#2女性からの申し出ほど怖いものはない


「佐古課長!お願いします~!課長しかいないんですよ~!」

「イヤやてー!なんで俺やねんてー!勘弁してー!?」


佐古葉平は会社の玄関で後輩にあたる女性と彼是10分ほど押し問答していた。

玄関で、というのはこれから帰宅するところだったのだが、この増利悦子に会社を出ようとしたところで捕まってしまったのだ。

葉平は若い女性が得意な方ではない。そこに加えてこの増利という女性社員はとてもお喋りの類の女性だった。

何かあれば噂話をするし、興味が向けば意気揚々とあらゆる事に首を突っ込んでしまう。

性根が腐っているとまではいかないが、良く言えば面倒見がいい、悪く言えばお節介が過ぎるといった感じの人だ。

最初は良く話すので明るくて話しやすいという印象を受けるが、その内『口に戸を立てられない類の人』という認識に気づけば室全体がなっていた。

ただ悪気がある類の人ではないから、最初は誰もが気づかず色々彼女に話してしまう。そうすると、聞くこちらとしたら聞きたくもない他人の情報を得てしまって何とも言えない空気になったりするということが間々ある。

そして今現在のこの押し問答だ。

何をせがまれているかというと何でも「恋人の真似事をして欲しい」という事らしいのだ。

彼女に恋人がいるとか、言い寄る男がいるだとか、そういう話は”今”聞いたばかりで、恋愛で悩んでいるのであったならお喋りすぎる彼女が回りの人間に悪意無く自慢げに大袈裟に話していておかしくないはずで。

そしてそういう事であったなら、女性社員が嫌な顔をして上司である自分に「増利さんなんとかしてくださいよ課長~!」と愚痴ってくるぐらいには彼女はそういう人であると認識していたから自分は本当に初耳だった。

その増利悦子という人が急に何か頼んできて、かつ「恋人の真似事をしてほしい」と言えば、面倒事も面倒事の香りがそこはかとなくしてしまって身構えもするというものだ。


「ちょっと!ちょっとの間だけですから!本当に!」

「それ俺じゃなくていいやん?!ちょっとなら尚更若い野郎どもが喜んでやるやろて!」


自分の腕をしっかりと掴んでいる女性を、筋骨隆々とした自分が振り払えば怪我をするだろうし、よって葉平は動けずにいた。増利はそれを解っているのか中々に手を離さない上に、被せるように言いのける。


「刺されても死にそうにないじゃないですか課長は~~~!他の人だと死んじゃいますよ~~~!」

「おま、お前俺に何さす気なん……」


軽く犯罪が行われること前提の発言にぞっと身を竦ませ鳥肌をさするように自身の両腕を撫でるついでに相手の手をそっと外してやった。ついでに「刺されたら流石に俺も死ぬよ…?」と付け足して。


「だから、恋人のフリしてほしいんですって、本当それだけ!」

「事情を話せ事情を!本当にそれだけならなんで内容を伝えんのや、おかしいやろがい!」


そう、ただ恋人のフリをしてほしいと言うだけで、何故なのかどうしてなのかという事の内容に対して口を噤むのだ。

そりゃあ胡散臭いと思っても仕方ないことだろとげんなりと葉平は相手を見つめた。事実何が起きているのか把握出来なければ助けようもないと思う。

流石に葉平が嫌がってるのが最高潮に達していると増利は気付いたのか彼女は渋々口を開く。



「す、ストーカーっぽい…?人がいてぇ~…私彼氏いないし…助けてもらえそうな人もいないし…」


なんか歯切れ悪いなあ、と葉平は思ってしまう。

自分の室では無理だろうが、社全体が彼女の行いを知っているわけではない。見目が麗しい彼女がお願いと目を潤ませて言えばハイと返事をする男は多いんじゃないだろうか。ストーカー撃退のために彼氏のフリをしてくれる人を見つけることぐらい、男性相手ならなんとかならんこともないように思える。

