第29話「王女と臣下」

「いったいヘルミッドは――バルデスは何を考えているの!?」

 ラスティアは迫りくる大軍を前に、叫んだ。


「最初は外周の人たちを虐殺することでザナトスを脅し降伏を迫る気でいた。こちらの呼びかけに応じてからは私とレリウスを捕え、シンまで手元に置こうとした――」

 一心不乱のように自問自答する姿に、誰も口を挟めなかった。


「まさか、ザナトスをおとりに私たちをここに引き留めるつもり? いえ、それでは本来の目的からあまりにもれすぎている。仮にそうだったとしても私たちがここを去れば街を襲う必要なんて――」


「ラスティア様」

「まさか、今まで私が考えていたことは――」

「ラスティア様!」

 そう間近で叫ばれ、ようやくラスティアの視線がレリウスとかち合う。


 レリウスがラスティアの両肩に手を置き、ゆっくりと語りかける。

「相手の真意や意図を見抜くのは極めて重要なことですが、囚われすぎてはなりません。特に戦下においてはあらゆる人間のさまざまな思惑が絡み合います。先ほどのベイルとヘルミッドのように。案外、だったのやもしれません」


「ありえないわ! 邪教徒として人々を虐殺することが目的だなんて、そんな――」


「いずれにせよ、ああして攻めてきた以上こちらも腹をくくらなければ。ですが、これ以上あなたが背負う必要はありません」

「それは、どういう意味」


「いくらアインズ王室へ迎え入れることが決定しているとはいえ、ラスティア様はまだ王女として公式に認められたわけではありません。たとえ王女としての役割が求められたのだとしても、今回のことはその責務を完全に超えています。酷な言い方かもしれませんが、器もなくアーゼムでもないあなたは、ロウェインの名もその使命もまったく負う必要がない。とまあ、本来であれば私のような地位にある者がすべての責任と判断を追うべきだったのですが、少し酔狂が過ぎました」

 こんな状況だというのに、屈託のない笑みを浮かべながら言う。


「ラスティア様、あなたに従っていることがずいぶん心地よく、できればこの先ずっとあなたと共にありながらその成長を見届けたかった――どうかここにいる皆を連れて後方の援軍と合流を」


「何を言っているの、あなたはどうするつもり」


「ヘルミッドがああいっている以上、私は今いる兵を率いて街を守ります。あちら側の真意はともかく、今は一人でも多くの住人たちを避難させなくては。この兵力差では劣勢は明らかですが、私が指揮をとりさえすれば少しは持ちこたえられるかもしれません。自分で言うのもなんですがね」


「いくらあなたでもあの人数で攻め込まれては――」


「ええ、持ちこたえることも難しいでしょう。それにもまして、一気に突撃してこないのがまた不気味なところです。最後までこちらの出方をうかがうつもりなのか……もしかするとああして迫ってくることで我々が投降するのを待っているのか。いずれにせよ、ザナトスの住人たちを最後まで守り抜くことは我が国にとって非常に重要なことです。我々は決して自国の民を見捨てないということをアインズ全土に知らしめるために。このことは必ずやラウル王ひいてはディファト王子の力となり、のちのバルデスとの戦争に大きな影響をもたらすでしょう。アインズという国が一丸となり、かの国を打ち破るために。兵たちも理解していますよ」

 ラスティアは後ろに控える二千人のベルガーナ騎士団の面々を振り返った。その誰一人として不安げな表情を出す者はなく、前方のバルデス軍をどこか達観した表情で見つめている。


「アーゼム健在とはいえ、今やこんな時代です。エルダストリーは間違いなく混迷と戦乱の時代へと突入しようとしています。一国の兵たる者、いつどのような戦場へ送られるかも知らず、また戦場で死ねるとも限らない。今回のように民を守るために戦えるのは、むしろ最大の名誉でしょう。悔いはないはずです」


