第28話「狂乱のバルデス」

シンたちが塔を降り、ラスティアがリリの亡骸をそっと胸にかき抱いたときだった。


「レリウス様ぁ!」という声が後方からあがり、ラスティア以外の全員がそちらを振り向いた。


 後方に控えているベルガーナの騎馬隊を押し退けるようにしながら、ザナトスの執政官ワルムが初めて出会ったとき同様、転がるようにしてシンたちの前に現れた。そうしてレリウスの前にひざまづくと、深々とこうべを垂れた。


「ザナトスの住人たちには火急的速やかに近隣の街へ避難するよう触れを出しました。その呼びかけと誘導には警護兵たちを当たらせ、ベルガーナの駐屯兵は一人残らずレリウス様の招集に応えております!」


 ワルムからの報告を受け、レリウスは少々面食らったような表情をした。


「さらに急ぎセイグリッド砦へ早馬を走らせ、アルゴード侯の名においてベルガーナ騎士団全軍を呼びせております。半日もすれば援軍がやってくるはずです」


「……どうも私は、ワルムを勘違いしていたようだ」

「は?」

「まさか、最初から徹底抗戦の構えとは思わなんだ」

 

 ワルムは意味が分からないといった表情でレリウスに迫った。

「何を言いますか。当初私のもとへ寄せられた情報では、バルデス軍の強襲により外周は文字通り跡形もなくなったということでした。実際、この有様です。しかも信じられないことにやつらは何の布告も寄越さなかったのですよ? これは侵略行為以外のなにものでもありません!  なんとしてもザナトスを守らなければ、この先アインズの大地は血に染め上げられてしまいます!」

「いや、まったくその通りだ」

 レリウスは慌ててうなずいた。


「私は赴任して間もない未熟者ではありますが、それくらいのことはわかります」

「そうだったのか。ここへはいつ?」

「六日ほど前です」


 レリウスは驚きの表情を隠さなかった。

「なるほど、私たちを迎え入れたときの慌てようにも合点がいく。しかも、その短期間のあいだにここまで指示を行き渡らせるとは……今になって申し訳ないが、名はなんと?」


「ミルズ・ウェットアートよ、レリウス」

 ワルムが答えるより早く、こちらに背を向けたままのラスティアが言った。


「な、なぜ私の名を?」

「迎え入れてくれた人の名前くらい知っておくのは当然でしょう。それよりミルズ、ベルガーナの援軍がここへ駆けつけて来るまでには半日かかると?」

 ラスティアはこれ以上ないほど優しくリリの体を横たえると、すぐ隣で立ち尽くしていたダフの背にそっと手を添えながら立ち上がり、振り向いた。


 ミルズは一瞬呆けたようにラスティアを見つめていたが、慌てて首を上下に振った。

「どう急いでもそれくらいはかかってしまいます。ましてや、全軍出撃となれば……全力で駆けつけてきたとしても半日が限界でしょう。そもそもバルデスとの戦争など永らく行われていなかったうえ、形式上は我が国の友好国です。ご存じのようにザナトスはバルデス、ディケインに通じる交通の要所。北の護り手であるベルガーナ騎士団の一部のみを駐屯させているのはいたずらに他国を刺激しないという配慮でもあったのですが、今回はそれが大いに裏目に出ました」


「というよりそれを狙って、ということだろう」レリウスが唸るようにうなずく。「だからこそバルデスは一戦も交えることなく制圧できる、たとえ抵抗されたとしても一気に攻め込んでしまえると踏んだのだ。それはつまり、こちらの援軍がたどり着く前にザナトスを落としに来るということ。いくらベルガーナの兵が強いとはいえ、五万もの大軍にザナトスという補給基地を取られてしまえばアインズから撤退させるのは容易ではない。今ミルズが言ったとおり、ザナトスを手に入れ次第本格的に攻め入ってくるだろう」


 全員が見つめる先に、バルデスの軍勢があった。

 言葉には出さなくとも、誰もが思っていたはずだった。


 手の打ちようがない、と。


 だが、シンだけは違っていた。地に足が付かず、心もどこか別の場所に浮遊しているような気分だった。自分だけが、ただ映画を眺めているだけの観客みたいに思えて仕方なかった。

 一瞬のうちに踏みにじられた外周の人々の暮らしも、遠く前方に居並ぶ大勢の軍勢さえも。以前読んだ物語エルダストリーの一場面が頭に浮かんでいるだけのような気がしていた。


