第三章

第1話「新たな王女」

 大いなる水の都、アインズ中の鐘楼しょうろうが一斉に鳴り響くと、その中央にそびえ立つ水上宮へ至る大通りは歓喜の声で埋め尽くされた。

 アインズ全土はもちろん、近隣諸国から駆け付けた人々が、新たな王女の誕生を今かいまかと心待ちにしていた。

 そして、王女に付き従うはずの伝説の存在を。


 ひしめく観衆たち全員の視線が集まるリヴェラ水上宮。その最奥、特別な儀式や祭典でしか使用されることのない水晶殿には、正装に身を包んだアインズの全重臣たちの姿があった。


「アインズ王、ラウル・ケイス・アインファルズ陛下の実妹、フィリー・アインファルズ王女のご息女、ラスティア・ロウェイン様、御出座!」


 その場にいた全員の目が一斉に大扉の前へと向いた。


 白銀に輝くティアラを乗せ、純白の正装に身を包んだラスティアが、白い毛皮のマントを女官二人にかかげられながら大司教の待つ中央の祭壇へと歩いていく。その歩調はゆっくりながら確固たるものであり、一分の隙もみられない。


(――なんという)

(なんという、美しさだ)

(まさにフィリー様の生き写し――)

(あの核光色の瞳から、目が離せん)

(ああ……まるでエルダその人のような)


 りんとして伸びた首と背筋から高貴なる気品と少女の色香両方が匂いたつ一方、均整のとれた長い手足と引き締まった体躯たいく、真っすぐ前を見えながら歩くその姿には歴戦の戦士のような気配すら漂っていた。

 その場に居並ぶ者たちは、男も女も、年齢すら関係なく恍惚こうこつ羨望せんぼう、あるいは畏怖いふさえ感じながら――視線をラスティアへと注いでいた。


 しかし、それはラスティア一人が与えた影響ではなかった。

(あの者が――)


 ラスティアの斜め後方には、彼女と似た背丈の少年が付き従っていた。

 髪も瞳も、身に付けている正装もすべて黒一色であり、緊張からか頬を紅潮させている。ラスティアとはものの見事に正反対な装いとその様子は、否が応にも居並ぶ者たちの注目を集めていた。


(――絶対者ストレイ

(何度見ても信じられん、あんな少年が――)

(パルスガード全員がそう断言したそうだ。、と)

(本当に……我が国はストレイをパレスガードにしたというのか)

(正確には、ラスティア王女のパレスガードだろう)

(ラスティア王女の時代が来る、というのか)

(我が国はもちろん、大陸中が揺れるぞ)


「アインズ王室第一王位継承者、ディファト・アインファルズ殿下、御出座!」

 楽器隊の華やかで勇ましい音楽に続き、黄金の留め具がついた大きな黒い毛皮のマントを四人の小姓にかかげさせた男が悠然と登場してくる。


 その場に居合わせた全員が深く頭を垂れ、片腕を胸元へと折り曲げる。アインズの重鎮、大貴族たちがそろって忠誠を誓う姿にもディファトはなんら感情を高揚させる様子を見せず、不機嫌そうな表情のまま大司教の上座にどすんと座った。そうしてこれ以上ない角度でラスティアと、その後ろに控える少年——シンを見下ろす。


「第一王女、リザ・アインファルズ殿下! 第二王女、アナリス・アインファルズ殿下! 第二王子、グレン・アインファルズ殿下! 御出座!」


 リザ王女を先頭に、現アインズ王室の面々が大司教とディファトの横へと居並んでゆく。それぞれが王族に相応しい正装に身を包みながらも、その表情や態度は皆、見事なまでに異なっていた。


 リザ王女の無関心そうな青白い顔はどんな感情をも読み取れず、逆にアナリス王女は普段以上にきつい目つきでラスティアとシンを眺めており、グレン王子は終始落ち着かない様子のままかたわらに控えるパレスガードらしき長身の女に目配せばかりしていた。


 パレスガードを伴っているのはむろんグレン王子だけではなかった。ディファト、リザ、アナリスそれぞれが位置や距離は異なれど、最も忠実たる腹心にして最強を自負するエーテライザーたちが彼らを護っていた。

 自然とシンの瞳がリザ王女のすぐ隣へと向いた。その場に立つローグはシンの視線を知ってか知らずか、頑なに主の姿から目を離さなかった。


「アインファルズ王家の血を引きし者、ラスティア・ロウェイン。我らが光の創造主エルダ、偉大なるラウル王の御言葉により、その方をアインファルズの名に連なる者として認める。これに異存はないか」

