第2章(2-1)

2012年11月下旬。そのときボクは28歳で、iPodで前田敦子の『君は僕だ』をヘビロテしていた。去年まで冬になると着ていたフリースの手触りがごわつき出したので、新宿で新しいものを買った。


昨日までロンT一枚で腕まくりをしてちょうどよく過ごせていたのに(暖房の効いたショッピングモールや大きな会社のビル内に入ってしまえば半袖でも余裕なくらいだった)、突然隙のない寒さへ移り変わった。


季節のグラデーションはここ数年なくなりつつあって、秋のファッションなんかを楽しもうとすると暑くて耐えられなかった。2年前から着るタイミングがわからなくなったレザージャケットを昨日ついにフリマアプリで出品した。


地球温暖化のせいだ。いや、人間のせいだ。僕たちは平気で食べ物を残すし、エアコンをかけたまま眠るし、何かと水を出しっぱなしにする。いつ海や山が機能しなくなるともわからない。人間が生態系ピラミッドの頂点に君臨していられるのもあとわずかかもしれない。


人間はたぶん地球上で1位2位を争うくらい不自然な生き物だ。僕は時々、自分も含めて人類は生まれてきてよかったのだろうか、と思うことがあった。


そうは言っても、数時間前に食べた昼食もプラスチック容器に入ったコンビニのそばだったし、割り箸もビニール袋も異国の店員からしっかり受け取って平然と捨てた。


せめてもの罪滅ぼしにと、今日も僕はこの世の中をほんの少しよくするため仕事をする。つい最近折りたたみ式携帯から思い切って乗り換えたスマホを見つめた。最先端の機器を所持している自分に未だに慣れない。時刻はPM 7:10だった。取材現場へ向かうのにいい頃合いだった。見せびらかしているようで気恥ずかしくなり、時刻を確認してすぐにスマホをスラックスのポケットにしまった。



僕の仕事はネット記事を書くことを専門とするライターだった。3年前にほとんど見切り発車で独立したので、とくに出勤時間に決まりはなかった。会社員のような縛りがない分、生活時間は常に不規則だった。けれどこの不安定な生活が僕にはけっこう合っていた。


僕は幼い頃の母親とのいざこざから、愛ってやつの正体がまったくわからなくなって、今でも日常生活に支障が出るくらい悩んでしまう瞬間があった。それについての答えを長年探し続けていた。


女性のことが好きな女性や二次元アイドルにはまりすぎて破産した人、ストーカーをして逮捕された人なんかにその人なりの愛について取材をしている。そのとき僕はいつもその愛が正しいか間違っているかは考えないことにしていた。


僕は愛が必ずしも素晴らしいものばかりではないのだということを母親の姿を見て知っていた。その人の愛はそういうものなのだということだけを単純に理解できれば、個性をけなす必要がなくなって、極端な例では人を殺すこともなくなるのではないかと思っている。


そして僕も、自分の気持ちにぴったりおさまるような愛を知ることができれば、母との過去を受け入れられる気がした。



取材予定の人物が働いているスナックの前までやって来て、僕はもう一度その人に連絡を入れた。電話の向こうでコールが続いている。僕はコンバースの黒一色で成り立っているチャックテイラーを履いた足でコンクリに散らばった砂利を踏みしめた。11回目のコールでようやく繋がった。


「もしもし、今夜取材させていただく橋本です。もう中に入ってしまっていいですか?」


「あ、待って待って、今夜はダーリンと会うことになったからやっぱりダメ。その気にさせといてごめんねえ」


彼もしくは彼女は、新宿二丁目にあるバーのママだった。気まぐれな人でこれまで3度もそんな理由で取材が延期になった。今夜こそと息巻いて来たのだけれど、やはり一筋縄ではいかない。


「わかりました。また連絡しますね」


「待ってるわね」


ママの決まり文句に僕は、はは、と軽く笑って耳からスマホを離した。タッチパネルをまだ十分に使いこなせず、なかなか通話を終了できない。ママは自分からは切ろうとせず、手こずる僕を静かに待っていてくれた。そういった部分は実の母親よりもずっと優しい。


僕はもう一度送話口に口を近づけ「失礼します」と言って今度こそ通話を切った。すっかり予定が空いてしまい、新宿三丁目にある行きつけのカフェバーへ行くことにした。


僕は移動しながらその店のツイッターをチェックしていた。本日のメニューをまめに更新してくれているので偏食気味な僕としては非常に助かる。ちょうど先ほど更新された投稿を見つけて、僕は息を飲んだ。

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