まあお喋りすぎるところがだめなのかもしれないと思わないでもないが。


「は~…ストーカーね…モテるんやなぁ…」

「あー!今のノンデリ発言ですよ課長!だから…ね?お願いしますぅ~…何か奢るんで!」


自分の失言に口元を押さえかけた葉平だったが、指摘はすれど気にならなかったのか増利は両手を合わせてそれすら人質にお願い!と頼み込んでくる。

もうここまでくると脅しのそれだ、他の男なら可愛いと思うんだろうか、と肩を落としてOK、と力なく言う。


「あー…もう…、彼氏の役やればいいんやろ…。でも増利と俺、15歳以上離れてるけどええの…?」

「あ、別に本当に付き合うわけじゃないんでそこは大丈夫です!」


頬が引き攣った。

そういう意味ではなく、要するに年が離れすぎていてカップルに見えないんじゃないか、ということが言いたかったのだが、色々と彼女とは噛み合うことはないのだなと自分に言い聞かせて、解ったとだけ返した。


「ああ、そう…。じゃあ一緒に帰ったりして彼ぴっぴ役演じればいい?」


こうなりゃヤケだ、とげっそりしつつ自分から送る旨を伝える。

すると驚くような返答が返ってくる。


「いや、付き合ったって事実だけあればいいので!あ、課長これお土産です!それじゃあお先に失礼しますね!」

「は?え?ちょっ…増利…?!」


びっくりして固まっている自分を置いてさっさと増利は逃げるように帰ってしまった。

先程の剣幕はなんだったのだ、というほど拍子抜けした。肩透かしを食らいすぎて、自分を励ます言葉が思い当たらない。

まあこんなおじさんに用はないのだろうなと、げっそりしながら嵐のように去った増利のことを考えて「…明日、皆に『佐古さんと付き合ってるんですよ~!』とか言いふらされんといいな…」と肩を落としながらお土産を乱雑に鞄に突っ込み葉平も帰路についた。



***



運よく乗り合わせた電車内は普段よりも空いていて、ラッキーと思いながら空いていた席に座る。

車窓の外の景色はもう闇が溶けていて、ビルや家屋に灯った明かりがスピードに乗って流れていく。

電車の揺れにガタンゴトンとせり上げられるように今日あった事を思い出してげんなりしてしまう。

流石に誰かに愚痴りたくなった葉平は、通勤鞄からスマホを取り出して、親友の名前をメッセージアプリの中から呼び出して、──本当なら声を聴いて話したかったが、八弦清人の名前をタップしてメッセージを打ち込む。

『よう』

打って返信を待つ間、ふと、何かが気にかかって顔をあげた。

誰かがこちらを見ている気がしたが一様に疲れた顔をしているサラリーマンや学生らしき人たちがまばらにいるだけで、各々電車内という時間を耐え過ごす為の方法に夢中になっていた。

