セレブな依頼者

大物案件

第3話

この話の始まりは、半年前に遡る。


事務所の営業担当である所長の南は、その日も、ひとつの案件すらとらずに帰ってきた。

「今日もゼロですか」

部屋の隅にいた影野が、ため息まじりにそう呟く。

気配を潜めている影野に、南は背筋を伸ばした。

「おおっ! だからー、怖いんだよ」

影野は立ち上がり、みんなのいるソファに座る。

「特技なので」

薄い表情に薄い唇、薄い服装に薄い佇まいが奇妙である。声の低さがまた奇妙さを倍増させる。


「お前なあ、そんなんだから女のひとりも口説けないんだよ。この前の案件、対象の女の子に不審に思われて警察沙汰になったの、誰のせいだっけ?」

「あれは、女の子と気が合わなかったというだけですよ」

「気が合わない前に、初対面で警察行きだったろうが」


そんな掛け合いをしていると、ふたりがいるメインルームの奥、図書館のような本棚の辺りから、せんべいを頬張りながら、ふくちゃんが尋ねる。

「ところで所長、そろそろ案件をとってこないと、ここ潰れますよ……」

「案件は今日もゼロー」

「私が探してきましょうか? 営業なんて経験ございませんが、お役に立てるよう努力いたしますよ 」

「ふくちゃんは、経理のプロとしてここにいてくれなきゃ困るの。影野はこんな根暗だから、営業なんて論外。だから、金田に託すとするよ」


金田とは、影野の横でコナン・ドイルの単行本を読みふけっている女だ。

「金田さんは僕よりは明るし、人当たりがいいから、営業に向いてると思います」

「あのね、影野くんより明るい人なら、たーくさんいるの。というか、この世のほとんど人がそう。それに私、常に営業はしてますので」

そう、金田は知人づてに案件を拾っては解決してきた。

「まあ、金田は金田のペースで仕事してくれればいいよ。俺は、これからは待つ姿勢でいかせてもらう」

「待つって言っても所長、今月の案件一件だけですよ。もうすぐ清算になりますけど、今のところ事務所費用はギリギリです」

「だってさー、探偵に頼むことなんて起きてない人が多いんだよ。どんな小さいことでもいいからって言っても、社交辞令の返事だしさ。まあ、平和な世の中ってことだな。だから、営業するの、やめるね」

3人の頭にハテナが浮かぶ。


「営業を、しない?」

「そう。いやー、たまたま友人に会ってね。コンサルティングの会社に勤めているんだけど、いいアドバイスもらったよ」

「それが、営業をしないということですか?」

「そう。いい仕事は、余裕のある人間にしかまわってこない、っていうね」

「その、コンサルティング料って、発生しませんよね?」

と心配するふくちゃん。

「しないしない。友人だから。プライベートな話」

先行き怪しいながらも、どこか自信に溢れているような南である。

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