第24話「忍び寄る危機」

「わかる」

 シンがつぶやく。

「いま、ラスティアのエーテルを確かに感じた」


「気を付けろ」シンの空中を舞うテラが言う。「ここはもう大国アインズの中枢だ。不用意にエーテルをまとうと――」


「わかってる」シンは即座にうなずいた。暑くもない額から一筋汗が流れる。「ヘルミッド級のやつが――もしかたしたらそれ以上のエーテライザーが、何人もいる」


 城壁の外からではわからなかったが、内に入った途端、一気にシンの感知の網にかかったのだ。


「感知能力が突然高まったのも強者のエーテルを感じとってのことだろう。一種の防衛反応のようなものだ」

 そういうものかとうなずきながら、シンは目の前に迫った巨大な王宮を見上げる。


「あの湖にかかる橋を一気に駆け抜ければ中へ入れそうだけど……」

 何人も見張りがいるうえ、下手にエーテルを使えば他のエーテラーザーたちに気づかれてしまう。


「水の中を行けばいい」

「こんな夜中に泳いだりしたら水の音ですぐに見つかっちゃうだろ」

「なぜだ。ひたすら潜ってゆけばいいだけのことだ」

「できるかそんなこと」

「おまえの理解力にもだいぶ嫌気が差してきたな。おまえに不可能なことなどないと何度言ったらわかる」

「なんだよそれ、魚にでもなれってか」

 呆れて言ってやったが、大真面目で「そうだ」と返され思わず面食らってしてまう。


「さっきから何言ってんの。息継ぎもしないでいたら死ぬに決まってるだろ」

「エーテルを纏っている今の状態なら数刻水の中にいることくらいなんの支障もない」

「え、大丈夫なの?」

「ああ」

「で、でも服は? ずぶ濡れのまま走り回るのはさすがに目立ちすぎだろ。それでラスティアのところまで行けって?」

「エーテルを纏ってるのになぜ濡れる」

「え、濡れないの?」

「おまえを切り殺そうとした相手の剣すら届かないのに、たかが水ごときがお前の体に触れられると思うのか」

 これ以上やりとりを続けるとさすがのテラも怒鳴り出しそうな雰囲気だった。


 小走りで水辺に近づき、足を水につけてみる。ちゃぽという音がしたものの、湿ってくるような様子はない。まさに、薄い膜で覆われている感じだ。

 そのまま静かに、おそるおそる足を進めていくと、まるで透明なトンネルの中に入り込んだようになった。

 水の中にいるはずなのに、水圧どころか、何の抵抗すら感じない。 


「何が魚になるだ。泳ぐどころか普通に歩いているだけだろう。ほとほと想像力に欠けるやつだ」

「おまえだって鳥が水の中飛んでるって何の冗談だよ」

 テラは暗く濁った水の中をいつもと変わらぬ様子で飛んでいた。


「自分で飛べるのにわざわざ魚になる必要がどこにある。無駄口叩いてないでさっさと向こう岸まで行ってしまえ。この調子だとすぐに夜が明けてしまうぞ」


 なんとも言えない気持ちのまま、シンは陸上にいるようなつもりで川底を歩き始めた。


 瞳にエーテルを集約すれば、暗い水の中も昼間のように明るくなり、そこらにいる水中の生き物が一気に見渡せた。

 限りなくリアルに近い水族館って、こんな感じかもしれない。そんなことを考えながら歩いていると、たいした遠くもない向こう岸まですぐにたどり着いてしまった。


 橋の上にいる兵に見つからないよう、陸へと上がる。テラが言ったとおり、どこも濡れたところはない。


 ずいぶん便利な力をもらったもんだと思いながら、周囲をうかがう。あまりにも上手くいきすぎているせいか、最初抱いていた緊張感もだいぶ薄れつつあった。


 すでに王宮の壁が間近に見える場所にまで来ていた。よじ登っていけばぽっかり空いた見張り窓から中に入れそうだった。

 一気に城壁まで駆け寄ると、そのまま壁に足をかけ、あっという間に窓の中へ身を投じてみせた。


「ずいぶん動きがこ慣れてきたじゃないか」

 続いて中に入って来たテラが羽音ひとつたてないまま階上へと向かう。


「ちょ、待てって」

 シンも慌ててテラの後を追おうとしたが、何を思ったかテラはすぐに旋回し、シンの肩の上へと引き返して来た。


「三人いる。おそらく休憩中の兵だ」

 そう耳元で囁かれ、一気にシンの鼓動が早くなる。確かに複数の気配がシンにも感じられた。


