第35話 憧れの存在


 仕上がった御守りは胸ポケットに入る程の大きさとなっている。

 その為、刺繍もあまり大きくは出来ず、得意な人でさえも苦労する物なのだが、何とかシオンは細部も丁寧に必死になって刺繍を施していった。


 お陰でシオンの右手には針で刺した痕がいくつもできて、今も所々包帯が巻かれている。麻痺してそれに気づかないシオンの作業を止めるのにジョエルもメリエルもいつも必死だったのだが、それもようやく終わったと二人はホッと一息ついた。


 

「シオンお嬢様、凄いです! 慣れない左手で、こんなに繊細にお上手に仕上げられるなんて!」


「右手でされていた頃よりは若干劣りますが、それでもこの完成度は素晴らしいです」



 辛辣な意見を言うジョエルだが、素直な言葉にはシオンはいつも助けられている。今回も飾らない意見で良かったと思った。だからジョエルの言葉にシオンは安堵した。



「良かった。あまり上手くはできなかったけれど、今できる精一杯の出来栄えよ」


「それは……ゴールドドラゴン、ですか?」


「ちゃんとそう見えたのね」


「はい。伝説の龍、ですよね?」


「えぇ、そうよ」



 シオンは前世を思い出す。


 孤児院にいた頃、置いてあった絵本に夢中になっていたリアム。


 その物語は、勇者が魔王を倒すにあたり強大な力を持つ仲間を必要とする為、全ての龍種の頂点に君臨するゴールドドラゴンを説得し、試練に打ち勝つ事により仲間にする。その後いくつもの困難に立ち向かい、共に魔王を倒す事ができたといった内容だった。

 

 リアムはそこに出てくるゴールドドラゴンを、なぜか主人公の勇者よりも気に入っていた。威厳ある、力強いドラゴンのトップに君臨するゴールドドラゴン。穏やかな性格でありながら、何よりも強いその存在に憧れたのだろう。

 

 幼いリアムは、いつか自分もゴールドドラゴンに会って仲間にするんだと言っていた。それから大きくなっても、それが伝説であり架空の存在だとからかわれたとしても、ゴールドドラゴンへの憧れは変わらなかったのをノアは知っていた。


 だからそれを刺繍した。


 そんな事はもう忘れてしまっているかも知れない。もうゴールドドラゴンの事等、何とも思っていないかも知れない。だがシオンはそれを刺繍したかった。

 御守りの刺繍に強さの象徴であるものを施すのはよくある事で、ドラゴンは多く用いられる図柄なのだが、シオンはこれでノアだと気づいて欲しいと考えてそうした訳では無い。


 ただ無事にと、憧れだったゴールドドラゴンと共に戦いに挑んで欲しいと、それだけの理由であった。



「それでね、メリエル、お願いがあるの」


「はい。なんでしょうか」


「これをね、貴女から公爵様にお渡しして欲しいの」


「え?! なぜですか?! シオンお嬢様がお渡しになれば良いじゃないですか!」


「公爵様は私の顔を見たくないと思うの。私から手渡されるのも嫌だと思うし……」


「そんなお綺麗なお顔をされていらっしゃるのに、なぜ見たくないと思われるんですか?!」


「私の顔が嫌いだからよ」


「どうして……っ!」



 そう言ってシオンは悲しそうに微笑む。前世の記憶はリュシアンにはないのかも知れないが、シオンの顔を見るリュシアンの目はいつも恨むかのように睨み付けていた。好かれていると思う方がどうかしている。分かっている。自分は嫌われていると。


 

「だからお願いよ。メリエル」


「私からもお願い致します。メリエル嬢」


「シオンお嬢様……ジョエルさんまで……分かりました。私が公爵様にお渡し致します」



 メリエルが承諾すると、シオンは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔はとても美しく、女神や天使かと見紛う程だと思った。


 こんな美しい人をなぜ嫌うんだろう。


 と考えてから、シオンが悪女として名高い事を思い出した。メリエルはもうすっかりそんな事は忘れていて、シオンをただの美しい憐れな生い立ちの、冷遇された貴族令嬢だという認識に変わっていたのだ。


 質素な紙袋に入れられたシオン手製の御守り。受け取ったメリエルは、それに相応しい包装にしたいと考えた。


 

「シオンお嬢様、この御守りを丁寧に包装してもよろしいでしょうか?」


「え、えぇ、もちろんよメリエル。ありがとう」


「いえ! こんなに素敵な御守りなんです! それに見合うようにしたいだけです!」



 シオンはメリエルの申し出が嬉しかった。今まで自分に優しくしてくれる人は限られていて、殆どの人達はシオンを冷遇し、虫けらでも見るような目を向けてきたから、単純にメリエルの優しさを受け入れていいのかどうかが憚られると感じられるのだ。


 それでも縋りたくなってしまう。 今シオンを思ってリュシアンと交流が出来るのはメリエルだけなのだから。それに縋ってしまうのは仕方のない事だった。


 狩猟大会には一般的に婚約者や伴侶が同席するのが通例となっている。しかしシオンはリュシアンから何も聞かされていないし、本邸からも誰からも、狩猟大会がある事すらも聞かされてもいなかった。


 それには寂しく悲しい思いをしたが、ずっと上手く歩くのも難しいし、他の貴族令嬢と仲良く話せるとも思えないので、シオンは参加できなくても仕方のない事だと思っていた。

 

 しかし明日が狩猟大会だと言うのに、それは前日になって知る事となったのだ。




 

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