商売人令嬢は婚約破棄されたって平気、だって契約書があるから

アソビのココロ

第1話

「クリスタル・ローゼンバーグ侯爵令嬢。本日をもって貴女との婚約を破棄させていただく!」

「こ、困ります!」


 ついに言ってやった。

 学園主催のサマーパーティーも終わりがけの時間帯だ。

 少々倦んできた頃合いだから、衆目を集めるのに丁度いいだろう。

 ふふん、オレだってエンターテインメントのタイミングくらい心得ているのだ。


 クリスタルのことを嫌いなわけではない。

 オレが王家の一員としての義務を忘れたのでもない。

 ただ何だろう、気に入らないのだ。

 何もかもを見透かしたような顔が。


 順調に行くならクリスタルは王妃だぞ?

 ローゼンバーグ侯爵家の重要性はもちろんわかっている。

 が、あんなに金に執着するクリスタルが将来の王妃でいいのかという問題提起もある。


 しかしこんなに慌てふためいているクリスタルを見るのは初めてだ。

 婚約者で第一王子たるオレ、スターリング・キャヴェンディッシュを、いつも遠くから眺めるような視線で見ているのにな?

 時々今みたいな人間らしい姿を見せてくれれば可愛いのだが。


 クリスタルがらしくない大声を張り上げる。


「スターリング様、ルールに反しております!」

「何のルールだ?」

「王子が婚約破棄する際は、小脇に可憐な令嬢を抱えなければいけないんですよ?」

「そんなルールはない!」

「オレはこの可愛い子猫ちゃんと婚約するのだ。だからお前はいらん。子猫ちゃんを虐めたお前は国外追放だ、というのがスタンダードです」

「こ、国外追放? そんなつもりは……」


 生徒達が笑い始めた?

 まずい、クリスタルのペースになりつつある。

 巻き返さないと。


 待てよ?

 クリスタルが困るのは何故だ?

 あっ、さては!


「支度金を使い込んでるだろう!」

「つ、使い込んでるだなんてそんな。ちょっと新しい事業に投資しただけで……」

「支度金は投資用途の金ではない!」

「あーれーお許しくださいませー」

「許すわけないだろうが!」

「せめて二年だけ契約破棄を待ってくだされば……」

「契約破棄じゃなくて婚約破棄だ!」


 大爆笑だ。

 どうしてクリスタルとの掛け合いはお笑いの雰囲気になってしまうのだろう?

 おちゃらけたところが嫌いだ。


 クリスタルとの縁は生まれた時にまで遡る。

 互いの母親が親友同士であり、オレとクリスタルは同日に王宮で生まれ、誕生の日の内に婚約したのだという。

 もちろん覚えてはいない。


 幼い頃のクリスタルは本当に愛らしい子だった。

 この天使は翼をどこに置き忘れてきたんだろうと、真剣に考えたことがあったくらいだ。

 それがどうして『商売人令嬢』と人の口に上るまでになってしまったのか。


 今でもクリスタルは美しい。

 ウェービーな薄い金髪ロングヘアに青空のような大きな瞳、外見だけならストライクドンピシャだ。


 ただその笑顔は商売人の表情なんだよなあ。

 徐々に深まる違和感と溝。

 どうしてこうなった?


 今だってそうだ。

 学園でのオレの成績は総合ではトップだ。

 しかし領地経営学と魔道系の科目では、どうしてもクリスタルに勝てないのだ。


 魔道系の科目は仕方ない。

 クリスタルは魔力オバケだから。

 持って生まれた魔力量の差を覆せると思うほどオレは愚かではない。


 とはいうものの領地経営学は別だ。

 今では政務も少し任されている第一王子たるオレが、商売人令嬢ごときに負けちゃいけない科目だろ?

 どうなっているんだ?


「まあまあ、スターリング様。お怒りをお鎮めになってくださいな。またアップルパイを作って差し上げますから」

「くっ、いかにクリスタルのアップルパイが絶品とは言っても誤魔化されぬぞ!」

「スターリング王子もお気に入り、水晶屋のアップルパイをよろしくお願いします!」


 宣伝するな!

 クリスタルは一時期凝ってアップルパイばかり作っていた時期がある。

 魔力に飽かせて専用の氷室を建て、一年中アップルパイを提供できる体制を作って、今では王都の名物になっているほどだ。

 商売人令嬢とはよく言ったものだ。


「今日はお怒りが深いようですね。どうされたんです?」

「どうもこうもない! 気に入らんのだ!」

「また添い寝して差し上げますから」

「いつ添い寝した!」


 またクリスタルのペースだ。

 どうしてこうなる?

 あああ、クスクス笑いが恥ずかしい。

 いっそ大爆笑してくれ。


「そもそも何が御不満なのでしょう?」


 こてりと首をかしげるクリスタル。

 可愛いのは知っているとゆーのに。


 不満、と言えるかどうかわからない。

 このままだとクリスタルとうまくやっていくことはできない、という漠然とした予感。


「……いつもではないか」

「はい?」

「いつもクリスタルはふざけているではないか! その態度がオレの妃にふさわしいとでも思っているのか!」


 あれ? 珍しく効いてるぞ?

