第14話「王女との距離」

 シンが寝床についたのは、すでに空も白みはじめた頃だった。それでも、長いこと張り詰めていた緊張のせいでしばらくは眠ることができなかった。

 

 いつの間にか訪れていた眠りもほんの一時のことでしかなく、窓から外を覗いたときも、まだ早朝としかいえない時間帯だった。


 考えなくてはいけないことが山ほどあったはずが、何をどう考えればいいのかもわからなかった。ただ、一人で部屋に閉じこもっていたところでどうにもならないことだけはわかりきっていた。


 シンは手早く着替えると、朝冷えのする城内を散策するため部屋を出た。


 廊下に出ると、姿は見えなくともそこかしこに人の気配を感じた。朝食の準備でもしているのか、空腹を思い出させる匂いが漂ってくる。


 思えば昨日は本当にいろいろな話がありすぎて、せっかくの料理にもほとんど手がつけられなかった。


(食物は必ず、とれるときにとっておけ)

 ザナトスで意識を回復したあと、テラから言われた言葉を思い出す。


(セレマの発現には大量のグルを消費する。通常のエーテライズも同様だ。まあ、程度の差はまるで違うがな。もしグルを消費しすぎて枯渇させた場合、今回のように意識を無くしたり、最悪命を落とすことになる。これがおまえ唯一の弱点といっていい。おまえもようだが、今一度頭に刻み込んでおけ)


 正直、こんなところまで物語エルダストリーと一緒とは思わなかった。テラの言うとおり、エーテルを扱うにはグルを、つまりは糖分を必要とするのだ。そしてそれは空腹によって気付かされ、食事をすることでしか補充できない。


 エルダストリーの主人公ウォルトや、他のエーテライザーたちがそうだったように。


 とにかく、誰かにお願いしてみよう。この時間なら朝食にありつけるかもしれない。

 そんなことを考えながら広い城内を歩いていると、下働きと思わしき数人の少女たちが慌ただしく階段を駆け下りていくのが見えた。


「あの、すみません!」

 咄嗟に声をかけると、三人はぴたりとその足を止め、今までの慌てぶりが嘘だったかのように整然と頭を下げた。


「これはシン様、おはようございます。よくお眠りになられましたでしょうか」

「あの、はい。それで、忙しいところ悪いんですが少しお腹がすいちゃって……」


 三人は全員目をまるくさせたあとすぐに平伏した。

「大変申し訳ありません。すぐに食事の席までご案内いたします、さあこちらへ」


 三人のうちの一人がシンを案内してくれたが、残りのふたりは一礼したのち足早に階段を降りていってしまった。


「みんな、忙しそうですね」

 思わずそんな感想が漏れた。


「今朝はたくさんのお客様がお見えになる予定ですから。皆様大変な身分の方々で、レリウス様との面会を強くご所望されています。ラスティア王女との謁見えっけんをいち早く申し込んでいる方も大勢いらっしゃるようです。それこそ夜明けとともに訪れてきた方も多く、私どもなんかより旦那様と奥様の方が目の回るような忙しさかと」


「もしかしてレリウス、寝てないの?」


「そうお聞きしています。私はおそば付きではないので詳しくは存じませんが」


(夜通しあんな話をしたあとなのに?)

 想像しただけで目がしぱしぱした。


「あの、ラスティア――王女は?」

 さすがに呼び捨てはまずいだろうと思い付け足す。


 本来ならレリウスもしっかりとした呼称で呼ばないといけないはずだが、初めて出会った頃からレリウス自身が拒否していたし、今さら「レリウス様」とも「アルゴード侯」とも言いにくかった。


「奥様とともに謁見のための準備をされているかと」

「そうですか。フェイルは?」

「すみません、そこまでは存じかねます。ただいま確認いたしますので」

「いやいいです、そちらのお仕事の方を優先してください」

 シンは慌てて両手を振った。至れり尽くせりの対応にこちらが恐縮してしまう。


 案内された部屋に入ろうとしたとき、見知った顔が廊下を横切っていくのが見えた。


「ダフ!」

 咄嗟とっさに呼び掛けると、シンに気づいた小柄な少年が遠慮がちに片手を上げながらこちらへ近づいてくる。


「たった一日なのにずいぶん久しぶりな気がするな」

「いつの間にかいなくなってたけど、ダフは今までなにしてたの?」


「何って、おれはシンやフェイルと違ってラスティア様付きの小姓見習いだからな。身に着けなきゃいけないことや覚えなくちゃいけないことが山ほどあるってんで早速昨日からいろいろ教わってる。今日も朝からやることが山積みさ」


 リリを亡くしてから数日の間は満足に口もきけない状態だったが、ここへ来るまでの道中フェイルとやり合ってきたこともあり、ずいぶんと元の性格を取り戻してきているようだった。さらに今回、新たな生活と仕事が与えられたおかげか、ぶっきらぼうな態度とは裏腹にその顔つきも出会った当初よりよほど生き生きして見えた。


