第30話「ラスティアの過去―仇敵編⑤完」

 ラスティアとエバは一度も止まることなく走り続けた。


 また一人、こちらへ向かってくる敵がいた。ラスティアは走る勢いそのままに突き出された刃付きの拳を片手で反らし、掌底しょうていで相手のあごを押し上げながら喉元ごと地面へと叩きつけた。

 相手がどうなったかを確認することもせず、再び走り出す。


 エバの息が続く限り走り、限界となれば歩調を緩め、さらに走る。そうして二人はようやく目的の場所へたどり着いた。しかし――


「どうして!?」

 何度操縦かんを押し倒しても昇降機はぴくりとも動かない。鈍い音が響き渡るだけだった。


(まさか、この階層に閉じ込められたでもいうの)

 そう思い至った瞬間、ラスティアの背に悪寒が走った。


 いくら下層の旧市街とはいえ、ディスタそのものに組み込まれている昇降機を止めてしまうなどと、そこらの犯罪者集団に出来る芸当ではない。


 見開かれたエバの瞳が激しく揺れながらラスティアを見つめてくる。安心させるため強くうなずいてはみたものの、妙案が浮かんでくるはずもない。


 どうすればいいの。そう自問しかけたとき、ラスティアたちが逃げてきた方角から悲痛な叫び声があがった。


 それが誰のものなのか、二人にはすぐにわかった。


 考えるまでもなく来た道を全力で引き返していた。エバも必死についていくる。


 旧市街のあちこちに仲間たちの遺体が転がっており、ほとんどの者が一撃で刺殺されていた。

 誰一人として動く者はない。完全に絶命させられてしまっている。


(どうして、こんな――)

 エバがどんな思いでこの光景を目にしているか、そのことを思うと後ろを振り返ることすらできなかった。


 二人にとって唯一救いだったのは、いつの間にか仮面の一団の姿が見えなくなっていたことだ。

 しかし、その理由はすぐにわかった。


 崩れかけた噴水のある広場で、レクストを含むアレフの仲間数人が大勢の仮面の一団に取り囲まれていた


 咄嗟に建物の陰へ隠れ、荒い呼吸を必死に押し殺しながら食い入るように前方を見やる。

 ざっと数えただけでも五〇人以上はいる。やはり、最初集会場に現れた者たちが全員ではなかったのだ。


 広場の中心からは相当距離があったが、その分彼らが何を話しているかまではわからない。


 ラスティアは自身のエーテルを翡翠の瞳と、そして耳へと流し込んだ。


(集中して)自分自身に強くそう言い聞かせた。


「——おまえたちの計画はわかった」

 ラスティアの耳に仮面の男たちの声が響きはじめる。少しずつ、一人一人の表情が読み取れるほど視界も鮮明になっていく。


 いくら修錬をおこたっていたとはいえ、感覚器強化といった基本的なわざは体に沁みついている。発現させるのは容易だが、器のない自分には限界があるのも事実だ。

 サイオスの言葉が頭に響くが、今この業を使わないで、いったいいつ使うのだ。そんな怒りに似た感情が理性を掻き消した。


「まさか、本当に武装蜂起ではなかったとはな」

「そんな、こと……お、おれたちが……するはず、ない。だ、だから、そ、そいつらは見逃して、くれ――」

 今にも消え入りそうなレクストの声。後ろ手に縄で縛られ、顔中に殴られた跡があり、膨れ上がった瞼はほとんど開かれていなかった。どこから流れ出ているかもわからない、大量の血にまみれている。


(あの人数相手に、どうやって助ければいいの)


 幾通りもの考えが頭をよぎるが、そのどれもが現実的ではなかった。自ら命を投げ出すことで助かる者がいればまだいいが、そうするとエバにまで危険が及んでしまう――。


 師の姿がくりかえし浮かんでは消える。いつもラスティアを導いてくれた存在も、今は無言のまま何も言ってはくれない。


(私に、器さえあれば)

 ラスティアのきつく握りしめられた拳が、激しく震える。

(なぜ私は、これほどまでに無力なの……!)