 同じような笑顔を続けていてもオレにはわかる。

 あれは動揺を表に出さないために貼り付けた笑顔だ。


「……私は笑いの絶えない家庭を作りたいと……」

「芸風を磨くという意味ではない!」

「そんな……私は間違えて……」


 お涙&お笑いちょうだいのパターンじゃない。

 マジで効いてるな。

 どうしたんだろう?

 オレの方が心配になってくるんだが。


「スターリング様は本気で契約破棄したいとお考えなんですね?」

「婚約破棄な? ああ、その通りだ」

「……わかりました。一旦距離をおきましょう。頃合いかもしれません」


 おかしいな?

 クリスタルは何だかんだでオレのことを大好きなはずだが。

 オレもクリスタルに譲歩を求めるつもりだっただけで、実際に婚約破棄になる可能性は低いと考えていた。

 こんな簡単に婚約破棄に応じるとは、どうした風の吹き回しだろう?


 クリスタルの威厳を込めた声が会場に広がる。


「誰ぞある!」

「はっ!」


 一般生徒が驚く中、一人の男がクリスタルの下へ参じる。

 王家の影だ。


「例の紙を持ってまいれ」

「はっ!」


 凜と響くクリスタルの声。

 いつもそういうクールな面を見せていればいいのに。


 しかし例の紙とは何だろう?

 まるで心当たりがない。

 どうなるのだろうと一般生徒達がざわめく中、影が戻ってくる。


「これに」

「うむ」


 クリスタルがその紙に目を通し、何かを記入してオレに差し出してくる。


「サインを願います」

「ん? ああ」


 何々?


 スターリング・キャヴェンディッシュとクリスタル・ローゼンバーグの婚約解消に伴う留意事項。


 一:本紙の条項は上記両者のサインによって発効すること。

 二:本紙条項の発効により、上記両者の婚約に関連する全ての契約は破棄されること。

 三:婚約の解消に付随する違約金慰謝料等の資産の授受はないものとすること。

 四:上記両者の再度の婚約に至る場合、支度金は倍とすること。


 用意がいい、というかこんなものがあったのか。

 しかも陛下とローゼンバーグ侯双方の印が押してあり、クリスタルも今サインしている。

 オレがサインすればすぐ発効するということだ。


「……これ、魔術紙だな?」

「婚約も契約ですからね。当然縛りはありますよ。それより第三項を読んでください。資産の授受はなしですよ。支度金は返しませんから!」


 なるほど、どちらが原因で婚約が破れた場合でもダメージを少なくする措置か。

 こちらも慰謝料を払わなくていいということだ。


 それにしても、この期に及んで言いたいのは金のことか。

 オレに対する情はなかったのかと怒鳴りたくなるな。

 詮無いことか。


「ところで第四項、これは何だ?」

「もう一度私と婚約したくなっちゃった場合、もっと支度金を払えばかないますよというセカンドチャンスサービスです」

「……ひょっとしてこの条項はクリスタルが付け加えさせたのか?」

「はい。わかっちゃいました? さすがスターリング様です」


 何をニコニコしているのだ。

 商売人の笑顔で。

 再びの婚約なんてあるわけないだろうが。


「ではサインをする」

「はい」


 オレの手元でなく、顔を見つめるクリスタル。

 今更そんな心配そうな顔をしてもダメだ。

 サインを書き終える。


「これで……」


 何だ? 力が抜けてゆく。


「ああ、やっぱり。担架を! スターリング様を医務室に運んで!」


 何が起きた?

 意識が急速に薄れてゆく……。


          ◇


「魔力亡失症? オレが?」

「はい」


 医務室で意識を取り戻したオレは、王宮から呼び出されたオレの侍医から事情を聞く。

 侍医が語り出す。


「身体に魔力を蓄えておけないという生まれつきの病です。ほとんどのケースでは診断と処置が遅れ、死に至ります。スターリング様は運がよろしかった」


 王家に生まれたため魔力亡失症とすぐ診断できる侍医に恵まれ、対応も可能だった、か。


「だからオレは今、魔石を持たされているのか」

「さようでございます」


 魔石から魔力を得て、命を維持しているというわけだな。

 しかし?


「おかしいじゃないか。オレは今まで魔石など持たされていた覚えがない」

「殿下御誕生の際、お傍にはクリスタル様がおられました。クリスタル様は逆に魔力が多い体質でございました。魔力亡失症よりは対処しやすいですが、それでも意のままになせぬ幼児の内は目の離せぬ症状でございます」

「ふむ?」

「陛下妃殿下とローゼンバーグ侯爵御夫妻は考えました。スターリング様とクリスタル様を婚約させ、同時にクリスタル様の魔力を必要量スターリング様に流し込む契約魔術を施せば全てうまくいくと。王宮にはそれを可能にする宮廷魔道士がおりますから」


 なるほど、合点がいった。

 あの魔力オバケのクリスタルがオレに魔力を与えてくれていたとは。

 

「クリスタルはオレの魔力亡失症のこと、契約によりオレに魔力を流していたことは知っていたんだな?」

「御両親から聞かれていたものと思われますな」

「今までオレには一言も……」

「魔力亡失症は年を経るに従って改善されるケースがあるのです。スターリング様の場合はクリスタル様との契約で自動的に魔力が流れてきますので、現在どうかということを把握する手段がありませんでした。この度の婚約破棄で、図らずも病状が治癒傾向にないということがわかりましたが」


 図らずも?