誰もこちらを見てなどいない。

不思議に思いつつも直ぐに気のせいだったか、とメッセージアプリに目を戻すと既読がついていて、気だるそうな親友の顔が目に浮かぶようで思わず頬が緩みかける。

程なくして返信がきた。

『なんだ。』

清人はメッセージに簡潔さを求める性格なのか、相変わらず返信が素っ気ないと苦笑いが出るも、そこで挫けてメッセージを終える自分ではなく続けてメッセージを送る。

『なんかさぁ、ストーカーに付け回されてるから恋人の真似事してーって、後輩の女の子に頼まれたんよ。』

『ほう?葉平にそういうの頼むって珍しいなあ。お前一番そういうの頼みづらそうな感じするが。で?お前って奴は女性を放っておいて俺とメールなぞやっているのか?』

『いやいや、その子は帰ったよ。なんか”付き合ってる事実があれば大丈夫”って言ってたな。』

すると既読がついて、しばらく返信がない。

あれ、どうしたんだろと思いつつも、ふと、どきりとしてスマホ越しの光景にぼんやりと意識をやる。

自分は下を向いている。

スマホを見ているからだ。

前に立っている人の足元あたりしか視界に入っていない。

違和感が酷かったが、スマホが震えたので返信がきたのだとスマホに視線を落とす。


『お前、それ、何を引き受けた?』


返ってきた言葉の意図が読めず、すぐに『え?』とだけ聞き返す。

目の前の人物が気になる。

『お前、也鳴のところに行ったほうがいい。』

その言葉に驚いて慌てて返信をするが、目の前の人物は微動だにしない。

『今から?!もう夜やし遠いから無理やわ…家帰んの0時過ぎる』

『そうか、じゃあお前、今日”誰も招きいれるなよ”。』

その時、ふいに気付いた。

前に立っている人、”何故自分の前に立っているんだ”?


電車内は、こんなにがら空きなのに。

まるで、自分に用があるみたいに。


その瞬間、秋も更けて夜も冷えてきたというのに汗が噴き出した。

スマホ越しに相手の足元を見てしまっている。

酷く汚れた赤いハイヒールを履いた人物は、足は泥まみれどころか失礼ながらストッキングも電線が酷く穴があいたりしていて、トレンチコートには泥がはねた黒ずみなのか染みがいくつも出来ていた。

雨は今日降っていなかったし、今も降ってないのに赤いぼろぼろの傘を持っている。

そしてその傘は何故か水を滴らせている。

何より、何か、──ブツブツと、言っている。


小刻みに震えるその足を見ながら、異様だ、と頭の中で警鐘が鳴る。


何故か目の前の存在に気付いていると気取られてはいけないと思った。スマホを弄る手を止めない。

さり気ない仕草で何となくニュースを見始める。

だが文字は一切頭に入ってこない。


辺りの様子を伺うが、目の前の人物を見ている人はいないように思えた。

ますます気味が悪くなり、早く降りろと念じるしか出来ない。

せめて自分の降りる駅で降りてくれるなと。


そう思っていたらアナウンスが流れて電車が次の駅に到着するのを告げる。赤いハイヒールを履いた人物はそれを聞くと音もなくすーっと自分から離れていく。


──良かった…。


そう思ってほっとしていると、スマホが震える。

スマホのメッセージの着信だった。指をスライドさせてメッセージを開くと、例の増利からだった。


『今日お伺いしますね!』


突拍子もないメッセージの内容に、え、と疑問に思う。

それを合図にしたように発射しますのアナウンスと共にレールの上を滑るように電車が走り出し、あと二駅もすれば自分の自宅近くの駅に着く。

はて、と先程会社の玄関で別れた彼女は、後から合流する等言っていただろうか。何か言い忘れたことでもあったのかと首を傾げながら、駅についたら折り返し電話をかけようと思いつつ一旦スマホを鞄にしまった。


赤いハイヒールを履いた人影はどこにももう見当たらなかった。






人のまばらなホームを疲れた足取りで駅構内から出て、人の波の邪魔にならない場所を選んでスマホを取り出して増利の番号へと折り返した。

すると、話し中なのか、プープーという機械音がむなしく響くだけで相手には繋がらなかった。

──電車にでも乗っているんやろうか、うちに来ると言っていたし。

そう思えば納得がいくもので、小さくため息を吐いてスマホを胸ポケットに仕舞い込み、自宅へと急いだ。



***



自宅に帰りつくと猫が二匹待っている。

玄関をそっと開けて入ったというのに、猫たちは過敏に聞きつけて玄関まで鳴きながら走り込んで来た。

「はいはい、ただいまよ~」

ネクタイを緩める葉平の足元の匂いを嗅いで知らない匂いがしないかしばらく二匹はスンスンと嗅ぎまわったが、すぐに「早くメシ!」とでも言うようにニャアニャア甲高く鳴きながら葉平の前を先導してトットットと歩いていく。