 大司教のおごそかな言葉が聖堂全体へと響き渡る。


「ありません。身に余る栄誉、つつしんでお受けいたします」

 ラスティアが片膝をつき、頭を垂れる。その声や動きには緊張はおろか、微塵の怖れも感じられなかった。

 シンはといえば、咄嗟にラスティアにならおうとして膝を折りかけたが、傍らの小姓に慌てて制止され、もともと赤かった顔をさらに火照らせていた。


「ラウル王の代理たるディファト王子よ、今回の儀に異存はないか」

「ない」

 被せるように言う。何でもいいからさっさと終わらせろと言わんばかりの態度だった。


 声になど出せないものの、居並ぶ重臣たちの多くはまったく同じ思いを共有していたのだった。


 賢王ラウルとは比較にもならぬ、と。


 それはディファト王子のことだけでなく、他の王子王女についても大差ない感想であった。


「異議申し立てのある者は、たった今この場にて、創造主エルダの聖名においてその旨を述べよ」


 大司教の言葉はしかし、長い沈黙によって応えられた。

 

 特に大国アインズの中枢を担う重臣たちには――いや、例えそのようなこととは無縁の、よほど鈍い人間であろうと一瞬で気づいたはずだった。


 残酷なまでに、格が違うと。


 それは外見だけのことでは決してなかった。まだ齢十六を重ねただけのはずが、ラスティア・ロウェインという少女のまとう気ともいうべき何かが、そばにいる者たちを圧倒するのだ。それは常日頃から感じられるようなものではない。むしろ平時の彼女は――最初だけはその美貌びぼうに圧倒されてしまうものの――どのような身分、年齢の者でもあっても気さくに話しかけてしまえるような柔らかな雰囲気を醸し出していた。が、一歩でも厳かな場に踏み込めば、誰もがひざまずかずにはいられない、王者の覇気を発するのだ。


(これが、二千年もの長きに渡り世界エルダストリーの安寧を支え続けたロウェイン家の、ということなのか――)

(この圧、この迫力……アーゼムと言われても何ら疑いはもたん)

持たざる者ハーノウンさげすまれてなお、こうまで育つか……見事なものよ)

(なによりラスティア王女には彼が――)


 ラスティア同様、いやもしかするとそれ以上に注目を集めているシンは、どこからどう見てもごく普通の少年のようにしか映らなかった。しかし、これほどまでに漆黒の瞳と髪、特徴的な顔貌がんぼうを持つ人種はエルダストリーにはおらず――少なくともシンは自分と似た外見をもつ人間をこれまで目にしたことがなかった――当のラスティアなんかよりよほど緊張している様子を見ていると、居並ぶ者たちとしては、これがあのストレイなのかという疑念を抱かない方が難しかった。


 だが、そのような考えを一蹴したのは他ならぬパレスガードたちだった。ディファト王子のバンサー・ウォールド、リザ王女のローグ・バンゲイル、アナリス王女のベレッティ・サクリファイス、そしてグレン王子のリーン・テリシア。いずれも西方諸国に名をとどろかせる稀代きだい器保持者エーテライザーたちが、シンという存在を意識し、その一挙手一投足に尋常ではない気を払っているのが誰の目にも明らかだったからだ。


 その場にいる全員は、並々ならぬ感情をその視線に込め、見つめていた。


 新たな王女となった少女の影のように控える、絶対者と呼ばれる少年のことを。何より、そのような存在を付き従えるにいたったラスティア王女その人のことを。


 これから、何が起こるというのか。目の前の存在がこの国にもたらすのは何か――。


 そんな思いが聖堂全体を支配し、今回の儀だけでなく、ここ数日の王宮内は平時の声で話すことすら躊躇ためらわれ、密談を交わしているかのようなささやきであふれた。


 目ざとい者たちは、当に気づいていた。ディファトを始め、リザ、アナリス、グレンは、目の前の二人に圧倒され、何より恐れている、と。それを隠すために、それぞれがそれぞれのやり方で、自らの感情を押し隠しているに過ぎないのだと。


 祭壇の上のエルダ像に長い祈りを終えた大司教は、再びラスティアへと向き直り、両手をかかげた。


此度こたびの儀をもって、フィリー・アインファルズ王女殿下のご息女、ラスティア・ロウェインをアインズ王室の正統なる第三王女として迎え入れること相なった! エルダの導きがあらんことを!」


『エルダの導きがあらんことを』

 その場にいた全員が胸に手を当て復唱し、王女の儀はつつがなく終了する運びとなった。



 §§§§§



 謁見のバルコニーに集まった大勢のアインズ国民や近隣諸国の人々は、誰もが顔を紅潮させながら、一時も口を休めることなく自分の知る限りの情報を交換し合っていた。そのほとんどは噂や憶測でしかなかったが、何かを話さずにはいられなかったのだ。


