第13話「王女とふたり街をゆく」

「レリウス様……さすがに、目立ちすぎるのでは」

 執政官ワルムが、レリウスの顔色を伺うようにして言った。


「確かにな」レリウスが唸る。「数日一緒にいたせいか、私も慣れてしまっていたようだ」


 シンは反応に困り、頭を掻いた。


 昨日の晩餐ばんさんの後、寝室に案内されたシンは、おそろしく寝心地の良い天蓋てんがい付きのベッドでぐすり眠った。その翌朝、ザナトスの街にくりだすべくラスティアと共に出て行こうとしたシンたちを、ワルムはじめとする周囲の者たちが慌てて止めたのだった。


「目立つ、とは」

 ラスティアが聞いた。


「お二人の外見が……その、特に瞳が、類まれな色をおもちですので。しかもそろってお出かけになるとなると、余計に目立ちますというか。しかもその、ラスティア様はあまりにも……」

「あまりにも?」

「その……ご、ご容貌ようぼうが美しすぎるのです! あなたのような方が街中を歩かれるとよからぬことを考える者も――ご無礼を」

 ワルムは手にした布でしきりに額の汗を拭っていた。


 シンとラスティアは困惑の目をレリウスへと向ける。

 

器保持者エーテライザーでもない限りお二人に手を出せるような者がいるとも思いませんが、ワルムの言うこともわかります――だれか薄手の外套ローブを」

 

 すぐに侍従が駆け出し、用意してくる。


「――昼には少々暑くなるかもしれませんが、目深にかぶれば大丈夫でしょう。今の季節ならそれほど違和感なく歩けます」

「ありがとう」


 ラスティアが受け取り、一枚をシンへと渡す。

 シンは上等な肌触りのするローブを羽織り、フードのようになっている部分を軽く頭にかけた。


(なんか、コスプレしてるみたいな気分だな)

 普段身に着けたことのない衣服に気恥ずかしさを隠せなかった。もちろんシン以外の誰も、その恰好がおかしいとは思っていないようだった。


「本当によろしいのですか」

 ワルムはなおも食い下がった。よほど心配なのか、それとも自分の非になるとでも思っているのか。彼はラスティアがシンのみを引きつれて街へ行くことに反対した一人だった。


「ベルガーナ騎士団はもちろん、ギルドすらあるこの街で白昼堂々悪さしようとする者がいるならむしろお目にかかりたいものだ。それに、ラスティア様には今後このような機会もほとんどなくなるだろう。察してくれ」


 シンには王女なんて身分の人をどう扱うべきかなんてことはわからないが、レリウスが大丈夫というからにはまったく問題ないような気がした。


 ワルムは一瞬何かを言いかけたが、ラスティアとレリウスの二人にうなずかれると、しぶしぶと頭を下げた。


「では、行ってきますね」

「行ってきます」

 ラスティアとシンが言うと、レリウスがうやうやしく頭を下げた。


「お気をつけて。くれぐれも街中から出ぬよう、それと、暗くなる前にはお戻りください」


 レリウスに見送られながら、シンは昨夜荷台や寝室の窓からのぞいた景色に胸躍らせながら扉を開いた。


 この世界にやってきて初めて屋根のある、それも分不相応なほど立派な部屋で眠れる夜だったが、シンは長いあいだ窓の外を眺めていた。

 心身ともに疲れ切っていたはずだった。さまざまな思いや考えがくりかえし頭をよぎった。しかしそれ以上にシンを捉えて離さなかったのは、夜のザナトス、そのあまりにも幻想的な夜景にあった。


 普段シンが目にしていた街灯とはあきらかに違う。いったい何が光源となっているかもわからない、柔らかな緑色の光が、真夜中になっても収まらない街中の喧騒を明るく照らし出していた。


