られ、茂みの中に引き込まれる。頭の近くで樹皮が弾けて思わず身をすくめる。


「まだ走れるよな?」

「それ今聞くこと⁉」


 声が荒くなった。走らなきゃ死ぬんだ。走って息が切れてるのに、無駄な問い掛けて余計な体力を使わせないでほしい。


「これからどうするの?」

「独りでやるには数が多い。ここは退く」


 現実的な判断で安心した。この年頃の男の子は喧嘩っ早いイメージがある。独りでやると言い出したらどうしようかと思った。


 それにあまり異性と二人きりでいたくない。同じ施設の男子はわたしが嫌がることをしてくるし、手を引く男の子もそうじゃないとは言い切れない。早く大人の人が助けに来てくれないだろうか。


 視界が開ける。

 前方に地面は続いていない。行き止まりだ、立ち止まって別のルートを探す必要性が生まれた。


 なのに少年の足は止まらない。


「跳ぶぞ」

「え、うそ⁉ うそっ⁉」


 落ちる! 絶対死んじゃう! ブンブンとかぶりを振って再考を願う。


「跳ばなきゃ死ぬぞ。死にたいなら手を離すけど」

「やだ!」

「じゃあ跳べ!」


 男の子が地面を蹴る。

 立ち止まると二人して真っ逆さまだ。わたしが足を止めるわけにはいかない。


「えいっ!」


 もう自棄やけだった。わたしも地面を蹴飛ばしてまぶたをぎゅっと閉じる。


 浮遊感。


 次の瞬間には下方に足を引かれた。落ちる、落ちる。落ちる! たましいの震えが悲鳴となってわたしののどを震わせる。


 腰の辺りに何かが当たる。背にも温かいものがえられた。少しだけまぶたを開けると、男の子がわたしを抱き寄せていた。

 

 羞恥しゅうちを感じたのもつかの間、男の子を下敷きに葉っぱのクッションに突っ込んだ。パキパキガササと、体の向こう側で子気味いい音が響く。枝や葉のクッションがあっても痛いらしく、男の子がまぶたをぎゅっと閉じた。落ちているのはわたしもなのに、彼が痛みを引き受けてくれたからあまり痛くない。


 不思議な気分だった。わたしが知っている男子は、お世辞せじにも危険から守ってくれる存在じゃない。眼前の光景は現実味に欠けていて夢心地ゆめここちだ。この人まつ毛長いなぁ、なんて場違いなことを考えてしまう。


 ぎゅっと閉じられていたまぶたが開く。


「無事、か?」


 問い掛けられてハッとした。ふわふわした心持ちを気取られないように頷く。


「う、うん、ありがとう。あなたは大丈夫?」

「だい、丈夫。それより早く下りてくれないか? 重い」


 重い。助けてくれた感謝の念がその一言で吹き飛びかけた。


 彼は命の恩人、命の恩人。今のわたしがいるのは彼のおかげ。心の中で自分に言い聞かせて、口元を引きつらせながら慎重に地面を目指す。


 木の幹から手を離し、重力に身を任せて土の地面を踏みしめる。

 男の子が隣に着地して空を仰ぐ。


「まだいるな」


 男の子の視線を追ってぎょっとする。がけの上にまだ鉄の塊があった。銃口を向けてわたしたちを見下ろしている。


「何で突っ立ってるの⁉ 早く逃げなきゃ!」

「大丈夫、あの機体じゃ弾はここまで届かないよ。むしろ問題はこれからどうするかだ」


 わたしは息を呑む。


 ついさっき下を見た限り地面は遠い。飛び降りたら脚の骨が折れるだけじゃ済まない。一般人のわたしには、この状況から脱する手段なんて思い付かない。


 でもこの男の子は違うはずだ。銃を持っているし身なりも軍人風。ロープか何かで下りる手段を用意しているに違いない。


「下りる道具はないの?」

「あーうん」


 少年が気まずそうに目をらす。

 嫌な予感がした。


「ロープは? 懸垂下降けんすいかこうみたいなの」

「難しい言葉を知ってるんだな」

「小説に書いてあったから。それでロープは?」

「あるけど、ここから降りるには長さが足りない」


 足場が消えたような感覚にさいなまれた。顔からサーッと熱が引くのを感じる。

 

 ここから下りられないの? 助けはいつ来るの? わたしたち、これからどうなるんだろう。不安がぐるぐると頭の中を駆けめぐる。


「そんな顔するなって。大丈夫さ」

「何が大丈夫なの? わたしたち、ここから下りられないんだよ?」


 意図せず口調が強めになった。子供っぽいとは分かっていても、気休めの言葉でなだめようとしたその無責任さに耐えられなかった。


 男の子が困惑して頬をかく。


「カリカリしてるなぁ。きっと疲れてるんだ。ちょうど木陰こかげがあるし、ここで一休みするといいよ」

「ばかにしないで」


 中性的な顔立ちをにらみつける。気にしていない様子なのが少しくやしい。


「何だ、疲れてないのか?」

「疲れてるよ。機械に追われて逃げてきたんだもん」

「だったらなおさら休んだ方がいい。長くなるかもしれないし」


 男の子が小枝を拾い集める。がけすみにまとめて設置し、防寒マントの内側から長方形の物体を取り出す。カチッと軽快な音に遅れて紅蓮ぐれんの穂が灯った。集められた枝からもくもくと灰色が立ち上る。


