第64話 昏睡


 すぐにジョエルはモリエール邸に戻り、医療チームのリーダー、フランクを連れ出した。


 フランクも事前に聞いていたようで、医療セットと薬を既に用意しておりすぐに出立することが可能だった為、ジョエルは時間を置かずにまたルマの街の大神殿まで戻ってくる事ができた。


 待っていた司祭により案内された部屋は、恐らくこの大神殿で一番良い部屋なのだろうと思えた。

 

 広々とした室内に、整理整頓が行き届いた清潔な部屋。調度品等は無いが、家具やカーテンや敷物等は何処か上質さを伺える物であって、貴賓を迎え入れる為に用意された部屋なのだと言う事は説明されずとも分かる程に、質素ながらも上品さ溢れる部屋となっていた。


 窓際に置かれたベッドにシオンが寝かされていた。フランクはシオンを確認してから、すかさずリュシアンを見つめた。


 

「公爵様、もしや患者は奥様なんですか?!」


「そうだフランク。薬の用意を頼む」


「ですが……」


「分かっている。だがそれでも仕方がない。それ以外の方法が今は無い……!」



 悔しそうにするリュシアンを見て、それ以上何も言えなくなったフランクだが、二人のやり取りを見てジョエルは思わず口を挟む。



「待ってください公爵様、お薬に何か問題でもあるのでしょうか?」


「ジョエル……」


「答えてください! フランク様、どう言う事なんてすか?!」


「この薬はまだ臨床実験はされておりません」


「なんですって?!」


「あとは臨床実験を行い、副作用の有無を確認し経過を記録し、問題無ければ承認する手筈となっていた新薬だ」


「では副作用が起こるかも知れないって事なんですよね?!」


「……そうだ」


「この薬を使ってお嬢様に何かあったらどうするんですか?!」


「ではどうしろと言うんだ?! この疫病の致死率は80%以上なんだぞ?! 全身骨が砕けるような痛みに襲われ、内蔵が次々と壊死していくんだぞ?! このままではほぼ助からないんだ! 体の弱いシオンが……こんなに痩せて抵抗力も無さそうなシオンが助かるには、感染したばかりの今が一番効果的なんだ!」


「……っ!」


「お前の言いたい事は分かっている。私だって同じ気持ちだ。何かあったらと、考えなくもない……だが他に出来る事があるのか?! あるなら教えてくれ! 頼むから教えてくれ!」


「……申し訳ありません……」



 それ以上ジョエルは何も言えなかった。リュシアンの訴えは痛い程に分かってしまうから。同じように他に何か方法があるなら、ジョエルも教えて欲しいと思ってしまったから。


 

「……では公爵様。お薬の用意を致します」 


「あぁ、フランク。頼む」



 瞳を潤わせて、リュシアンはシオンを見つめる。その目は切なく、だけど愛しい人を見守るようだった。

 ジョエルはもう何も言えなかった。きっと誰よりもリュシアンはシオンを助けたいと思ってくれているだろうと知ったからだ。そしてこれからは自分ではなく、リュシアンがシオンの傍にいるだろうという事も。


 フランクが鞄から粉末状の薬を取り出し、それを容器に入れ、聖水を注いで混ぜていく。そうすると混ぜられた薬は青白く発光していった。

 

 フランクがそれを手渡そうとすると、リュシアンは大切な物を受け取るように両手のひらを差し出した。

 受け取った薬に願いを込めるようにしばらく目を閉じ、ゆっくり目を開けてからシオンを抱き起こす。しかしシオンの唇はかたく結ばれたままだった。


 

「シオン、君を助ける薬だ。何があっても、何が起こっても、私は絶対にシオンを助ける。今まで酷い事をしてきた私だが、信じて欲しいんだ」



 そう言うと、リュシアンは手に持った薬を自分の口に含ませた。

 そしてシオンの口に自身の唇を当て、口移しで少しずつ少しずつ薬を飲み込ませた。


 喉元に薬が流れ込むのを確認してから、そっとシオンを抱き締めて、それから優しくベッドに横たわらせる。


 髪を撫で、頬を撫で、唇にそっと触れてから、両手でシオンの手を握る。冷たくて細い指に心がズキリと音を鳴らす。

 

 あとはどうなるか。薬はちゃんと効いてくれるのか。副作用は出ないのか。


 祈るようにリュシアンは握った手を額につけて、シオンの目覚めを待ち続けた。


 だがシオンは一向に目を覚まさなかった。


 痛みに苦しむ様子もなく、ただ眠っているような状態が続き、リュシアンは心配で昼夜問わずシオンの傍に居続けた。


 リュシアンの書類仕事はシオンの傍で行い、ジョエルは昼間はシオンが大切に育てていた別邸の庭の世話をしに戻り、夜になると大神殿の部屋に戻ってくるという毎日を送っていた。

 世話係としてメリエルもここにいて、シオンの体を拭いたり服を着替えさせたり、流動食を食べさせたり薬を飲ませたりとしていた。


 夜はリュシアンはシオンの眠るベッドの近くに置いたソファーで眠り、いつでも目覚めたシオンに寄り添えるようにしていた。


 シオンが眠り続けて12日後の事。


 この日もリュシアンはシオンの傍で書類仕事を続けていた。そこにセヴランが訪ねて来る。



「リュシアン様、そろそろお戻りになって頂けませんか?」


「それはできない」


「ですが私では処理できない仕事も多くございます! 騎士達の管理もそうですが、王城へ赴く事もです! 国王陛下より登城せよとの書状が届きました!」


「大声を出すな。お前の声でシオンを目覚めさせたくはない。目覚めるなら、気持ちよく目覚めて欲しいのでな」


「そんなっ!」


「部屋を出て話をしよう。不快な会話は聞かせたくない。アイブラー嬢、シオンを頼む」


「承知致しました」



 リュシアンが部屋を出た後、今のうちにとメリエルはシオンの体を拭こうとした。布団を退けて、前開きの寝着のボタンを外そうとしたところで、肩が僅かにピクリと動いた。


 

「え……? 奥様?」



 シオンの顔を見ると、目を薄っすらと開けている。それは何処を見るでもなく、呆然としたような状態であった。



「奥様! お目覚めになられたのですね?!」


「え……」


「すぐに、すぐに公爵様をお呼びしますので! お待ちくださいね!」



 慌ただしくメリエルは部屋を出て行った。


 リュシアンを探すが、何処にいるのか分からない。ここは大神殿だ。勝手知ったるモリエール邸ではない。部屋を出ると他の司祭達の部屋があり、食堂があり、それを抜けると懺悔室があって礼拝堂がある。今も多くの人々が礼拝をしに女神像の元へと集っている。


 辺りを見渡し、リュシアンの姿を探すも見当たらない。もしかすると、外に話をしに行ったのかも知れないと思い、メリエルは裏手から外に出た。


 そこで言い合うリュシアンとセヴランを見つけた。



「公爵様! 奥様が! 奥様がお目覚めになられました!」


「なに?! シオンが?!」



 セヴランとの話はどこへやら、すぐにリュシアンはシオンのいる部屋へと駆け出して行ったのだった。


 


 




 


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