 まさに今その場所を、シンは不可思議な巡り合わせの中出会った世にも美しい少女とともに歩いていた。


『ご、ご容貌が美しすぎるのです!』というワルムの言葉には、頷かずにはいられなかった。それでもシンは、全力の努力でもって顔や態度には出さないようにしていた。

 そのようなことを言われるたびに、一瞬ラスティアがどこか寂しそうな、やるせないような表情を見せることに気づいていたからだ。


 しかしシンのそんな思いは徐々に賑わいを見せ始めた街並みの前ににすっかり忘れ去られ、あっという間もなく周囲の喧騒に目と耳を奪われてしまった。


「——おい店主、まさかこんな品ぞろえで店を開けようってのかい? 新参しんざんなら新参なりの準備ってもんがあるだろう」


「そう思うならいい仕入先を紹介してくれ! いくら駆けずり回ってもこっちの注文なんざまるで聞いちゃくれないんだ!」


「そんなんでよくこの街で商売しようなんて思ったな。人の行き来が激しい分、当たりゃあでかいがつぶれていく店だって多いことくらいわかってただろうよ――」


 少し歩くだけで、四方八方から威勢のよい声が飛び込んでくる。


 整然と舗装ほそうされた通りの両脇には、数えきれないほどの露天商たちが隙間なく店を構え、客を呼び込もうとする店子たちの声が一斉にシンの耳へと届いた。


「イストラで加工された高純度の核光石かっこうせきだ、従来のとは比較にならないほど明るいうえ、長持ちするよ!」


「ここにありますのは東方大陸ラクターノアで狩られた半獣たちの素材です。獣人種ファルンの毛皮、幻獣種ラウロスの角――」


 飛び交う客引きの声や陳列されている商品に対し、シンの目と耳はいちいち反応してみせた。

 突然走り出すというような子どもじみた真似はさすがにしなかったが、人ごみの上から店の中を見ようとしてぴょんぴょん飛び跳ねていると、後ろから涼やかな笑い声が聞こえてきた。

 

 見るとラスティアが屈託のない表情で笑っていた。


「ごめん、なんか一人ではしゃいじゃって」

「いえ、こっちこそ笑ってしまってごめんなさい」ラスティアがなおも笑いながら言う。「でも、本当に楽しそうだったから」

「いや、見るのも聞くのも初めてのものばかりだから――なんだあれ」


 露出度の高い衣服を身に着けた客引きの女性が、背中にきらきら光る羽のようなものを生やし、踊るような仕草で周囲の客を集めていた。


精霊種フェイアートの羽ね。もし本物ならいろんな用途に使われる素材になるから、かなり高価な品よ。あれは背中に着ける装飾品みたいだけど」

「珍しいものなの?」

「もし本物なら、ね。以前似たような品を見かけたことがあるけど、ただの模造品だったわ。ザナトスのように交易が盛んな大きな街ではよくある光景ね。いろんなところからありとあらゆるものが集まってくるのよ。もちろん中には正真正銘の本物だってあるわ」

「これから向かうオルタナっていうのはもっとすごいところなの? 王都ていうくらいだからこの街よりずっとでかいんでしょ?」

「そうね。オルタナは『大いなる水の都』と呼ばれるくらい大きく、華やいだ場所よ。ただ、洗練されすぎているというか……どちらかというと私は、この街のような雰囲気の方が好きだな」

「実際に行ったことがあるの? ラスティアはランフェイスというところに住んでたんでしょ? 」

「一時、ある人に師事してエルダストリー中を旅したことがあるの。オルタナへはその時に」

 つい質問ばかりになってしまったが、ラスティアは嫌な顔一つしないどころか、むしろ楽しげに話してくれた。


「そのときはレリウスに会うような機会はなかったけれど、アインズ王の居城であるリヴァラ水上宮は見てきたわ。文字通り水の上に浮かぶように建造された宮殿で、西方諸国随一の美しさとまで言われているの。特に夜、きらびやかな灯りが湖面に反転して映し出される様はこの世のもとは思えないほど綺麗だった……世が明けるまで眺めていたこともあったな」