それに笑いながらハイハイと着いていって猫のいる暮らしって最高なんだよなぁなどと思いながら、キッチンにて手を洗い、手際よく猫の餌を用意しながらに、待ちきれない猫がキッチンのテーブルに上がるのを片手で下ろしたりなどしながら餌やりを済ませ──やっとそうして自分自身の着替えをしにいくことが出来る。

肌寒い季節だ、風呂に浸かりたい。…が、増利が来るならそうもいかないだろうと葉平は考える。


「はー今日もシャワーかぁ…」


後ろ頭をぼりぼりかいて、スーツを脱ぎ、ベッドの上に朝脱ぎ散らかしていたスウェットを手に取って、クローゼットから下着類を取り出し風呂場に向かう。

増利自体、気を遣うような相手ではないし、飯は食いながらでも問題はないだろうと考えつつ、生まれたままの姿になりながら巨躯を屈ませ風呂場に入りシャワーを浴び始めた。

葉平は忘れているが、彼女は葉平の家を知らないはずだった。



***




冷凍の宅配食って便利だよなぁと、電子レンジで温めた弁当を食う。若干量が少なく感じるので、スープをつけたりしないといけないが、面倒だったので白米を多めに取る事にした。

ふと、いつもだったらお腹が空いてるわけでもないのに食事の邪魔をしてくる猫たちがいないことに気が付いた。

あれ、どこだろう、と飯を咀嚼しながらリビング内を見渡すが、その辺りにはいないようだった。

変だなと思っていると、一瞬静寂が訪れた。

と、同時にカツッという小さい音と、ピンポーン!という室内に木霊する呼び出し音。

ちょっと驚いてしまって体を小さく跳ねさせた。


──そうだった、増利がきたのか。


慌ててインターホンカメラを確認しに立ち上がって壁際に近寄った。

「……?」

壁に取り付けられたインターホンは、外から押された場合、外で押した人物の映像を映して、かつ外の音を詳細に拾う仕組みの最新式のやつだ。顔認証システムも搭載されている。


だがそこには誰も映ってなかった。


面食らうしかない。

ここはマンションの一室で、外のインターホンは押せば人が映るはずで、何より”マンション内に入り込んでまでピンポンダッシュをする人に覚えがない”のだ。


何となく玄関の方を見遣る。

外に誰もいないのだから開ける必要はない。

と思ったら、猫が二匹、仲良く玄関の前に黙って並んで座っていた。

耳はピンと立っていて、外の様子を伺うかのようだ。

何となく声を出すのが憚られる。

ふと視界の端で何か動いた気がしてインターホンの画面を見た。


パ、パパ、パ。


顔認証システムが反応している。

誤反応か?と思えど気味が悪くなって終了ボタンを押して少し後ずさった。

来ると言った増利はどうした。

あいつ俺のことなんか騙してやしないか?

猫は玄関の前から離れない。


黙したまま廊下で立ち尽くすしかない。

すると再度。


──ピン、ポーン。


瞬間インターホンの画面がまた点いた、はずだった。

画面は真っ暗だった。

確かにインターホンは反応して動作はしている。

外の音が聞こえるからだ。

サーっという環境音と共に、遠いところで車が行き交う音が聞こえる。

”誰かがインターホンを押した。”

