第39話「闇の創造主」

 ラスティアとレリウスは呼吸をすることさえ忘れ、驚愕の表情でラウル王を――闇の創造主を名乗る男を凝視した。


「――アヴァサス、ですって」

 ラスティアはかすれた声が言った。

「そのような戯言を、私たちに信じろというの」

  

「実際おまえたちは我の存在を恐れているではないか。その白き喉もとから絞り出された言葉、固く握りしめられた拳、激しく揺れるその翡翠の瞳がすべてを物語っておる。それこそが、我を前にしたときの登場人物カラクタどもの反応――原初の恐怖よ」


 全身が、とてつもない冷気に晒されているような気がした。

 氷ついてしまいそうな口を必死に動かそうとするが、まるで言葉が出てこない。


「先ほどおまえは、ラウル王の死を確認したはずだ。死した人間はすべて根源へと還る。生身の身体で息を吹き返すことなどありえぬわ。おまえたちカラクタの構造的な部分は我の存在した世界と同じ在り様として定められているからな。そう、、な」


「いったい、何を言ってるの」


「よい、おまえたちには到底わからぬことだ」


「目の前の相手が理解できる言葉が必要よ――仮に今の言葉を信じるとしたら、現世に闇の創造主などというとてつもない存在が復活したということになってしまう」


「復活、とまでは言わぬ。今の我はアインズ王に宿るアストラル体でしかないからな」


「……アインズ王に、宿る?」

 レリウスがつぶやく。もはや話についていけてさえおらず、時折出て来る言葉に反応することしかできないような状態だった。


「これまではそやつを依り代としていたが……生ある者の場合、我が表に出ることは叶わぬことだった。が、十分我の役には立った」

 アヴァサスは血だまりに突っ伏すルーゼンを指差しながら言った。

「アインズ国王ラウルは我の目的を果たすに申し分ない躰よ」


「つまりあなたは、実体をもたない存在であり、自分の体となりうる者を探し……そしてラウル王に乗り移ったと、そう言いたいの」


「いかにも。なぜ、我がこのような姿に成り果てたかについては、おまえたちも良く知るところだろう」


「エルダによって滅ぼされたから、とでも言うつもりなの。七人の罪深き人々とともに?」


「そんな――そんなことが本当に」

 レリウスが激しく首を振る。


「おまえは敬虔なエルダ教徒と思っていたがな、レリウス。長らく伝えられているような伝承も、多分の真実を含むことはある。だが、我は完全に滅ぼされたわけではない。この世界が作り出された原初の頃から、我は存在し続けている。


「もといた現実に、舞い戻る?」


「……久方ぶりに表へ出たせいか少々話が過ぎたようだ。ラスティア、レリウス、おまえたちは今後我がこの国を操るに少々煩わしい存在だった。故に、なるべく波風を立たせない形で排除することにしたのだ。おまえたちを信奉する者たちもろともな」


「――まさか」

 ラスティアは目の前に立つアヴァサスと名乗る王、そして足元に突っ伏すルーゼンとその胸に深く突き刺さった自身の剣に目をやり、再びアヴァサスへと視線を戻した。

「私たちを、として殺すつもり」


「まさに、そのとおりだ」


「わ、私たちが、反逆者……?」

 レリウスがラスティアとアヴァサスとを交互に見やる。

「なぜですか、私たちは決して陛下のお命を狙いにきたわけでは――」


「レリウス、すでにこの相手はラウル王などではないわ。そしてルーゼンは私たちをこの場におびき寄せ、私の持っていた剣で自死することによって言い逃れできない状況を作り出したのよ」


「い、言い逃れできない状況とは」


「今の私たちは、ラウル王の命を狙い、水晶の玉座に座ろうと考えた簒奪者ということよ」


「さ、簒奪者ですと!?」

 レリウスが悲痛な声を上げた。

「なぜ私たちがそんな——」


「すべてはラウル王に憑りついているこの相手が、アインズという国を思うがままに動かせるようにするためでしょう。だからこそ宰相は――アヴァサスに憑りつかれていたルーゼンは――後々必ず牙を剥くであろう者たちを炙り出し、始末するための策略を練り、実行に移した。生前のラウル王に忠誠を誓っていたような人たちは、必ず気づくはずだから。ラウル王の中身がまったくの別物であり、邪な意志のもと国を牛耳ろうとしているということを。その筆頭があなたやリヒタール、ルノ、ブラスト侯だった。私たちはたった今、国王暗殺の濡れぎぬを着せられたのよ。それこそ、ルーゼンの――アヴァサスの目論見どおりに」