「なら私も残るわ!」

 ラスティアが拳を握りしめ、迫る。


「恐れながら、あなたにここでの戦場は無理です。共に戦う兵たちも戸惑うでしょう。いくらサイオスに師事していたとはいえ、指揮をとる経験が絶対的に足らない」


 レリウスの口にした言葉に、ラスティアの目が大きく見開かれる。

「どうして師のことを――なぜあなたがサイオスを知っているの?」


「時間がありません。今度サイオスに会ったときにでも聞いてみてください。ああ、やつの名を出したら俄然がぜん勇気が湧いてきましたよ。もしこの場にサイオスがいたら、あんな軍勢などものともしなかったでしょうに」


「レリウスお願い、私も一緒にあなたの隣で戦わせて。 サイオスはこのようなときのために私を――」


「なりません。あなたという人間をここで失うわけにはいかない」


「ねえ、お願い」ラスティアの目に、微かな涙がにじむのが見えた。「わたしは……これ以上、無力なままでいたくない……」

 

 レリウスは優しげな笑みをたたえ、首を振った。

「いずれ世界が――あなたという人間を必要とする時代が、きっとやってきます。あなたこそ、なんとしても生き延びるべきなのです。できれば私も、その隣に立っていたかったが――誰か!」

 レリウスの呼びかけに対し、数人の兵が示し合わせたように馬を進めて来る。


「数人護衛をおつけします、彼らとともにお逃げください」

「待ってレリウス」

「もう時間がありません」


 レリウスの言う通り、まだ距離があるとはいえバルデス軍は確実に近づいてきている。


「さあ、少年。君もラスティア様と一緒に」

 これまで身を縮こませるようにしていたダフが、びくりと肩を震わせた。


「フェイル、おまえも一緒にここを離れるといい。先の礼として駿馬しゅんめを一頭進呈しよう」

「そいつはありがたい」

 フェイルが演技がかったように頭を下げる。


「シン」

 最後にそう呼ばれる気がして、シンはゆっくり前に進み出た。


 自分が何に巻き込まれているかも理解できず、ただ呆然と突っ立っているだけの人間になり果てながら、ラスティアたちの口にする言葉を他人事のように聞いていた。だからこそ、今何が起きているのかだけははっきりと理解できた。


 この世界に来るまでは妄想の中だけで起きていた出来事が、間違いなく現実のこととして迫っている。


「共にここへ駆けつけてきたときの話を覚えているかい?」

 まっすぐ向けられるレリウスの穏やかな視線を受け、シンは静かにうなずいた。


「返事はまだもらえていないが、引き受けてくれたものと考えていいだろうか」

「お、おれは――」

「レリウスお願い、私も一緒に!」

 ラスティアが哀願するように叫ぶ。


 それでもレリウスは断固として首を縦に振らなかった。


「何度言われても、うなずけません。あなたを必ずオルタナにお届けするとラウル王に、そしてランダル様に誓いました」


「いやよ! 何もできず目の前で人が死んでいくのは、もう耐えられない!」


「あなたの掲げた理想は! こんなところで放り投げられるほど軽いものだったのですか!」

 これまで聞いたこともないレリウスの怒号がラスティアの全身を打った。


「この身のすべてを捧げたいとさえ思ったあなたは、こんなところで終わってはいけない。これから先あなたはあまたの人々を惹きつけ、その理想へと導いてゆけるお人だ。!」


 まるでレリウスの言葉に魂を引き抜かれたかのように、ラスティアは声もなく立ち尽くした。その頬を一筋涙がこぼれ落ちていく。


 今まで勇敢な戦士のように振る舞っていたラスティアが、ようやくただの少女に戻ったように――戻れたように、シンには思えた。

 

『――ラスティア様を守ってくれ!』

 あのときのレリウスの言葉が、心臓を握りしめるかのような力強さでシンの胸へと響く。


「それがおまえの意志か、シン」

 その声はシンだけでなく、間違いなく全員の耳に届いた。

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