第19話 決闘


 中庭は静かだった。


 ここは穴場。植生する植物が枝葉を伸ばしているおかげで、施設の窓から見下されても目立たない。お昼時を除けば人も集まらないし、ベンチに腰掛ければ服も汚れない。独りで過ごすには都合がいい。


 そよ風に髪をなでられた。樹木と花の香りに包まれて、電子書籍に視線を戻す。


 少年兵になる前から小説や漫画をたしなんでいた。ファンタジーや推理、友人に勧められた恋愛系にも手を付けた。


 恋愛小説は先日まで夢中になって読んでいた。ヒーローに恋する主人公と自分を重ねていたのだろう。ページをめくる手が止まらなかった。


 今は読み進めるのが辛い。先日まで感情移入できていた話が全く頭に入らない。


 展開はクライマックスだ。想い人に呼び出され、告白まで秒読みといったシーン。どんでん返しでも起こらない限りは、ヒロインが告白を受け入れて終わる。論ずるまでもなく幸せな物語だ。


 ハッピーエンド。


 その甘い終わりが、今は嘘くさく思えて仕方ない。耐えられなくなってデバイスのスイッチをプッシュし、青緑の長方形を空気に溶かす。


 ベンチの背もたれに体重を預けて空を仰ぐ。


 空高く広がる蒼穹はどこまでも澄み渡っている。私の陰鬱とした気分とは似ても似つかない空模様だ。ヒロインの幸せを祝ってあげられない、意地悪な自分への当てつけに思える。


「……嫌われちゃったかな」


 口にして、胸の奥がズキッとうずいた。


 ヒロインとの乖離が起こった理由は自覚している。先日逃げるように部屋を出てから、ルームメイトとの関係がぎこちなくなった。朝食は一緒に摂らない。マルスミートを胃の中に詰めて終わり。最小限の言葉を交わして中庭に逃げた。ツムギちゃんはあの補給食を嫌っていた。可愛い顔をゆがめながら食べただろうか。こんなことなら、早起きしてサンドイッチでも作ってあげればよかった。


 一丁前に後悔する自分に気付いて苦々しく口角を上げる。

 

 後悔しているなら今すぐ部屋に戻ればいい。二人に謝って、腕に寄りをかけた料理を振舞えばいい。

 それができないからここにいる。その理由を冷えた頭で考える。


 同僚にからかわれたから。思いつく理由はそれだけだ。考えてみれば大したことはされていない。レオスのタックルと比べれば蚊に刺された程度の痛みだ。


 堂々としていればいい。今の生活が気に入っている。誰に何を言われても、そう言って胸を張ればいい。


 そんなことは分かってる。

 

 でも駄目だった。指を差されてクスクスと笑われたら頭の中が真っ白になる。

 

 きっと後ろめたさがあるからだ。ツムギちゃんの件がなかったら、ルームメイトとの関係は懲罰の探索で終わっていた。小さい頃に助けられたことは特別でも何でもない。ルームメイトにとっての私は、何人も助けた内の一人でしかない。似た境遇の女の子はごまんといるはず。私のことを覚えてなかったのがその証明だ。


 同僚の中の一人。

 いじめの現場に居合わせなかった外野。


 そんなモブが、ツムギちゃんという女の子を介して繋がった。慣れない子育て。理不尽な上司。苦難を共有して、間にあった距離が近付いた。


 だから調子に乗った。大事な場面に居合わせなかったモブでも、ヒーローと特別な関係になれるのだと勘違いをした。


 物語のヒロインなら羞恥しゅうちに臆さず言い返したはずだ。意地悪な同僚相手に、背を向けて一目散に逃げ出したりはしない。


 つまりこれは、落ち着くところに落ち着いただけ。一線を越える前に、自分の気持ちがこの程度だと気付けた。何かの間違いでこんないくじなしが恋人になっていたら、いつかルームメイトを傷付けていた。


 だからこれでいい。これで、よかったんだ。


 目がじーんとしてまぶたを閉じる。下くちびるを噛みしめて、目尻からこぼれそうな熱さをこらえる。


 泣くな。私にその資格はない。聞き分けのない自分を戒めるべく、噛む力を強める。


「やばい! もうこんな時間だ!」


 慌ただしい靴音が鳴り響いた。他に人がいたことに気付いて身をすくめ、少しでも体を小さくして木陰に隠れようと試みる。まるで悪いことをした子供のような気分だ。私は何も悪いことをしていない。少なくともあの二人以外に私を責める権利なんてない。


