発達障害の当事者です。
小6のときに診断が下りましたが、スティグマで(よく少年犯罪に発達障害が多いというあれです)苦しみ、解離性障害にもなりましたが、ついついカクヨムでも関連した内容には目が入るんですね。
まず、タイトルが秀逸ですね。
小麦のように自分の存在も散ってしまうほど、今日という檻に縛られている。
小麦粉をこねた人なら分かる、あの儚さ。
でも、小麦って、たくさん、麦畑で踏まないと小麦粉にならないらしいです。
人生に例えれば、踏まれて、踏まれて、また、踏まれて。
もちろん、そんな容易くはない、と私自身の人生も悲鳴を上げていますが。