密やかに恋を読む ~幼馴染年上司書とエンジニア年下男子のやんごとなき新婚事情~

宇月朋花

第1話 早暁(そうぎょう)-1

自分が全力で、迷うことなく自信を持って発した言葉が、誰かを深く深く傷つけた瞬間を目の当たりにした時、最初に胸の浮かんだのは、後悔よりも衝撃だった。


真っすぐ届くはずだった響きが、目の前で弾かれて閑散とした駅のホームのアスファルトに転がるのがはっきりと見えた。


どこかで、確実になにかを大きく間違えてしまったのだ。


ほんの少しだけ開いていると信じていた彼の心が綺麗に閉じていくのが分かった。


悔しいくらいにあっさりと。






15歳という年齢は決して小さな子供では無かった。


けれど、当時18歳だった大上未弥おおうえみやにとってみれば、身長165センチの自分とほとんど変わらない目線の高さの線の細い元気だけが取り柄だった男の子が、萎れた花のように俯いている姿は、いまにも泣き出しそうな小さな子供そのものに見えたのだ。


彼がもう少し小さかったら迷うことなくぎゅうぎゅう抱きしめていたに違いない。


小学校高学年になった頃から、昔のように構わせてくれなくなって、当然のように頭を撫でることも抱きしめることも拒まれた。


お互い一人っ子同士なのだから、姉弟のように接して欲しいと願って来たし、実際その通りに接していた未弥にとっては、飼い猫に手を噛まれる、もっと大袈裟に言えば子供の反抗期にぶつかった時のような衝撃を覚えたものだ。


母親に愚痴を零したら、男なんてそんなものよとカラリと笑われてそれきりだったけれど。


未弥の一方的なお節介に思い切り顔をしかめながら、それでもどうにか会話を成立させてくれていた彼との別れは、三月の終わりにしては随分と肌寒い薄曇りの朝だった。


まるでそこまで来ていた春が一気に逃げてしまったように、吐く息は白くなる。


「入寮手続きも全部自分でやったんでしょ?お母さんびっくりしてたよ、訊いたらもう終わったから大丈夫って言われたって。大変だったんじゃないの?」


ここ数か月母親代わりを務めて来た未弥の母親は、彼のあまりの手際の良さに驚いていた。


「向こうの叔母さんが書類揃えてくれたから、大した手間じゃなかった」


コンマ数秒で返って来たのは可愛げゼロの返事。


いや、ランドセルを背負っていた頃の朝陽あさひだって可愛げは無かった。


生意気という言葉がしっくりくるような子供だった。


「言ってくれれば手伝ったのに」


こちらが投げた言葉に対して即決に簡潔に答えが返って来るのはもう慣れっこだった。


思春期の男の子というのは存外難しいものらしい。


「未弥に?なんで?」


さも嫌そうに言い返されてああそうですよね、余計なことを言いましたねと白んだ空を見上げる。


わざわざ6時台の新幹線を選んだのは、見送られたくなかったからだろう。


出発時間だって、未弥には教えてくれなかった。


ちゃんと車で駅まで送ってあげるつもりにしていたのに。


免許を取りたての冬の初めにドライブに連れだして盛大に道に迷ったことをいまだに根に持っているようだ。


今朝の事は母親経由で教えて貰ったから、こうして待ち伏せ出来た。


小学校低学年までは未弥ちゃん、とちゃん付けで呼んでくれていたのに。


大人びたことを言うようになった途端呼び捨てが常になった。


最初の頃は、ちゃんと未弥ちゃんって呼べ!と言い返していたけれど結局それは定着せず。


もういまではこちらの呼び方がしっくり来るくらいだ。


「噛みつかないでよ。あ、向こう行っても牛乳ばっかり飲んだら駄目だからね!お腹壊すよ?」


朝陽の家の冷蔵庫が牛乳まみれになったのは彼が中学生になった頃から。


身長を伸ばしたいのは分かるけれど、一日2リットル近く牛乳を飲んでいると聞いて大慌てで止めた。


間違いなく身体に悪い。


寮の部屋に小型冷蔵庫を持ち込むと聞いていたので、そこが牛乳でいっぱいにならないことを祈るばかりだ。


「っせえな!!」


真剣に睨みつけられて、大急ぎで話題を変える事にした。


もしかすると、自分より背の高い女の子に片思いでもしていたのかもしれない。


「ゴールデンウイークは無理でも、夏休み・・・・・・あ、お盆には帰って来る?お墓参りするよね?」


「夏は叔母さんの家に呼ばれてる・・・けど、行くかわかんねぇけど」


彼の複雑な家庭環境を思うと、言葉を濁した理由はすぐに分かった。


余計なことを言ったなと即座に反省する。


これから一人きりで故郷を離れる彼にかけるべき言葉は、もっと他にあるはずなのに。


「ああ・・・そっか・・・・・・うん。どっちにしても、お墓はちゃんとうちで見とくから、お母さんも心配しないようにって言ってた」


「・・・・・・おばさんは、信頼してる」


胡乱な眼差しで見返されて、むうっと眉根を寄せた。


あと10分もしないうちに新幹線が到着してしまうのに、この期に及んで憎まれ口をきくのか。


優しく見送らなきゃという姉御頃が木端微塵に吹き飛んでしまった。


ただでさえ愛想がいいとはいえない朝陽なので、向こうに行ってもこんなぶっきらぼうな振舞いを続けていたら楽しい学校生活は送れない。


こういう朝陽を受け入れて貰えたのは、ここが彼の生まれ故郷で、幼少期からお馴染みのメンバーで育ってきて、それぞれの家庭環境も筒抜けの狭い世界で暮らして来たからだ。


けれど、これからは違う。


生まれも育ちも違う人たちの中に、たった一人で飛び込んでいく事になるのだ。


心配じゃないわけがない。


「あんたねぇ、いつまでもそんな生意気なことばっかり言ってたら、向こうの高校で友達出来ないよ?」


これから一人で全寮制の高校に向かう年下の幼馴染に投げるにはいささか辛らつな言葉になった。


数年前から、年下だからという概念は取っ払って向き合うようにしている。


でないとすぐに揚げ足を取られてしまうからだ。



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