「どうするんだ」

「そのまま伏せていろ、こちらへ降りて来る様子はない。時間が経てば出ていくかもしれん」

 ほとんど呼吸を止めるようにして息をひそめる。耳に意識を集中させると、エーテルが集約しはじめ、すぐにひそひそとした話声が聞こえ始めた。


「――までこんな警備体勢を敷くつもりだ」

「外ではなく内を警戒しろなどと……王宮内によからぬことを企んでいる者がいると言っているようなもんだぞ」

「ラスティア王女の影響はそれほどまてに大きかったということだ」


 ラスティアという言葉に、シンの体がぴくりと反応する。


「ラスティア王女が継承者争いに加わることはない。そう伝えられていたはずが、今回の闘技大会の開催とパレスガードの一件でその野望が明らかに透けてみえてしまった。これまでの微妙な均衡がものの見事に崩れた今、他の王子王女たちやその支持者たちがどう動くか皆目見当がつかん」


「ったく、新しい王女様もとんでもないことを言い放ってくれたものだ」


「で、ですが、あろうことか、その……高貴なる方々が直接何かを企むということはさすがにないのでは」

 いくぶん年若く聞こえる兵の声には、明らかな震えが含んでいた。


「それはわからんぞ。以前ラウル王が玉座につくときでさえ多くの血なまぐさい事件があったと聞く。ましてや今は王位継承者候補が五人もいるのだ。当時のことを知る者は皆口をそろえて言っているだろう、平和裏に事が進むなどとは到底思えないと」


「そ、それはやはり、王子王女のうちの誰かが他の誰かを……あ、あやめようと――」


「そう考えるのは当の本人たちだけとは限らんさ。各々おのおのの後ろ盾の誰それが独断で、ということも大いに考えられる。正直いまの状況なら誰が手を出しても相手を特定することは相当難しいだろう。なにせ、王室関係者の誰もが容疑者となりうるんだからな」


「逆に考えれば、今こそ暗躍する絶好の機会ともいえるわけだ。まあ、真っ先に狙われる方がいるとすればラスティア王女以外ありえないだろうが。混乱に乗じて別の誰かを、と考えないでもないが……パレスガードに護られた王族に手を出すなんてことはよほどの命知らずかただの阿呆のすることだ」


「パレスガード同士がぶつかる可能性はないか?」


「馬鹿をいえ。そうなれば王宮は戦場と化すうえ、誰が主犯かは火を見るより明らかになってしまうだろう」


「……なぜ、最も危険なはずのラスティア王女の見張りを厚くしないのでしょう。王宮内の怪しい動きを取り締まれとの命令はわかりますが、今の配置でそれが可能とは到底思えません」


「それが、難しいところなのさ……俺たち王宮護衛兵の管轄は近衛兵団だ。そしていま近衛兵団を指揮しているのが誰かと言えば――言いたいことはわかるな」

 年若い兵の息を呑む音すら伝わってくる。三人の兵たちも、自分たちが話している内容がどれほど危ういことかわかっているのだろう。エーテルの助けを借りなければよほど接近しない限り聞き取れない声量だった。


「アルゴード侯も頭が痛いだろうよ。いくら見張りを厳重にしたくとも王宮内の兵には他の王子王女の息がかかっている。誰に寝首をかかれるかわからず、かといって王宮内に自らの手駒を呼び寄せることもできない。今回のパレスガードの一件はそのような焦りもあったはずだ……ラスティア王女にいち早く信頼できる、かつ優れたエーテライザーを身辺につけたいという、な」


「だからこそ俺たちのこの任務が非常に重要になってくるわけだ。兵長が表立って説明できないぶん教えてやったが、事情が呑み込めたなら今ここで耳にしたことは訊かなかったことにするがいい。おまえの身のためだ」


 直接目にしなくとも、年若い兵が何度もうなずく様子が頭に浮かんだ。


「いくぞ、そろそろ交替の時間だ」


 扉を開く音が聞こえ、三人が部屋を出て行く気配がした直後、シンはテラの言葉も待たず一気に階段を駆け上がり、ラスティアのエーテルを再び感知した。


 不安や恐怖は完全に消え去り、代わりに抑えようのない焦燥感が次から次へと湧いて出て、シンの体を激しく突き動かしていた。

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