 

「おい」

 男の言葉とともに、アレフの若者たちの首に刃が押し当てられる。

 麻の袋を被せられ、力づくで抑えつけられた若者たちが激しく取り乱し、泣き叫ぶ。


「やめ――」

「やれ」

 その命令に対し誰一人躊躇ためらう者もなく、アレフの仲間たちは一斉に喉元を突き刺され、絶命した。


「あ、ああ……!」

 レクストの吐息のような声と、ラスティアの声にもならぬ叫びが重なった。大量の血が地面へと流れ、大河のように広がっていくのを見届けることしかできなかった。


「少々当てが外れましたな。ローグ様、いかがなさいますか」

「問題ない。そのように見せかければいいだけのことだ」

 ローグと呼ばれた男が事もなげに言った。


「ダンザフ、お前もの手をわずらわせないよう気をつけろ」

「心得ております」


「……お、れたちが、なにを……?」

 レクストの口から吐息のような声が漏れる。

「なぜ、こんな――」


「だから、供物だと言っただろう」

 ダンザフが答えた。

「おまえたちが死に際に散らす生命ルナ・エーテルは、すべてアヴァサス様に捧げられる。光栄に思うがいい」


「あ、アヴァ、サス……? おまえ、ら……狂信者スクリム、なのか?」

 その言葉を耳にした瞬間、ローグが自身の片手をレクストに向かって突き出した。


 地面に転がされていたレクストの身体が、まるで首をつかまれたかのように宙へと浮きはじめる。

 レクストが両手で自身の首つかみながら両脚をバタつかせる。


(エーテライザー……!)ラスティアが息を呑む。 


「その言葉は適切ではないな」

 ローグが片手を降ろした途端、レクストの体が地面へと落下した。さらにローグは激しくむせ込むレクストの腹を蹴りあげ上を向かすと、今度は思い切り足を叩きつける。


 レクストは短い呻きのあと腹を抱えてうずくまった。


「我々は狂信者スクリムなどではない、『崇拝者ファロット』だ」


 息を押し殺し、食い入るように見つめることしかできないラスティアの耳に、信じられない声が届く。


「……なぜ笑う」

 ローグが言った。


 その言葉どおり、レクストは血であふれたその口の端に、薄い笑みを浮かべていた。

「お、おれは……、エル、ダストリー、の……う、うんめいを、導く、そんざい……」


「なに?」

「……きっと、そ、そういう、こと、なんだ……い、ま、ようやく、わかっ、た……お、れは……導いた、ん、だ……ああ、エル、ダ……お、れは、やり、とげま、した……」

「気が狂ったか。まあいい、今エルダのもとへ送ってやる。その続きはおまえらの崇めてやまない創造主様に言ってやれ」

 再びローグの足が振り上げられていく。


「ああだめ……やめて……」

 ラスティアには、その行為が恐ろしくゆっくりと成されるように見えた。


 そして、ローグの脚が再び叩き下ろされたとき。

 レクストはぴたりと動かなくなった。

 

 その光景を、ラスティアは音もない世界で見届けていた。


 誰の言葉も、何の物音すらしない白い世界で、ただ見ていた。レクストを――仲間たちを、無残にも殺した男の、


「さあ、残りのにえを回収しようか」

 

 その言葉を耳にし、ようやくはっとする。

 あの仮面の男は器保持者エーテライザーだ。自分と同じく、身に宿すエーテルを感知することができる――


「走ってエバ!」

 抜け殻のようになってしまったエバを引きずるようにして、ラスティアは走った。


(私はなんて無能なの――!) 


