第31話「たった一人の糾弾者」

 ラスティアが過去の出来事を話し終えたとき。

 申し訳程度に置かれていた燭台しょくだいの明かりは力を失いつつあり、窓の外は白み始めようとしていた。


謁見えっけんの場でリザ王女とともに現れたあなたを見たとき。まるで、一年前のあの場所に引き戻された気がした……頭の中で、仲間たちの悲鳴が鳴りやまなかった」

 ラスティアは目の前の男――ローグを真正面から見えながら言った。


「いつか必ずあなたを見つけ出し、仲間たちの報いを受けさせる。一人エルダ像の中に隠れながら、そう誓った。けれどまさか、こんな形で相対することになるなんて」


「……なるほど」

 ローグが深くうなずいた。

「ラスティア王女が実につらい過去をお持ちなのは、よくわかりました。ですがむろん、あなたの言うローグとやらは、私ではありません。ですが、アルゴード侯と共に受けた襲撃事件やバルデスによるザナトス侵攻でのご心痛を思えば致し方ないこと」


「それは、どういう意味なの」

「失礼ながら王女は、あまりにも残虐な出来事が立て続けに起こったせいで精神を病んでおられる。記憶に齟齬そごが生じているのもそれが原因でしょう。例えば、お仲間を殺害した相手の名が私と似ている、あるいは同じであるという理由だけで記憶の中の人物と結びつけてしまう、といったような――」


「私は病んでなどいないし、決して人違いなどではないわ。あのとき私は、あなたの素顔を食い入るように見つめ続けた。決して忘れないように、風化してしまわぬように。文字通り、この目に焼き付けたのよ」


 短く刈りそろえた髪に、どこか人間離れした表情を見せる鷲のような顔貌がんぼう――忘れるはずがない。


「確かにあなたにとっては、そう見えたのかもしれないわね」

 リザが何でもないことのように口を挟む。


「私にとっては?」

「簡単なこと。お仲間の無念を晴らしたい一心であるあなたは、その仇とよく似た顔の私のパレスガードを同一人物と決めつけたのよ」

「違う――」

「人の記憶、思い込みというものは侮れないものよ。ローグが違うというのであれば、あなたが見間違えている以外考えられないでしょう。それに、少々疑問に思ったのだけれど。仮にあなたの見たことが本当だったとしたら、犯行の目撃者となる人間がいるかもしれない場で自分の名を呼ばせる、そんな馬鹿な真似をするかしら。自ら正体を明かすようなものだわ」

「確信があったからです」

「確信?」

「誰一人として逃がさない――逃げ出すことができないという確信が。エーテライザーであるという自負、止められた昇降機、圧倒的な戦力の差……実際逃げ場なんてどこにもなかった」

「でも、あなたは逃げ出すことができた」

「私が上層へ上がったのは彼らがいなくなった後です。私はあなたのパレスガード同様、自身のエーテルを押し留め、隠すことができます。感覚器に集約しただけの微量なエーテルを感知するのはたとえアーゼムであっても至難の技です……私を見つけだすことはおろか、あの場にいたことすら気づけなかったはず」

「確か、お友達が矢で打たれたときあなたも一緒にいたと 」

「エバの生命ルナエーテルによって発見されてしまいましたが、すでに建物の角に駆け込んでいた私の姿を捉えることはできなかったでしょう。だからこそ、私も相手の攻撃が見えず、エバを守ることができなかった……聖堂の中まで踏み込んで来ながらろくに探しもせず立ち去ってしまったのは、感知の網にもかからない生き残りがいるだなんて思いもしなかったからだわ。違う?」

 ラスティアはリザからローグへと視線を移し、翡翠の瞳でもってその顔を射抜いた。


「あなたはそれだけ自分の力に自信があった――あの場にエーテルを扱える私のような人間がいるとは夢にも思わなかったはず。これほどまでの大虐殺を引き起こしておきながら騒ぎひとつ起こさせなかったこともよ。それにいったいあなたたちは、! 答えなさいローグ!」