「シンは? 昨日はずっとラスティア様たちと一緒にいたのかい?」

「それはそうなんだけど……ほとんど話についていけなくて、本当に俺なんかがこんなところにいていいのかなって」

「いいのかって――おまえはザナトスを救った英雄なんだぜ? 堂々としてりゃあいいだろ」

「そんなこと言われても、実感ないし……」


 ダフが痛烈な舌打ちをした。

「エーテライザーってだけでもすげぇってのに、ホントもったいねえやつ」

「もったいない?」


「ダフ、何をしている!」

 突然、廊下の向こう側から声が響いた。


「いけね、また叱られるわ」

 見るからに厳しい顔の壮年の男がこちらをにらみつけている。

 一瞬シンと目が合うと、男はこれ以上ないほど隙のない所作で頭を下げた。


「あれがおれの教育係。めちゃくちゃ怖いけど、割と話がわかるおっさんさ――じゃ、またな」

 言いながら、再び軽く手を上げて走り去っていく。


 ダフと別れ、給仕付きの朝食(自分でやりますとも言えなかった)を終えたシンは、なんとはなしに庭園へと足を運んだ。


 心地よい朝の空気を吸い込んだ瞬間、跳ね橋の向こう側から続々と人が歩いてくるのが見え、咄嗟に生垣の下に身を伏せる。

 目だけを覗かせながら正門前に視線を移すと、御者付きの馬車がひっきりなしな到着し、見るからに地位や身分の高そうな人々が次々と降りてきていた。


(あれが全員、ラスティアやレリウスに会いに来たひとたちなのか……)


「なんでそんな縮こまってんだよ」

 突然うしろから声をかけられ、冗談抜きに飛び跳ねてしまいそうだった。


「フェイル!」

「案外早く起きたんだな、探したぞ」

「探したって、おれを?」

「他に誰がいる? 飯も食ったみたいだし、そろそろ行くか」

「行くって、どこへ?」

「そりゃラスティアとレリウスのとこへだよ」

「おれが? な、なんで?」

「いろいろ見ておくに越したことないぜ? これから俺たちはラスティア王女につかえる身だからな――って、おまえはちょっと違うか」

「でも、二人とも忙しいんだろ? 会わなきゃいけない人たちがあんなにいるみたいだし。おれなんかが顔を出したら迷惑だよ、きっと」

「隅で見てるだけなんだから関係ねーだろ。いいから来いって」

「ちょっ、フェイル!」


 結局、半分首根っこをつかまれるようにして強引に連れ去れてしまった。

 そうしてやってきた場所は、まるで礼拝堂のような場所だった。


「ラスティアの謁見にあまりにも大勢押し寄せてきたってんで、全員が一同に介する場にしたらしい。要するに、一対一で面会するに直しないやつらってこった」

 シンとフェイルは一番うしろ、皆が背を向ける席の椅子に並んで腰かけた。


「どうして、そんなたくさんの人が?」

「アインズの継承者争いが予想以上に激化しているらしい。ラウル王やレリウスの計らいでラスティアを巻き込まないようにしていたらしいが、今となっちゃどこまで効果があったのかすら疑問だな」

「どういうこと?」

「いくら直系ではないとはいえ、民から圧倒的な人気を誇ったラウル王の実妹フィリー様の娘であり、歴としたアインズの第三王女様だ。さすがに次期国王とまではいわないまでも、顔を繋いでおいて損はない。それどころか、継承者争いがもつれた場合、ラスティア王女を押し立てて、と考えるやからもいるだろう」


「お、出てきたぞ」

 シンが何かを言うより早く、フェイルが顎で前方を指し示す。


 昨日、晩餐の席で起きた現象が、再び巻き起こっていた。


 祭壇と思わしき場に現れたラスティアは、やはり美しかった。

 身にまとった蒼い祭服に透明感溢れる茶褐色の髪がかかり、今までとは違う、どこか憂いを帯びたような翡翠の瞳は、見る者を魅了してやまない。


 その場にいる全員の感嘆の吐息が耳元まで聞こえてくるようだった。


 羨望せんぼうと崇拝の入り混じったような参列者たちの眼差しを一身に浴びながら、ラスティアは中央に敷かれた赤い天鵞絨ビロードの上を流れるように歩いていく。


「――決めたぞ」

 突然、シンたちのすぐ前に座っていた参列者の男がうめくような声で言った。

「あの方の王族護衛士パレスガードになるのは、この俺だ」


「そう決意した人間は、少なくないだろうよ」

 隣に座る男が、ラスティアから一瞬も目を離さないまま熱にうなされたようにつぶやく。

「俺も、その一人だ」


 意味がわからず、シンは問いかけるような視線をフェイルへと向けた。しかしフェイルはあからさまに人が悪そうな笑みを浮かべ、何かを企むかのように頷くだけだった。


 目の前の二人は――いや、そこに居並ぶ者全員が、ラスティアという存在に魅入られている。


 シンはその光景を前に、自分でもよくわからない胸騒ぎを覚え、なんともいえない気持ちのままラスティアを見つめた。大勢いる参列者の中、その片隅で小さくなって座るシンをラスティアが見つけられるとは思えなかった。


 そのはずが——


 なぜ、気づくことができたのか。彼女の翡翠の瞳は間違いなくシンを捉え、少し首をかしげるようにしながら、ほんの一瞬、その口もとをほころばせてみせた。


 シンもそれに応えるように笑顔を見せたが、今はその距離が、途方もなく大きいもののように感じられたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る