 今回のことは自分たちの国に――いや、エルダストリー全土にどのような影響を与えようというのか、と。


 なにより、もしかするとラスティア王女だけでなく、の存在をさえ見ることができるかもしれない。


 そんな思いを胸に、オルタナ中から集まった群衆たちは二人の姿がバルコニーに現れるのを今かいまかと待ち構えていた。


 今アインズに生きる民のほとんどは、ラウル王の御代を生きてきた者たちであり、貧富の差や大小さまざまな犯罪行為はあれど、基本的には平和と繁栄の時代を謳歌おうかした者たちだった。

 しかしいま時代は変わり、彼らの統治者は賢王ラウルからその息子ディファトへと移り変わろうとしていた。


 時の民衆は、いくら人気の高い王であっても次期国王が善政を行い、暮らしぶりが豊かなままであれば、かつての御代みよを惜しんだりはしない。


 つまるところ、たとえラウル王が崩御ほうぎょしたとしても、ディファト王子がただ有能でさえあれば良かった。だが、今のところその兆候はまるで見られず、王都オルタナはおろかアインズ全土の経済は明らかに滞っていた。目に見えて治安も悪化していた。


 ラウル王の時代から権力の座に就いていた者たちは、賢王が病に伏せてることを良いことに、自分たちの地位を守り、維持することに懸命になっていた。ディファト王子とその支持者たちが、自らの権力を固めるためにそれを後押ししていたからだ。いや、ディファト王子を支持する者たちこそが、その権化ごんげといってよかった。


 口うるさい父親を押しのけ、水晶の玉座に座り、自由気ままに一日を過ごすことだけを夢見ていたディファト王子にとって、重臣たちの人格や政治的思想などどうでもよかった。自分を支持さえすれば今まで以上に報いる、そうでない者には相応の報いをくれてやる。ある意味、権力に固執する者たちにとっては理想の王といえた。


 だが、そのような統治者たちの目が民衆へと向くことはほとんどない。ましてやディファト王子は、いまだ次期国王となることが確実視されたわけではない。彼にはまだ、実の姉と妹、弟そして彼らの後ろ盾となっている領侯たちという敵対者がおり、水晶の玉座に座すためには彼らを取り込むか、屈服させなければならなかった。正直な話、民の生活など二の次どころか考えてさえいなかったのだ。

 

 先のバルデス侵攻についても他人事のようにしか考えておらず、結局はアーゼムがなんとかするだろうくらいにしか思っていなかった。しかしそのアーゼムは長らく不在のままであり、次期国王も定まらぬなか、誰もが権力へと奔走するあまり社会情勢は傾く一方だった。そのような隙を両隣の大国が指をくわえて見過ごすわけもなく、近隣諸国との火種がどこでくすぶり、いつ燃え上がってしまうかもまるでわからないといった状況におちいっていた。


 アインズ国民の不安や恐れは、ディファト王子に代わる統治者を、という切なる願いを引き起こしていた。そしてそれは、ディファト王子よりいくらかましの兄弟姉妹という鬱屈うっくつしたものから、新たな希望を見出すに至っていた。


 そして、清く高らかな楽器の音とともにラスティアが姿を現すと――


「ラスティア王女!」

「おめでとうございます!」

「アインズ万歳!」

「ラスティア王女、万歳!」


 大広間は、熱狂の渦に叩きこまれた。

 なぜなら彼らは、ラスティアの存在だけでなく、その後ろに彼女の母親の姿を見ていたからだ。


 フィリー・アインフェルズ。先々代の実子にして、類まれな根源の器をもって生まれた存在。にも関わらず、アーゼムとなることを拒み、独学でエーテライズの御業を極め、自国の繁栄に尽力した世にも美しき王女。

 時のアーゼムと互角に渡り合い、アーゼム以外では史上唯一「聖堂士」の称号を与えられ、かの護国卿パーヴァス、ランダル・ロウェインに生涯の伴侶として迎えいれたい申し込ませるに至ったアインズの至宝。

 

 数々の偉大なる功績をもってラウル王とともにエルダストリーの安寧を築いたフィリー・アインフェルズは、アインズの民にとって揺るぐことのない英雄であった。


 そしていま――その娘、ラスティア・ロウェインが、新たな王女としてリヴァラ水上宮の、謁見のバルコニーに姿を現したのだ。

 民衆の多くは、すでに知っていた。その姿が母であるフィリー王女の生き写しであることを。その人格が、類まれなものであることを。


「アインズ万歳!」

「ラスティア王女、万歳!」


 民衆の大歓声は片時も収まることを知らなかった。ラスティアが身を引いたあとも、その日が暮れ、深夜になってなお祭典の火は消えることがなく、ラスティア王女万歳の声はいつまでも響き続けたのだった。

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