「……いやはや、ラスティア王女はたいした妄想癖をお持ちのお方だ」

 ローグが困ったような笑みを浮かべながら首を振る。


「妄想ですって?」

「いかにも。今話されたことはすべて、あなた一人の言い分に過ぎない」


「リザ王女」ラスティアが再びリザへと視線を移す。「一年前あなたはアインズの代表としてディスタの解放際に参加されていましたね」


「そうだったかしら」

 リザが首をかしげてみせる。


「王族の公務記録を調べさせてもらいました。あの日あなたは確かにディスタにいた。もちろん、パレスガードたるローグも一緒に」


 ローグが鼻で笑う。

「リザ王女はお忙しいお方だ。主要な祝祭への参加はもちろん、各国の有力者、名だたる方々との会談など、数え上げたらきりがない。ただ居合わせたくらいであなたの主張が正しいということにはなりませんよ。つまりあなたは私たちがディスタ下層の旧市街とやらで大勢の人間を虐殺した、その犯人であると糾弾したいのでしょう? まったく、不敬にも程があります。そのようなことを公の場で口にすればせっかく得られた身分を剥奪されるだけでは済みませんぞ」

「私が告発しているのはあなた一人よ、ローグ。などとは一言も言ってないわ」


 ほんのわずか、瞬きをすれば見逃してしまいそうなほどの一瞬。ローグの表情にほころびが生じたのをラスティアは見逃さなかった。


「思い込みもはなはだしい」しかしローグはなおも薄い笑みを崩さない。「まるでリザ王女まで目の敵にしているような話しぶりをいさめたまでです」


「あなたの言いたいことは、よくわかったわ」リザも特に感情を露わにすることなく言う。「とても心の痛む話ではあったけれど、私たちに力になれることはないし、そもそもが何の関係もないこと」


 この場に姿を現したときとまるで変わらぬ態度とその口調が、逆にラスティアの疑念を確信へと変えていく。


「聡明なあなたのことですから、ご自分の見聞きした話だけで私のパレスガードをどうこうしよう、などとは考えてはいないでしょう。今回私たちを――目的はローグだったようですが――呼び出したのは、その身に宿した激情を向けるべき相手か否か、あなた自身が確証を得たいがためだったはず。たとえそれが思い込みでしかなかったとしても。いくら王室に迎え入れられた身分とはいえ、第一王女たる私のパレスガードにいわれのない罪を着せるなどと、本来であれば決して許されるものではありません……ですが、あなたの凄惨せいさんな過去に免じて、今回に限り何も聞かなかったことにしておきましょう。あなたもご自分の首を絞めるようなことは金輪際口にしないことですね」


「口にされて困るのはあなたたちの方ではないのですか」

「もっと有意義な話ができるものと思っていたのだけれど、残念です」

 もはやラスティアの言葉など耳に入らないかのように言う。


「アインズの行く末を憂う同士として、互いに歩み寄る場になるのではと期待していましたよ」

「それはあなたが次期国王となるために私が協力を申し出る、といったことでしょうか」

「もしくは、あなたが王位継承権を放棄する、とか。まあ、闘技大会という下世話な場で我が国の名誉あるパレスガードを選出するなどと言い出したからには、あなたにも過分なる野望がおありかと思います。由緒あるしきたりをことごとく打ち砕いていこうとするその姿勢には感服いたしますが、行きすぎた行為は大いなる反感も招く、ということもお忘れなきよう」