その時ふと、電車の中で清人とやり取りしたメッセージを思い出す。

『じゃあお前、今日”誰も招きいれるなよ”。』

ドクンと鼓動が跳ねる。


──なんで外が暗いんだ。

──まるで、何かで覆い隠してるみたいじゃないか。


そうする理由が分からなくて、例えば増利だったとしてもこうなると玄関の覗き穴を覗くしかなくなる。

覗きたくない。

猫二匹は動かない。

清人の言葉が何度も頭の中でぐるぐると回る。


葉平は覚悟を決めて、終了ボタンを押した。

出ない、見ない、招かない。

俺は”あのドアを開けない”。


本当に増利が来ていた場合は、明日会社で謝ればいい。

疲れていたから早くに寝たと。

それぐらい許されるはずだ。

だって彼女は、”嘘を吐いている”んだから。

何となく頭の中に降って沸いた言葉は、自分を励ますには充分だった。


そう思って葉平はさっさと寝ることにした。

猫は見えない外を眺めるフリに飽きれば布団にもぐってくるだろう。

その後インターホンが再度鳴る事は無く、謎は残りはするものの気にせず眠りに落ちた。



***



次の日。

何だか社内が慌ただしいなあと思いつつも出社すると同時に適当にその辺にいた人物を捕まえて「増利は?」と尋ねた。昨日本当に来訪していたなら申し訳ないという感情もあったし、何よりストーカー類の諸々は大丈夫であるかという疑問が酷く騒がしく胸裏を占めていた。

捕まえた後輩は困ったように眉尻を下げて「はぁ、それが…増利さん急に病気を理由に辞めちゃったんですよ~…。参っちゃいますよね、病気だとか聞いてないですし、今引継ぎとか何の仕事受け持ってたかでてんやわんやで~…。佐古課長も申し訳ないすけど割り振られた分の仕事やってくださいスンマセン!」と急かされたことよりも、辞めたの三文字に驚いて思わず聞き返した。


「え、増利悦子辞めたんか?な、なんで?」

「え?急にですよ~、なんか引き留めるとか引き留めないとかってレベルじゃなくて。もう親御さんが辞めさせますの一点張りだったみたいっすよ。つーか…ちょっと…」


そこで言葉を切ると後輩は葉平の腕を引いて廊下の隅っこに連れていき、内緒話のていで自分に耳打ちしてくる。


「…なんか、親御さんが話してる後ろで、増利さんらしき人の悲鳴と罵倒がずっと聞こえてたらしくて…『あれがうちにきた!なんでアイツ”引き取らなかった”んだ!!』とかなんとか…ホント、尋常じゃない様子だったらしくて、サイレンも聞こえてくるし流石に電話受けたやつも人事もそれ以上何も言えなかったらしいすよ…何があったんでしょうね~…。」


最後まで迷惑な人でしたね~と葉平に言い残して、後輩は行ってしまった。


『あいつんちじゃなくうちにきた』?

『なんで”引き取らなかった”』?

それを聞いてから嫌な汗が流れて鼓動が早い。

忙しない社内からそっと逃げるように抜け出して、屋上に駆け込むと、急いで清人に電話をかける。

コール音が鳴り響くのが何とも憎い。

清人が電話を取るまで数秒もなかった筈なのに長い時間コールしていたように思う、カチという音と共に『はい』と伸びやかな声が耳に心地よく響いた。スマホにかじりつくようにコソコソっと声を荒げた。


「あ、清人!例の子会社辞めてしもた…!」

『ほう。じゃあお前は”招き入れなかったんだな”?』

「な、なんでわかんの…?」

『俺には何もわからんよ、全部推察にすぎないからな。大体何が起きたかは也鳴に聞けばいいんじゃないか。ついでにお祓いもしてもらえばお前の気も休まるだろ。』


そう答えられてしまうと、何ともモヤモヤした気持ちの悪い感覚が少し収まったように感じはしたものの、鳴轟神社の神主、神矢也鳴に会いに行くことになってしまった。



***



「あんたって人は、どうしてそんなに憑かれやすいんだ…」

清々とした境内に踏み入ると、箒で落ちた枯葉をはわいていた神矢也鳴がこちらに向き直って葉平を見るなり、げんなりとした様子で手招きをした。

どうやら何かが視えているらしい。

大体何か自分がしでかして(主に清人絡みで)良からぬ思いをするとここの神社に来てお祓いしてもらって良からぬ思いとオサラバしているのだが、今回は流石に葉平自身何をしでかしたか思いつかない。

