第2話ダンという人物

「新しいナニーの人?」


 そう言って開けっ放しになっていたドアから十歳くらいの男の子が出てきた。銀髪がキラキラしていて線の細い美少年である。多分、耳が少し尖っているのでエルフではないだろうか。そしてその腕の中にはこれまたぷくぷくした鮮やかな赤い髪のかわいらしい赤ちゃんを抱いていた。


「ああ、うん。チコと言います。あの、でも、ロード様……あなたのお父様がなんの説明もなく消えてしまったの。『ダン』という人を知らないかな? 執事さんとかかな? その人に詳しくお話を聞いて欲しいって言っていたから」


「あの、クソ親父」


「え?」


「とりあえず、家に入って。話をするから」


「ああ、うん」


 赤ちゃんを抱えたまま男の子が私を家の中に招き入れた。分かる人に説明してもらえるってことか。通された家の中は想像を絶するひっちゃかめっちゃかぶりだった。男の子はソファに私を誘導するのに足でガシャンガシャンと物を避けて私に道を作ってくれていた。


「親父が消えたって?」


「頼んだぞって、言われたんだけど、どうしていいかも分からなくて。とにかく、そのダンさんに……」


「俺が、ダン」


「え?」


「だから、俺の名前がダン。 親父が事情を聴けって言ったのがオ・レ」


「君、ロード様の子供だよね? 何歳?」


「十一歳。ちなみにエルフ族な。そんな俺に家のすべての事を押し付けて女のところへ行ったの。あのクソ親父は」


「ええ!? だって、まだその子、見た感じ零歳じゃない?」


「こいつはヒース。母親はドラゴン。まだ生まれて半年」


「お、お母さんは?」


「ヒースの母親はヒースを産んで山に帰った。俺たちの母親は大体父親寄りの力を恐れてここに置いて行ったって感じ。ちょっと規定外過ぎて普通には暮らせないんだって言われてる」


 家の前の土地の凸凹の地面が頭によぎった。いやいや、母親が放り出した育児をするなんて素人の私なんか到底無理だ。


「最初は俺たちの母親の誰かがいたり、いろんなナニーや家政婦、シッターがきて、なんだかんだ世話を焼いてくれていたけど、女がちょっかいかけたり、親父が手を出してややこしくなったり、揉めに揉めて誰もいなくなった」


「……」


「この家は親父がシールドを張ってるから、大抵のことが起きても大丈夫にできてるんだけど肝心の親父と暮らしたくないって女性はみんな出て行くんだ。俺もさっき親父に後のことは頼んだって言われて引き止めてたところだったんだ。でも、『新しい母親見つけてきてやるからな』って言ってさあ……まったく懲りないんだ。」


「そう、なんだ」


「もう、ヒース抱えてどうすればいいか。わかんない。俺ももう、限界。無理……」


 目の前のダンがポロポロと涙をこぼし始めてオロオロする。ナニーなんて断って、即家に帰ろうと思っていたのにこんな姿の子供を見てそんなこともできない。


 ぐううう


 ダンのお腹が鳴る。なんだか益々可哀想になってきた。


「とりあえずさ、ご飯でもたべようか。キッチン借りてもいい?」


 そう、声をかけるとダンの顔がパアアっと明るくなった。ダンがいそいそと私をキッチンに案内してくれる。また足で物を押し避けながら私を先導してくれた。


「え、ココだけ綺麗」


「ここだけは母さんたちのこだわりで最新のキッチンが入ってるんだ。何を使っても綺麗に元通りになる」


「うわぁ……」


 これだけ細かな術式を使ってあるキッチンなんて初めて見た。


「他の部屋も頼んでみたけど、『こんなめんどくさい事二度とするかって』て怒って断られた」


「へえ? ロード様が?」


「ううん。違う。アートンさん」


「え、も、もしかしてあの、大魔術師アートン=ノウゼット!?」


 勇者と共に魔王を倒して国を救った立役者の一人である。大魔術師にキッチンの術式を作らすなんてなんて贅沢な……さ、さすが勇者……すごい。


「結婚祝いにって、クソ親父が作ってもらったみたいだよ。時々、俺たちの事、心配してきてくれるんだ。でも、あっちこっち行ってるから年に数回かしかこないけど」


「そうなのね……」


 言いながら貯蔵庫を開けてまたびっくりした。そこにはおびただしい量の食料が積んであり、しかも貯蔵庫には時間が止まる魔法までかけてあった。世の主婦が夢見るキッチンである。まあ、何の肉だか分からないのもいっぱいだけど。


「貯蔵庫はね、欲しいものを言ったら出してくれるから自分で探さなくて大丈夫だよ。作ってあるものは無いけど」


「なんて、便利な。ダン君はエルフだよね? 何が食べたい?」


「え、と。なんでもいいの?」


「うん。いいよ」


「パッセの葉っぱ包み」


 ダンが私が強請ったのはベジタリアン系種族の子供が好んで食べるスタンダードな料理である。パッセという穀物を炊いたものをテンジャという赤い実のソースで炒めてミセルという食べられる黄色の大きな葉を茹でたもので巻いたものだ。


「あ! 忘れていたけれど、子供ってダン君を含めて五人いるんじゃないの? 他の子も食べるかな?」


「ああ、うん。ここに住んでるのは四人。上の兄ちゃんは王宮にいるから。弟のルーフは狼の獣人だからほとんど寝てるんだ。その下のマルタは人魚族だから浴槽にいる。調理したご飯を食べるのは俺とルーフだけなんだ」


「なるほど、じゃあ、とりあえず一人分すぐ作るね」


 そう言ってパッセを早速蒸かし始めた。時間も短縮できるように作られているのか、コンロに鍋をかけるとすぐに出来上がる。古い実家のキッチンと比較して感動しかない。蒸し上がったパッセを炒めて味付けをする。さっとミセルの葉を茹でるとくるりと巻いてお皿に乗せた。


「うわぁ。こんなにパッセがすぐに蒸しあがるなんて本当に凄いキッチンだね! さあ、召し上がれ」


 ダンにそう声をかけたけど彼は目の前に置かれた皿を凝視していた。


「食べていいよ?」


 動かないダンの目の前に皿を押し出した。テンジャの赤い実のソースをたらりとかけるとハッとしてからダンが勢いよく食べ始めた。


「おいしい! はあ、おしいしい!」


 ダンが涙を浮かべながら、スプーンを口に運んだ。


 一応足りなかったら困ると思って三つほど作っていたが、ダンは全て平らげた。

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