「本当にそうお思いですか」ラスティアが問う。「私が次期国王の座につくために言い出したことだと」

「違うのかしら」

「違います」

「なら、どんな目的が?」


 ラスティアは一瞬うつむくようにして押し黙ったが、すぐに決意の色を湛えた瞳を二人へと向けた。


「私には、なんの力もありません……ロウェイン家の人間として生まれながら器を授かることもできず、大切な人たちを目の前で失ってきました。いっそ世捨て人のようになろうとしたこともありましたが、私に流れるロウェインの血が――仲間たちの想いが、意志が、それを許さなかった。それだけじゃありません。ここアインズにたどり着くまでの間でさえ、多くの人たちが犠牲に。彼らに報いるためにも、私はすべての闇を明らかにしなければならない」


 リザとローグは、何を思っているのか。その得体の知れない視線でもってひたすら翡翠の瞳を見つめていた。


「私はレクストの――仲間たちの意志を受け継ぎ、自らの理想を実現させる。そのために無力な私にできることは、同じ志をもった仲間を集めること……もう二度と、目の前で大切な人たちを失わないために」


「……なるほど」ローグがおもむろに口を開いた。「つまりあなたは、あなた自身の理想のためにエーテライザーをはじめとする力ある人材を集めようというのですね」

「力だけじゃない。同じ志をもった仲間を、よ」

「同じことです。そしてそれは、あなた自身が望もうが望むまいが水晶の玉座へと繋がる道でもある。私への言いがかりなんかより、よほど危うい思想だ。ましてや先の襲撃事件の真相も明らかになっておらず、成り行きとはいえバルデスと正面から敵対してしまったあなたは、アインズ王室の一員として相応しいどころか我が国にとって大いなるわざわいともなりえる。リザ王女のパレスガードとして、アインズの今後を憂う者として見て見ぬふりはできません」


 ローグの瞳にこれまでとは違う、険呑けんのんな光が宿る。


「それは本当にリザ王女のパレスガードとしての言葉? それとも――崇拝者ファロットとしての言葉?」


 むろんラスティアはすべてを話したわけではなかった。むしろ、事の経緯のみを簡潔に説明するのみで、核心に触れるような情報を明かことはしていなかった。


 目の前の二人から、真の反応を引き出すために。


 あからさまに敵意を向けられたわけでは、決してない。リザもローグも、表面的には無表情のようにすら見える。だが、まるで本能をむき出しにした昆虫が目の前の獲物を冷静に観察するかのごとく、いつ襲い掛かってきても不思議ではないほどの殺気をはらんでいた。


 とうとうラスティアは、リザとローグの被っていた偽りの仮面を引き剝がし、その下にある素顔を白日のもとにさらし出したのだった。


「よくわかったわ。それが、あなたたちの答えということね」

 ラスティアは怯むどころか静かにうなずき、相手の殺気を受け流すかのような半身の構えと、決して揺らぐことのない翡翠の瞳でもって目の前の二人と相対してみせた。


「近年、特にその存在が知られるようになったアヴァサス信奉とその復活を教義として掲げる者たち――彼らが狂信者スクリム呼ばれ忌避されていることは知っていたけれど……崇拝者ファロットという言葉は一度も耳にしたことはなかった。でも、あなたたちにとってはとても大切な名なのでしょう? それとも、スクリムと呼ばれることには我慢ならなかったのかしら。すでに瀕死の状態だったレクストにさえ激高し、エーテルを発現させてしまうほどに」


 リザとローグは何も言わない。


「水晶の玉座になど何の興味もない。けれど、民を導くはずの王族とそのパレスガードともあろう者が、アヴァサス復活などという妄信にりつかれ、私たちの仲間を殺し、かの者の思想によって今なお多くの人々を苦しめているのだとしたら――」


、そうだとしたら?」

 リザが言った。

「どうしようというのですか」


「私は何があろうとあなたたちの前に立ち塞がる。悪しき企みがありしときは、それを晴らす」

 ラスティアの深い呼吸が薄暗い闇の中へと溶けだし、周囲の空気が張り詰めてゆく。


こと――それこそがエルダからこの世界を託された十二従士たちの――その末裔たる私たちアーゼムに与えられた使命だから!」

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