「逆に言えば、ベルガーナの援軍が来るまで私たちにここを守り切られたらヘルミッドは動けなくなるわ」

 ラスティアが言った。先ほどまで見せていた表情は微塵もみられなかった。むしろ、不自然なまでの表情のなさに、シンの胸が激しくざわついた。


王都オルタナまで攻め込むためには、なんとしてもザナトスという補給線が必要なはずだから」

 

 すでにヘルミッドたちは後方の援軍に追いつこうかというところだった。

 体勢を整えたのち全軍をもってこちらへ向かってくるまでどれほどの猶予ゆうよがあるのか。

 

「なればこそ、ほとんど間を置かず攻めて来るでしょう。我々の援軍が到着する前に」

 レリウスが言った。


「レリウス様ご指示を。皆、戦闘開始の合図を待ち構えております」

 ミルズがさらに深く頭を下げる。


「おいおい、こっちは二千の兵しかいないんだぜ」

 少し離れた場所に立っていたフェイルが、バルデス軍とベルガーナの騎士たちを交互に見つめながら言う。

「あの大軍勢相手にいったいどうするつもりなんだい? 俺はすぐにでもここを明け渡してセイグリッドからやってくる援軍と合流することをお勧めするね。ベルガーナ全軍がそろえば三万は固いはずだ。三万対五万ならそう簡単にはやられねえだろう。なんとか時を稼いで今度はアインズ全土からの援軍を待つ、それが今一番の冴えたやり方ってやつさ。いくらザナトスを取られたくないっつてもみすみす二千の兵を犬死にさせるなんてのは阿呆のすることだ。心配しなくてもバルデス軍だってこれから補給基地にしようって街をわざわざぶち壊したりはしねえさ」


「おまえの言い分はもっともだ」

 レリウスは素直にうなずいた。


「それでも私たちは戦わずしてここを明け渡してはいけないの」

 すでに頭にあったことなのか、ラスティアははっきりとそう言い切った。


「どうしてだよ」

 フェイルが面白くなさそうに言う。


「バルデス側の言い分を全面的に受け入れたことになってしまうからよ」


「それは、あの王子のことかい」

 一応、王子という呼称はつけていたが、その身分に対する敬意は微塵も感じられなかった。


「そう。これはアインズ側の正当性を西方諸国に主張するための戦いになる。私たちがどう出るかは勝敗と同じくらい重要よ」

「つまりあんたらは、国のために死ねというわけだ。勇敢にも駆けつけてくれた後ろのやつらに、そう命令するってんだな?」

「さっきから黙って聞いておれば。お主、いったい何様のつもりだ」ミルズの顔を見るみるうちに赤くなる。「お二人がどのような方が、知っての言葉か」


 レリウスがミルズを制するように片手を上げる。だが自身では何も答えず、まるでラスティアの言葉を待つかのように真っすぐ彼女の方を見つめた。


「ザナトスは、始まりに過ぎない」

 やがてラスティアがぽつりと言った。


「なんだって?」

 フェイルが眉をしかめる。


「ヘルミッドの――バルデスの本当の目的はザナトスではなく王都オルタナよ、あなたも聞いていたはず。彼らは一方的な言い分を大義として掲げ、本気でアインズを奪いに来た。この先どれほどの血が流れるか、バルデス軍のやり方を誰よりも間近で目にしたあなたならわかるでしょう。必要とあれば外周の人々に対して行われた虐殺がアインズのいたるところで繰り返されてしまう」


「アインズ兵だけでなく他の街やそこで暮らすやつらも皆同じような目に遭わされるってか? 今回のことは見せしめと割り切っても、バルデスほどの大国がそこまでするかねえ。東の蛮族どもじゃあるまいし」


「だから必要とあれば、よ。バルデスほどの大国がむやみやたらと人を殺し回れば逆に西方諸国全体から避難の的になる、アーゼムも黙っていないわ。気になるのは『邪教徒』とバルデス側が断定してきたこと、少なくともヘルミッドははっきりとそう言っていた。同じエルダ教を信奉しているとはいえ、バルデスは独善的ともいえる教義と排他的な思想をもつ国。近年の行き過ぎた信仰にはアーゼムも頭を悩ませていたはず。同じくエルダ教を信奉するアインズとて異教徒ともくされてしまえばどうなるかわらかない。たとえ言いがかりのような大義であってもバルデスの民にとってはアインズを攻め入るだけの十分な理由になりうるわ。しかも彼らには核光兵器メキナの脅威を取り除くという明確な目的まである」