 いや、クリスタルのことだ。

 確かめる意図があって婚約破棄に同意したのかもしれない。


 父上母上がオレに何も言わなかった理由もわかる。

 王家とローゼンバーグ侯爵家の契約だ。

 婚約破棄なんかしなければ、オレが王になるまでは知らなくてもいいことだったから。


「よかった! スターリング様、目を覚まされたのね?」


 にこやかな笑顔でクリスタルが入室してきた。


「ああ、迷惑をかけたな」

「よろしいんですのよ。スターリング様と私の仲ではありませんか」


 何だろう?

 オレの婚約者という立場に胡坐をかいていたのではないかとも思われたクリスタルの態度が、全てが明らかになった今、当たり前のように思える。


 自然に頭が下がる。


「その……すまなかった」

「いいんですのよ。殿方はやんちゃしたい時期があるものらしいですから」


 やんちゃしたかったわけではないのだが。

 しかしクリスタルがこんなにできた女性だったとは。


「オレは君のことが何も見えていなかったようだ」

「そんなことはありませんのよ。スターリング様はいつも私のビューティーフェイスを褒めてくださっているではありませんか」

「自分でビューティーフェイスって言っちゃうんだな」

「正直者ですので」


 アハハと笑い合う。

 クリスタルの望む笑いの絶えない家庭とはこういうことか。

 理解していなかったのはオレの方だ。


 侍医が言う。


「クリスタル様はスターリング様の魔力亡失症については御存知でしたのですよね?」

「はい。あ、ということはスターリング様も?」

「今聞いた」

「では、スターリング様と私の婚約についての詳細も?」

「いや、君の魔力をもらうこととセットだったということ以外は何も」

「婚約の支度金とは別に、毎年王家がローゼンバーグ侯爵家にかなりの金額を支払う契約になっております」


 知らなかった。

 が、当然だろう。

 生まれたばかりの娘、そして莫大な魔力を宿した他にない存在と引き換えなのだから。


「これは私の推測ですが、王家の財政はかなり苦しいのではないかと」

「……」


 心当たりがある。

 長じて知ったことだが、父上も母上も驚くほど私生活は質素だ。

 倹約を口にすることも多い。

 オレの命を繋ぐ契約のせいだったとは。


「私が稼ぎます!」

「は?」

「スターリング様の妻たる私が王家主導の事業を興し、稼げば何の問題もありません。現在私の主導する三事業は完全に軌道に乗っております。ローゼンバーグ侯爵家に関係のない、私の事業です。小なりとはいえ、必ず王家とスターリング様のお役に立ちます!」


 熱に浮かされたように言葉を紡ぐクリスタル。

 商売人令嬢と呼ばれる実態までもオレのせいだったのか?


「今考えてるのは有用な魔道具の開発とその量産化ですね。私の魔力と宮廷魔道士達の協力があれば可能です。絶対に儲かります!」

「宮廷魔道士を手下にすることを考えているのか。程々にな」

「はい、頑張ります! 運命の旦那様のためですから」

「運命の旦那様?」

「だってそうではありませんか。日も場所も同じくして生まれて、互いに補い合える存在ですよ? そんな偶然ありませんよ。これは運命なのです」


 涙が出てくる。

 クリスタルがそこまで考えていたのに、オレのやっていたことはいかにも子供っぽい。

 拗ねていただけではないか。


「私は愛するスターリング様のためにしっかり稼いでみせます!」

「その宣言は色っぽくないと思うが、クリスタルの気持ちはよく伝わった。ありがとう」

「ついてはスターリング様にお願いがあるのですが」

「何だろう?」


 あれ? その笑顔は商売人の笑顔だな?


「私と婚約を結び直していただけないでしょうか」

「もちろんだとも!」

「第四項に従って」


 第四項……あっ! 再度の婚約に至る場合、支度金は倍とすること?


「婚約破棄をなかったことには……」

「できるわけないでしょう。婚約が解消されたからこそ契約が破棄されたんですから」

「もっともなことだ……」

「契約は絶対ですよ? 私は商売人として契約は必ず守ります!」


 商売人は否定しないんだな。

 わかってたけど。


「私は信じています。スターリング様が再度の支度金を用意してくださることを」

「……」


 可能だろうか?

 ただでさえ王家の財政は厳しいと理解したところなのに。

 ああ、父上母上にどやされそうだ。


「大丈夫ですよ。私がついておりますから」

「クリスタル……」

「低利で貸し付けて差し上げます!」


 ああ、商売人スマイルが消えない。

 クリスタルの商売人根性はパねえ。

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