「……なんという――なんということだ」

 レリウスは両手で頭を抱え込んだ。

「それが本当だとしたら、私は、なんということを」


「おまえの言動の節々に、あの女の片鱗を感じるな」


「あの女……?」


「いかにも。我の記憶に残る数少ないカラクタの一人だ。生かしておけば我が願望の前に立ち塞がることは容易に想像がついた……おまえを見ていて思い出したぞ」

 アヴァサスはラウル王の口もとに薄い笑みを作り出し、ラスティアの瞳をまじまじと覗き込んだ。

 

「フィリー・アインフェルズ……なんとも手ごわい相手だった。幼き頃のおまえを人質に取り、あやつを殺めたのは我だ」


「な、んだと」

 これ以上ないほどに見開かれたレリウスの目が、アヴァサスからラスティアへと移る。


 ラスティアは何ひとつ考えることができなくなり、ただ目の前の相手を見つめることしかできなかった。

 

「当時の依り代としていた者はおまえの命を獲ることまではせなんだが……偉大な母を失いながらよくぞここまで育ったものよ。よほど良い師に恵まれたとみえる。大いに我の役に立ってくれたことを鑑み、その二人には感謝するとしよう」


 しかし今のラスティアには、アヴァサスの言葉の半分も耳に入っていなかった。


(あなたは約束の子。あなた自身の使命を果たしなさい——)

 泣き叫ぶ自分を強く抱きしめ、優しく語りかけるフィリーの姿が頭の中で明滅する。


(約束しなさい。私の命と引き換えに、娘は必ず助けると)

 次の瞬間場面が変わり、誰かに向かって言い放つ母の後ろ姿が見えた。


(……わかった。おまえの強さとその人格に敬意を表し、約束しよう)

 姿の見えない何者かが答える。


 そして、母の姿が遠ざかっていく。遠く、記憶の中に閉じ込めていはずの、偉大すぎる母の背中が。


「おまえが……お母様を殺した?」


「そうだ。正確には我の依り代がだが。そう命じたのは他ならぬ我だ」


「おまえが、ころした?」


「強かったぞ、おまえの母は。カラクタにしては類まれな強さだった。唯一の弱点である一番下の娘を人質に捕らねばならなかったほどに」


 その瞬間、ラスティアはルーゼンに突き刺さっていた剣を引き抜きアヴァサスへと飛び掛かっていった。


「いけませんラスティア様!」

 レリウスの悲痛な叫びはしかしラスティアには届かず、ラスティアはアヴァサスの——ラウル王の額へまっすぐ剣を叩き下ろした。

 

 何かが弾けたような音とともにラスティアの剣が真っ二つに折れ、振り下ろされた勢いそのままにくるくると回転しながら床へと落ちた。


 からんからんという乾いた音が静寂の室内に響き渡るなか、ラスティアは動きを止めず、折れた剣をそのまま相手の腹部へと突き付けた。が、ラウル王の体を覆うエーテルに阻まれ、表情ひとつ変えることができなかった。


「アヴァサス!」

 ラスティアは折れた剣を何度もラウル王の体に切りつけ、あるいは突き刺そうとするが、一向にその刃が届く気配がない。


 最後に振り下ろされた刃先をアヴァサスが片手で受け止め、ラスティアの身体ごと振り払った。床へと叩きつけられたラスティアはさらに立ち上がろうとしたが、アヴァサスから放たれたエーテルに抑え込まれ、這いつくばることしかできなくなった。


「ラスティア様!」

 レリウスが悲痛な叫び声をあげながらラスティアへと駆け寄る。

 