 当時のことを思い出してでもいるのか、ラスティアは少し遠くを見るようにしながら話した。


「でもね」

 そう言ってシンの方を向く。華やいだ表情の上でくるりと動く翡翠の瞳に胸がどきりとする。

「こうして同じ年頃の人と街を歩くのは、本当に久しぶり。オルタナにいたときはほとんど一人で過ごしていたし。他の街でも――だからかな、とても華やかっだったけれど、どこか寂しい記憶として残ってるの」


 そう言うラスティアの笑顔の端々にときおり影が差すことを、シンはうすうす気づいていた。

 ラスティアのこれまでの言動から考えれば、簡単にわかることだった。


 ――私のせいだ。


 数日前、惨劇の場を目のあたりにしたラスティアが口にした言葉だ。そのときの彼女の姿は、今もシンの頭の中にはっきりと残っている。


「賑やかなのに寂しいっていうのは、なんとなくわかるかな」シンは何も気づかないふりをしてうなずいた。「あまりにも人の多い場所や街なんかに行くと、自分のことなんて誰も知らない、みたいに思えてひどく寂しくなるときがあるから。本当に一人でいたら、余計そう思っちゃうかもしれないね」

「今も、そう思っている?」

「え?」

 思わず立ち止り、ラスティアと見つめ合う形になった。


「シンは、こことはまるで違う場所からやってきたんでしょう? 信じられないような出来事だけれど、あなたのことを知れば知るほど、逆にそうとしか考えられないもの――家族や身近な人たちのことを思って寂しくなったりはしない?」 

 

 吸い込まれそうなラスティアの瞳の中に、シンはなぜか、もといた世界に残して来た人たちの姿を見た。

 

 中でも、ただ一人血のつながった家族のことを。


「ラスティアは、どうなの」だが、シンの口から出てきたのは自分のことではなかった。「いきなり王女様なんてものになるんだろ。怖かったり、不安だったりはしないの」


「もう決めたことだから」ラスティアは毅然きぜんとした声で言った。「それに、父に言われたからそうするんじゃない、ちゃんと自分で決めたことなの。アインズの王女として生きることが、おそらく、私の目指したかった道にも繋がっていると思うから」

「目指したかった道?」

「また時間があるときにゆっくり話しましょう。それより昨日から身を乗り出すように眺めていたんだから、もっといろいろ見てまわらなきゃ!」


 陽が昇るにつれて行きかう人々の群れも多くなってきた。目深にローブをかぶっていた二人だったが、ラスティアの容貌はそれでも目を引くようだった。間近ですれ違っていく人々のほとんどがもう一度振り返るようにしていたし、中にはあからさまに凝視してくるような態度の良くない者もいた。


 シンの場合は物珍しそうに目を留める者がいないでもなかったが、ラスティアほど目立ちはしなかった。最初はいちいち気にしていたが、途中からは見たいものが多すぎて正直そんなことはどうでもよくなった。


 シンは子供じみた言動でラスティアに笑われないよう、なるべく並んで歩くようにした。そうするとシンの目についたものすべて、ラスティアが丁寧に説明してくれるようになり、余計楽しくなってきた。


「あの建物はなに?」


 ひときわ大きい、武骨な造りの建造物を指差しながら聞いてみた。

 どこかしら教会のような雰囲気を感じるが、あまり人が近づくような様子もみられない。重厚そうな扉の上に、少女の横顔と何かの花のような紋様が刻まれている。


「あれが〈ギルド〉よ」

「ギルド?」

 確か、さっきレリウスも同じことを言っていたような気がする。


 シンもエルダストリーの記憶をたどってみるが、物語上ギルドという名前が出てきた記憶はない。

 

「ギルドは名誉と誇りを謳歌おうかする器保持者エーテライザーたちの集いし場所――エルダと百合の紋章は、その証なの」

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