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ほとんど一週間ぶりの出社で、怪我の具合等々、報告することもあったので普段より早めに家を出た。奥間くんの件についても、色々と訊かれるだろう。重い足取りで門を抜ける。
どこかから反射してきた光を睨んで、息をのむ。
離れの作業棟が半壊していた。鉄の床が隙間から覗いて、鈍い光を放っている。驚いてメインの社屋にも目をやるが、こちらは特にダメージを受けていないらしい。
トラックが入れ替わりに動く車用スペースを端に避けて、門から遠く、崩れた棟へと歩み寄る。立ち入り防止の虎テープが張られ、トラックも、前を通らないで済む動線を既に作ってあるようで、みな滞りなく身を運んでいる。
「おとといの台風でね。だいぶボロだったから」
テープの前に立っていた大越さんが、近寄る私に気付いて言った。
「瓦礫なんかは撤去してもらったけど、しばらく使い物にはならないね」
平たい棟の壁が割れ込むようにへし折れて、そのまま支えを失った側へと崩れたらしい。なだれた壁面以上に、それに引っ張られた屋根が押し剥がれてしまっている。
「怪我人とか出たんですか?」
「崩れだしたのが、朝方の、ちょうど人が抜けた時間でね。幸い負傷者は出なかった。結構ゆっくり崩れたから、何人か残ってた人たちも、避難できて」
「よかった」
崩れた棟は低温管理品を扱っている棟で、作業自体の規模が小さく、割かれる人員の数も少ない。そういう話なら、作業場を他に置き換えてどうにかできるのかもしれない。さすがに元の通りの出荷量はさばけないだろうけれど。
「ここの分の作業は他工場に回してもらってるよ」
「え。あ、そうなんですね」
「冷蔵室辺りの、空いてる時間でどうにか回せないかって話もあったけどね」
はい、と頷いて、一瞬後ろを振り返る。よくよく見ると、いつも見かけていたよりもトラックの数が減っている。それはつまり、営業所としての仕事が減ったということだ。せっかく取ってきた仕事をよその工場に回すなんて、生田係長あたりは反対しそうな話だけれど。
「僕が反対して、どうにか、そういうことで収めてもらってね」
「……え? 大越さんがダメだって言ったんですか?」
「ダメっていうか、無理だ、って」
意外だった。大越さんは元役職持ちのベテランとして尊重されているけれど、自身からはあまり積極的に意見を口にしない。実際には責任を負わない立場であることを十二分に自覚していて、そんな自分が口を挟むことで、若い役職者たちが感じる煩わしさを極力抑えようとしているのだと、私は理解していた。弁えて、遠慮しているのだと。
「まあ、僕は
きっと私の表情を読んだのだろう、大越さんは少し照れたように頭を掻いて笑った。
「そもそも欠員が一人出ている状態で、そんな無茶をするのは推奨できない。また辞める人間が出るかも知れないし、そうでなくても危険だ。無茶を通すためにどんな無茶を重ねるか知れない。それは今後に響くマイナスになる」
「欠員?」
「ほら、奥間はテーオン担当だったから」
こっちから見ても
「……生田さんはいい上司だね。そもそも業務の係長は、営業の仕切りなんかも兼ねるぶん、セーヒンの係長なんかよりずっと立場が上なモノなんだけど……こうやって僕の意見を汲んでくれる。
みんなには嫌われてるけど、こういうことをちゃんと判断しようって気があるだけでも、僕が今まで付き合ってきた業務係長の中ではだいぶいい方だよ」
「そう、ですか……」
「ちょっと、ぶっきらぼうだけどね」
風が吹いて、土煙が舞う。木材の割れる音がして、崩れた壁の向こうで、キィ、キィと何かが軋む。割れ砕けた壁の合間には物の影が行き交っていて、網をかけたように妙に薄暗い。
腕時計を見ると、始業時間が近づいていた。大越さんに一礼して、半壊の棟を後にする。
「ごめんね、石動さん」
去り際、大越さんは私の顔を見て、悔しそうに顔を歪めた。
「奥間の件、やっぱり僕が行くべきだった」
そう言って、大越さんはずっとそこに立っていた。
その後ろで、役目を失った古い建物が、その身をかがめるようにして、ゆっくりと崩壊を続けていた。
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