自分よりも物凄く小さい也鳴はかなり見下ろさないといけなくて、それもどうやら也鳴の機嫌を損ねるらしい。

面目ないと思いつつもいつもお祓いをしてもらう清められた部屋にて、自分に起きたことを余すことなく也鳴に告げた。

うら若き美しい黒髪の神主は葉平の左肩の上辺りを見ながら黙って聞いていたが鼻の頭に少し皺をよせ、フンと鼻を鳴らした。

「…早く屈めよ、無駄にでけえんだあんたは。」

「お、おう…。」

大人しく屈むと、也鳴は数度自分の頭の上あたりで大幣を振るう。バサッバサッと鳥が羽ばたくような音をさせ恭しく神前にて也鳴が神事を行う。

祝詞が滔々と也鳴の良く通る透き通った声で読まれていくのを聞くと、全く意味などは解らないが身が清められる気がするから不思議だ。

すると終わった也鳴が近寄ってくるなり、左肩をスパァン!と小気味良い音が鳴るほど急にはたいた。

「うぉっ…?!」

思わずびっくりして身を竦めてしまう。


「厄介なモノを招かなかった分何ともなくて良かったね!女の情念だけで今回は済んでる。どーーーせ葉平さんのことだからテキトーーーに返事してテキトーーーに請け負ったんだろうけど、本当その適当に何でもかんでも情かけるのやめなさいって俺は何回あんたに言えばいいんですかねえ!?」


酷い言われようだが、なるほど答えはそこか!と思い至る。同時に肩を叩かれてから何だか気持ちがすっきりとして頭が冴えてきた。

「え、えー…じゃあなんや?今回は俺が『ええよ、その役やるよ』って言ったのが悪かったってこと?」

自分より一回り以上年下の彼におずおずと尋ねる筋肉達磨の姿は非常に滑稽だとは思うが相手が神主だというだけで頭が一切合切上がらないのだ。

也鳴は仕方ないといった体ではあるが、彼なりの説明を始める。


「はー…、その時点で『契約』になってるんだ。その子が持っていたモノを肩代わりする、っていうな。ワードはなんでもいい『貸したものを返します』でも『〇〇してもらうからこれあげます』でもなんでも。要するに葉平さんが受け取る意思を見せたらそれで契りは交わされる。それが分かったから清人さんは『招き入れるな』って言ったんじゃないかな。その時点では俺のところに来て縁切りするか、あんたが『契約不履行』するしかないんだ。そして葉平さんは、”ソレ”を”招き入れなかった”。だから”ソレ”は怒っただろうな、行き場がなくなったんだ、だから”ソレ”は元の場所に戻って、元の契約主で『契約執行』したんだろうな。」


也鳴の言う事は形のない物を──例えば空気について語るような捉えどころのない話をするので、普段人に話している時は何を話しているのか全く理解出来ない事が多いのだが、自分にこと関係のある話をする時はピッタリと型がハマるように明解な答えになりえるから不思議なものだと聞いていていつも思う。


「ここからは想像でしかないが、…良からぬ場所、良からぬものというのは、ふとした所に在ったりするものなんだよ。例えば旅行先の思いもしなかった場所がそうであったとか。旅行にいったとかは話してなかったか?」


そういえば、と思う。彼女はこの間有給を使って──それ自体は悪いことではないが職場が修羅場の時に旅行になんて行くというからだいぶ社内が空気悪くなったな、と。


「そういう場所にはな、現地の人でも”良く分からないが近づかない方がいい場所”とかが在ったりするからなぁ。

でも”ソレ”らには関係ないからな。”来た”から”ついていく”だけで理由も特にはないだろう。実質契約も”あちら”が勝手に決めているよく分からない理由だったりするし…適当な占い師にでも厭な目に遭いたくなければ誰かに渡せとでも言われたかね…もう事故に遭ったのと同じぐらいの確率だ、──だから葉平さん、余り気にするんじゃあない。」


滔々と喋る也鳴の声は心地良く耳に入り、とても優しい響きをしていた。

葉平はそれでも、何とも言い難い気持ちで境内を後にした。

後味が悪くて、仕方なかった。



おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る