 エバのルナ・エーテルを感知されてしまっていたのだ。ローグが自身のエーテルを見事なまでに抑え込んでいたせいで、ラスティアの技量では気づくことができなかった。

 修錬を続けていさえすればという後悔が何度もラスティアを打ちのめそうとする。だが今はそんな感傷に浸っている場合ではない。


 必死に考えをめぐらせながら走るラスティアだったが、空気を切り裂く不吉な音に気づき、エバの方を振り返る。


 建物の角を曲がりかけていたラスティアの後方から、何本もの矢が放たれているのが見えた。

 エバを抱き寄せ庇おうとするよりも早く、そのうちの一本がエバの背に刺さり、小さな身体が一気に沈み込む。


「エバ!」

 ラスティアはエバが倒れこむより早く、その華奢な身体を自分のもとへ引き寄せた。

「しっかりして!」


 かすかな吐息が漏れるだけで、なんの返答もない。

 エバを抱きしめたまますぐそばの建物の中へとなだれ込む。


 そこはかつてエルダをまつった聖堂であり、先ほどレクストたちが集会場として使っていた場所だった。気づかないうちにもといた地点にまで戻ってきていたのだ。


 重くびついた扉を全力で閉め、かんぬきをかける。ローグと呼ばれていたあのエーテライザーが来たらこんな扉など何の障害にもならないが、なにもしないよりはましだと思った。


 ラスティアはエバを抱え上げると、足早に歩き出した。血にまみれ、折り重なるように転がされた仲間たちのあいだを縫うようにして祭壇にたどり着くと、そこへエバの体を横たえた。


「……どう、して」

「エバ、しっかりして。今血を止めるから」


 背中に矢が刺さっているため仰向けにすることができない。横から支えるようにしているラスティアのてのひら全体に血液が付着し、エバの横たわる床にもみるみるうちに血の湖が広がっていく。


「わ、わたし……たち、が……なにを?」

「話さないで」傷口を力いっぱい抑えながら言う。「こんなところで死んではだめ」

「生きて、いて……ろ、ろくなこと、なかった……」

 エバの瞳が、徐々にその光を失っていく。


「だめよエバ、絶対だめえ!」


「え、エルダ……わ、わたし、たちのこと……ほんと、に、あい……してる……?」

 その言葉を最後に、エバの首がかくりと折れた。


「……エバ? エバ!」


 ほんの少し前まで確かに笑いかけてくれていた顔の、薄く開いた瞳が、ラスティアをすり抜け虚空を見つめるようになった。


「お願いエバ、一人にしないで――私を一人にしないでえ!」


 ラスティアの叫びとともに凄まじい衝撃音が響いた。

 仮面の一団が聖堂の扉を破壊しようとしているのだろう。それでもラスティアは振り返ることなくエバの体を抱きしめ、離そうとはしなかった。


 頭が、やけに静まりかえっていった。


 エバのまだ暖かい、ほとんど肉のついていない身体を何度もさする。


 焦点が定まらなくなった視線で周囲を見渡す。目に入るのは仲間たちの死体だけだ。


 助けに来る者などいない、どこにも救いはない。


 大勢の死に囲まれ、エバの血にまみれたラスティアの姿を、一人の少女像が厳しくも慈愛に満ちた表情で見下ろしていた。


 エルダ――


(もし、君ひとりになってどこにも逃げ場がなくなったら、エルダ像の中へ――)

 レクストと別れる間際、耳元でささやかれた言葉が蘇る。


 ラスティアは無意識のうちに動いていた。


 エバの体をそっと横たえ、エルダ像のある台座へと近づく。下を覗き込むと、わずかばかりの穴が開いているのが見えた。

 像の中はラスティア一人がぎりぎり入れるほどの空間になっていた。考える間もなくその中に潜り込むと、闇に包まれるようにして気配を消した。


 どれくらいの時間、そうしていただろう。


 扉をこじ開けて来たローグや仮面の男たちが間近に迫り、何やらぼそぼそと話し合うような声も聞こえていたが、不思議と何の恐怖も感じなかった。


 レクストが最期に教えてくれた、ラスティアただ一人のための秘密の隠れ場所だ。見つけられるはずがない。


 本当なら今すぐにでも飛び出して、仮面の下のその顔を仲間たちに突き刺したすべての刃でもって切り裂いてやりたかった。だが、そんなことをすれば、彼らの仇を打つどころか、その機会すら完全に失ってしまう。


 ラスティアは後から後から沸いてくる感情を押し殺そうと、自身の両腕に爪を食いこませる。


 わずかな光だけが差し込むエルダ像の中で、翡翠の瞳からがこぼれる幾筋もの涙が、血で滲み震える唇を伝いながら深い暗闇の中へと消えていった。

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