「つまり一時撤退することはおろか、アインズ侵略の前線基地となるザナトスここは何がなんでも明け渡せないってことかよ」

「そういうことね」

「おいおい、話が振り出しに戻ってるじゃねえか。だから、いったいをどうすれってんだよ」

「悔しいけれど、あなたがさっき言った通りにするしかないわ」

「はあ?」

「いくら彼らの狙いやこちらの理想を語っても、今の私たちにはどうすることもできない。ましてや、ベルガーナの騎士たちをみすみす死地に追いやるようなことも。なら、今は撤退するしかないわ。そうでしょうレリウス?」


 レリウスがさも満足そうにうなずく。

「その通りです、ラスティア様。状況を正確に分析し、その時果たすべき理想や目標は明確に。しかしどう考えてもその達成が困難である場合は、今できる最善の手を打つのみです。今回の場合でいえば我々の戦いにザナトスの住人たちを巻き込まないこと。彼らの命を最優先とし、今はひとまずここを明け渡しまょう。我々は今いる兵たちと逃げ延び、オルタナへ正確な情報を伝え、万全の大勢でバルデスを迎え撃つ。ザナトスを奪われた後のことなど、その時々で考えればよいのです」


「おいおい……絶対引けないだの明け渡せないだの言っておいて、なんなんだよそりゃ」

「レリウスが言ってくれたでしょう、理想と現実は別ってことよ」

 初めてラスティアがほころぶような笑みを見せた。


「あーそうかい。せっかく『無駄死にはごめんだ』って逃げ出すつもりだったのによ」

「ザナトスはバルデス軍にとって重要な補給線にして前線基地になる。できるだけ健全な状態で手に入れるためにも街そのものや住人たちに手出しはしないはず――」


⦅ラスティア王女、それにアルゴード侯!⦆

 突然、耳をつんざくようなヘルミッドの声がシンを含む全員の頭へ響いた。

 

「ヘルミッドの共感念波パルス!?」

 ラスティア鋭く叫ぶ。


⦅貴侯らはバルデス側が提案した和平交渉にも応じず、徹底抗戦の構えをとった! これをもってアインズ側の回答と見なすとともに、ザナトスの住人すべてが邪教徒であるとの結論に至れり! バルデスの黒騎士たちは目の前の者すべてを問答無用のうちに切り捨てるであろう! 邪教徒どもよ、いくらでもかかってくるがいい。たとえ逃げ延びたとしてもいくらでも追いすがり、必ずや根絶やしにしてくれる!⦆


 その場にいる誰もが、ヘルミッドの言っていることの意味が理解できなかった。

 しばしのあいだ茫然と立ち尽くすなか、ラスティアの顔が見るみるうちに蒼白なものへと変わる。


⦅な、何を言っているの! 公的な言い交しなどなかったはずよ、それに私たちはまだ何の行動も起こしていない!⦆

 ラスティアの悲鳴にも似た言葉が、直接頭へ響く。それはヘルミッド同様、パルスと呼ばれるものらしかった。


⦅問答無用!⦆


 テラの〈共鳴〉とよく似た感覚だったが、共感念波パルスというこの声は、相手次第で頭に響く声の強弱が異なるようだった。近くにいるラスティアよりもヘルミッドの声の方がガンガンと鳴り響いてくる。


⦅言いがかりのような大義によって無抵抗の住人たちまで殺すなんて、だわ! あなたの今言ったことはこれから虐殺を行うという、ただそれだけの――⦆


⦅エルダにあだなす者どもよ、その怒りの激しさを知れ!⦆

 

 頭の中での言葉の応酬にシンはめまいすら覚えた。だが、ヘルミッドの突きつけてきた言葉の意味に比べれば、そのような症状など問題にもならなかった。


⦅話を聞きなさい!⦆

⦅これより進軍を開始する!⦆

 ラスティアの言葉はしかし、ヘルミッドの号令にかき消されてしまった。


 遠く前方に見えるバルデスの黒き騎影が、恐ろしいまでにゆったりとした速度で近づいてくるのが見えた。

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