「それ、ライター?」

「知ってるのか?」

「うん。孤児院の人がおたばこ吸ってたから。もしかしてあなたも吸うの?」


 念のため聞いてみた。あのにおいは嫌いだ。この足場は広くないし、こんなところで吸われたら逃げ場がない。


「そんな嫌そうな顔しなくても吸わないよ。このライターは野宿用で持ち歩いてるんだ。タバコなんて見たこともないから安心しろ」


 男の子がライターをポーチにしまう。向き直って口角を上げた。


「ぼくは解代ときしろ。きみは?」

玖城くじょう、です」

「玖城さんだな。状況を確認しよう。ぼくたちはここで救助を待つ。今狼煙のろしを上げたけど、いつ見つけてもらえるかは分からない」

「そう、だよね」


 目を伏せる。助けが来るまでどれくらい時間が掛かるんだろう。ここには飲食物がない。餓死がしなんて嫌だ。


 目がうるむ。不安で喉が震える。同じ施設の子をかばっておとりを引き受けたけど、勇気を出したことを後悔こうかいしそうになる。


 解代くんがポーチから長方形の袋を取り出す。赤と紫が混じって毒々どくどくしい。何が入っているんだろう。


 解代くんがわたしの視線に気付いて袋を差し出す。


「これ食べる?」

「食べるって、これ食べ物なの⁉」

「ああ」


 袋を凝視する。よく見ると商品名が書いてあった。『戦神マルスの指』と言うらしい。


「指って、指⁉」


 思わず自分の手を見る。

 計十本の指。似た物が袋に入っているんだろうか? 想像したら気分が悪くなってきた。


 男の子が目をぱちくりさせる。


「あれ、知らない? マルスってローマ神話の戦神だよ」

「知ってるけど、解代くんはこれを見て何も感じないの? 指だよ?」

「指って言っても、中身はただのパワーバーだぞ?」

「でも指と名付けられた物を食べるのはちょっと」


 何というか、生理的に嫌だ。もっとましなネーミングはなかったんだろうか。


「それは困ったな。これ以外に持ち合わせはないんだけど」


 解代くんがまゆでハの字を描く。胸の奥が微かにふわっとした。

 

 この状況において食料は貴重だ。隠れて一人で食べ尽くすこともできたのに、彼はわたしのために袋を出してくれた。その事実が嬉しかった。


 同時に罪悪感が込み上げた。せっかくの厚意。受け取らないのは解代くんに失礼だ。


「あ、あの、やっぱりもらっていいかな?」

「ん? ああ、いいよ」


 はい。解代くんが微笑みとともに手を差し出す。

 

 袋を握って恥ずかしくなった。一度拒否してからの受取。解代くんに食いしんぼうだと思われないだろうか。


「おーいジン! いるかーっ!」


 わたしの体がぴょんと跳ねた。解代くんが身をひるがえして崖の隅に走り寄る。


「いるよー!」

「トランポリンを用意したぞ! 落ちてこーい!」

「分かったーっ! 玖城さん、こっちこっち」


 解代くんが手招きする。歩み寄って身を乗り出すと、はるか下に円状の器具が設置されていた。その近くには解代くんと似た装いの人影がある。


 助かった。

 そんな安堵が、一瞬のうちに消し飛んだ。


「ねぇ、遠くない?」


 すごく遠い。下で待ってる人たちが豆粒みたいだ。これ、本当に落ちて大丈夫なの?


「よし、行こう」

「無理無理無理っ!」


 死んじゃう! 絶対! わたしは一生懸命かぶりを振る。


「無理と言われてもなぁ。飛び降りないと餓死するぞ?」

「うっ、で、でも……」


 試しに踏み出そうとしても足がすくむ。心臓をわしづかみにされたように動けない。


「……やっぱり無理っ!」


 わたしは数歩下がり、震える自分の体を抱きしめる。


「そっか、無理かぁ」


 解代くんが腕を組んで『んー』とうなる。何を思ったのか、右こぶしの底で手の平を打った。地面に靴跡を刻んでわたしの真横に回り込む。


「時に玖城さん、お姫様抱っこって知ってる?」

「え?」

「こういうのを、言うんだってさ!」

「きゃっ⁉」


 足を掬われた。背と膝裏ひざうらに腕が回され、視界の下方移動が停止する。すぐ近くに解代くんの顔が見えた。思わず身を強張らせる。


 温かい。

 そう感じたのもつかの間。解代くんが地面を蹴った。重力に引かれて下の地面が迫る。


「いやっほぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」


 どこから声が出ているのか分からない。そもそも叫んでいるのはわたしなの? 現実味が欠けていて分からない。


 浮遊感のベクトルが変わった。上へ流れていた景色が弾力を経て下に流れ、そしてやっぱり上に流れる。


 気が付くと、わたしと解代くんはトランポリンの上で跳ねていた。


「どう? お姫様抱っこされた感想は?」


 興味津々な瞳に見据えられる。楽しかった! そんな返事を期待しているのが分かって、体の奥から色々なものが沸々ふつふつと込み上げる。


 でも、取りあえずは――。


「ばかああああああああああああっ‼」


 力の限り罵倒ばとうする。

 やるべきことは、それ以外に考えられなかった。

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