 顔を上げることすらできなくなったラスティアは、視線だけをアヴァサスへと向けた。その顔には、レリウスが思わず身を引いてしまうほどの形相が浮かび上がっていた。


「アヴァサス!」

 今のラスティアには、全身全霊の怒りでもってその名を叫ぶことでしかできなかった。


「どうした。おまえは不可思議な業を使うと耳にしていたのだが、今の動きを見る限りそこらのカラクタと変わぬぞ。それとも、あまりの怒りに業をつかうことも忘れたか」


「アヴァサス!」

 ラスティアが再び叫ぶ。いつもは煌めく宝石のように見える翡翠の瞳も、今は憎悪の炎が赤々と燃え盛っていた。


「いずれにせよ、今の行動によっておまえたちがの命を狙った簒奪者であることは明白となった。ルーゼンの筋書きどおりにな」


「……すべて、宰相の掌の上の出来事だったというのか」

 レリウスがうなだれながら言う。

「そして、その背後にはラウル王……いや、闇の創造主などというとてつもない存在が控えていたというのか……」


「レリウス、おまえも我の記憶に値するカラクタであった。おまえがいなければ、こうして我らが向き合うこともなかったのだからな。その知略は称賛に値する」


「いったい、いつから私は……そもそも、なぜこのような事態に陥った」


「おまえの思いどおりなどならない!」

 ラスティアが叫ぶ。

「外から見れば今のこの状況が異常であることは明らかよ! いったいどうやって私たちが障壁を張れるというの、なぜラウル王の命を狙わなければならないの!」


「おまえたちはラウル王がすでに死んだ者として行動していたはずだ。それが、実際にはこうして生きていた。ずいぶん都合の悪いことではないか。だからこそ身を挺して王を守ろうとしたルーゼンを殺し、王さえも殺し、すべてを手に入れようとしたのだろう。外にいるおまえの護衛に障壁まで張らしてな。周到なことだ」


「そんな無茶な言い分がまかり通るとでも思っているの! 私たちがラウル王の命を狙ったというのなら、いったい誰が、それを阻止したと偽るつもりなの! 病床の身であるはずのラウル王には到底不可能なことのはずでしょう!」


「心配せずともよい。ラウル王の窮地にかけつけてくれた者が、その役割を担うものがここにいる」

 そのときはじめて、ラスティアはこの部屋にもう一人、別の誰かがいることに気が付いた。


「ローグ……」

 ラスティアの視線の先。部屋の奥の暗がりから、リザ王女のパレスガード、ローグ・バンゲイルが姿を現した。


 ローグは無表情のままアヴァサスに近づくと、方膝を折って深々と頭を下げた。

「外にいる者たちは全員、ディファト王子の兵によって拘束しました」


「反逆者として全員殺せ」

「はっ」

 ローグが再度頭を下げる。


 ラスティアはきつく唇を噛みしめながらローグを睨みつけた。

「あなたが指示を仰いでいた尊師ファトムとは、アヴァサスのことだったのね」


「不遜な言葉を吐くな下郎」

 ローグが吐き捨てるように言う。

「アヴァサス様はファトムさえも従える存在だ。俺はその末端として仕えているにすぎん」


「わかったか、ラスティア。アインズの第三王女が国王暗殺を企んだ簒奪者であるといことを、皆は受け入れるしかなくなるのだ。ラウル王を守ろうとしたルーゼンはお前の剣によって殺され、王の命さえ奪われようとしたとき、ローグが助けにやってきた。これはすべて、ラウル王その人の口から語られることとなる」


「馬鹿な……」

 レリウスが膝をつき、唇を震わせながら言う。

「このままではこの国は」


「そして最後にお前たちの口を封じれば、我の描いた絵は完全なものとなる」


「私たちを、殺すのか」

 レリウスが言った。


「必要な事実は出そろった。もうおまえたちに要はない。我の供物となることを光栄と思い逝くがいい。おまえたちが死の間際に発するルナは、


 そう言い終えたアヴァサスの瞳が紫に輝いた瞬間。

 レリウスとラスティアの首が一気に絞めつけられ、息ひとつ漏らすこともできなくなった。


 うめき声すら上げられないまま、二人の視界が徐々に闇へと落ちていく。


(――お母さま、シン……!)


 ラスティアがそう願った瞬間。


 パーンという激しい衝撃音とともに、室内に張り巡らせていた障壁が壊れた。

 同時にアヴァサスの背中へエーテルの波動が弾け飛び、その体がわずかによろめく。


 アヴァサスのエーテライズが解け、ラスティアとレリウスは激しくせき込みながら、その場にうずくまった。


「……やはり立ち塞がるか、ストレイ。我が宿敵よ」

 アヴァサスの向けた視線の先には、漆黒の瞳をこちらへ向ける少年の姿があった。

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