 悔しくなってベンチから腰を浮かせる。そーっと歩みを進めて、枝から垂れ下がる葉を隠れ蓑にして様子をうかがう。


 二人の男子が歩行スペースを踏み鳴らしていた。一人が周りを気にすることなく声を張り上げる。


「遅いぞ! もっと速く走れ! 首席と三位の決闘なんて、これを逃したらもう見られないぞ!」

「……え?」


 口から素っ頓狂な声がこぼれた。


 決闘。正否の判断ができない時に適用される、力ある者を残すための催し。実際に目の当たりにしたことはないけど、そういった規則があることは知っている。


 気がかりなのは、その決闘にルームメイトが関わっていることだ。相手がレオスというのも因縁めいたものを感じさせる。


「……まさか」


 確証はない。根拠もない。


 だけど解代くんが、彼自身のために戦う光景は想像できない。彼は私と部屋を共有するまで、同僚との関係を断って孤独に過ごしてきた。今さらレオスの安い挑発に乗るとは思えない。


「行かなきゃ」


 確かめなきゃいけない。解代くんが彼自身のために戦うならそれでいい。


 けれど、もし決闘の意義が別にあるのだとしたら、多分私には決闘を見届ける義務がある。


 私は意を決して物陰を出る。小さくなる同僚の背中を追い掛ける。


 ◇


 十時。俺は取り決め通り訓練場の地面に立つ。


 市街戦を想定した訓練場。人工的な地面からは壁が伸び、視界を悪くして地形を複雑化させている。助走をつければ越えられそうだが、失敗すれば痛い目を見る。自身の身体能力と要相談だ。


 俺は視界に映る顔を睨み付ける。


「逃げなかったことは褒めてやる」


 正面にあるレオスの顔が憎々しく歪む。プロテクターとシューティング・グラスで飾られ、ただでさえ強面の顔がさらにいかつく見える。


 俺も同じ物を付けている。決闘に使われるのはゴム弾だが、過去に死傷者を出した前例がある。万が一の負傷を避けるための防具だ。


「ぬかせ。その鼻っ柱へし折ってやる」


 悪態を無視して、青白い壮年に横目を振る。


 立会人の教官は、相も変わらず立体映像で参じている。映像デバイスの近くには長方形のケースが二個置かれてある。


 ホログラムの口が開く。


「ルールを確認する。これよりゴム製の弾で決闘を行う。相手が降参したら勝利。解代が勝ったら、グリモアードは玖城ミカナ、およびそのルームメイトのプライベートに関わらない。グリモアードが勝ったら、解代のファースト・マントをグリモアードに委譲する。よろしいか?」


 俺は首を縦に振る。憎たらしい顔も縦に揺れる。

 青白い顔が頷く。


「ハンドガンを用意した。ゴム弾を装填してある。双方、得物を確認しろ」


 俺はスーツケースに歩み寄って腕を伸ばす。

 蓋を開けると一丁のハンドガンが収まっていた。銃のグリップを握っては開き、その形を手に馴染ませる。


「各自散開。一分後に開始を宣言する」


 レオスに背を向けて走る。振り向くと、長めの金髪が曲がり角に消えた。


 しばらくして教官のアナウンスが響き渡る。


「それでは指導教官たるこの私、コルド・ギャビストンが見届ける。試合開始!」


 靴音に気を付けて足を進める。


 戦場は広い。距離があれば多少の靴音は空気に溶け消える。ドタバタ走っても大して影響はない。

 

 まずはその考えを捨てた。何せ壁が多すぎて視界が役に立たない。レオスが壁の向こう側にいても、靴音を抑えられては気付きようがない。先に補足されないためにも、音は可能な限り抑えた方が賢明だ。


 それにしてもこのステージ、中々に嫌らしい。

 

 障害物だらけの空間。どうしても背後と曲がり角が気になる。背後を取られていないか、待ち伏せられていないか、時々確認したい衝動に駆られる。


 その分頭上への警戒がおろそかになる。普段頭上を気にして歩く者はいない。不慣れな仕草に注意を取られ、他の警戒がないがしろになる。奇襲は実力差に関係なく勝利をもぎ取れる常套手段だ。レオスがそれに気付くか気付かないか、勝敗はそこに左右される。


……来た。察して息を潜める。


 静寂と緊張によるプレッシャーに負けたのか、右方から靴音が近付く。

 俺はそっと銃を構えて時を待つ。曲がり角から無防備な体がはみ出した。


 勝った。確信してトリガーに指を掛ける。

 絶好の発砲タイミング。地から離れた足では、曲がり角に戻ることも叶わない。不意打ちを命中させて終わりだ。


「――なっ⁉」


 思わず目を見張る。


 引き金はとうに引き絞った。銃口から飛び出た弾が、決闘の勝敗を決定付けるはずだった。


 確実と思われた想像とは裏腹に、銃口からゴム弾は飛び出さなかった。


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