2.秘書の初仕事は上司のアラームです
「焔ぁ、開けなさい!」
茜と綾華は、ドンドンと焔の部屋のドアを叩く。一切返答はなく、焔が出てくる気配はない。
「仕事の時間だって言ってんでしょ!」
「諦めて出てきなさい!」
焔が部屋に立てこもり数十分。ずっとこの調子である。いい加減焔が出てこないと、今日の業務に差し支えがある。そう思っていると、焔の使い魔である凛がドアに近づく。今日は水干を身に着けていた。
「「凛ちゃん?」」
「あかねさま、あやかさま、りんがやります」
そう言うと凛は助走をつけて、思いっきりドアに飛び蹴りをかました。盛大な音を立ててドアが壊れる。
「……何やってるんだ凛!」
「あるじさまが、わるいことをするからです。たてこもりはだめです」
「だからって、ドア壊すことはないだろう!?」
「なにをしてでも、ひきずりだせってあかねさまが」
ドア破壊の衝撃から立ち直った焔が、凛を問いただす。凛はきょとんとした顔で切り返した。
「お前は俺の味方だと思ってたんだかな……」
「あやかさまとあかねさまが、さっきいなりずしくれたのです。だからりん、おふたりのみかたなのです」
「お前な……」
焔は、いなり寿司で買収された凛に呆れて物が言えない。と同時に、女性陣二人には一生敵わないと思った。
「さぁ焔、仕事をしてもらおうじゃないか」
「時間押してるの」
二人は凄みを感じさせる笑顔で圧をかける。それに耐えられなくなった焔はいそいそと支度をし、大人しく部屋を出る。その間も焔が逃げ出さぬよう、両脇を茜と綾華が固めていた。
「……今日の業務は?」
「転生者が三人。凛ちゃんが案内するから、焔は影に隠れてコレやって」
ようやく焔が真面目な顔つきになり、綾華に問う。綾華は事前に用意しておいた資料を手渡した。
「幻術に門の作成か……めんど」
「文句言うんじゃない!」
ぴしゃりと茜が言い放つ。焔は嫌だ嫌だと言いつつだが、仕事に必要な物をすべて持ち、自宅を出た。後ろを茜、綾華、凛の順に続く。
「とりあえず幻術の準備をする。神殿の床に書いてある、五芒星の角にこれを貼り付けてください」
そう言って焔は三人に一枚ずつ御札を渡した。漢字を崩したような紋様が書き付けてある。
「ほら、時間無いんだろ?早く」
時間がなくなったのはお前のせいだと言いたいところを、ぐっとこらえて、三人は散る。焔は二枚貼りに行ったようだ。
「此処かな」
指示されたとおりに綾華は御札を貼った。他の三人も貼り終えた時、五芒星が輝きだす。
「凛は中に入れ。茜さんと綾華は外に」
いつになくしっかりとした声音で焔が言う。すぐさま三人はそのとおりに動いた。それを確認し、焔は最後の仕上げに取り掛かる。
「最高神様の御力を借り受け、焔が命ず。五芒星に入りし全ての者に、仮そめの世界を見させ給え」
「……いかにも厨二病」
綾華を一睨みしてから、焔はかしわ手を打つ。すると、五芒星がひときわ大きく輝いた。
「「……っ!」」
あまりの眩しさに茜と綾華は腕で目を覆う。やがてそれがおさ元の神殿の姿が見えた。
「……変わってないじゃん」
「五芒星の中は幻術が見えるんだよ」
二人がそんなやり取りをしていると、五芒星の中央に妙齢の女性が現れる。いよいよ綾華の初仕事だ。
✽ ✽ ✽
「ほら、始めるよ」
茜の一言で、二人の顔がすっと引き締まる。凛の方を見れば、台本通りに案内をしていた。
『此処があの世かい……』
『いいえ、あの世なんてありませんよ!』
いつもよりしっかりとした口調で凛は台詞を言う。背後に現れた凛に女性(資料によれば文枝という名前であった)は大層驚いたようだ。
『案内人の凛と申します。文枝さん、よろしくお願いします』
凛がぺこりと礼をする。その拍子に尻尾が水干から出てしまい、慌てて隠す。これも台本どおりだ。
「……凛ちゃん、演技上手」
「あたしが仕込んだからね。あんたもあれぐらい出来るようにするんだよ」
「はい姐さん」
柱の影から凛を見守る二人が、こそこそと言い合う。その後ろで腕を組んだ焔が、呆れたような表情をする。
「……向こうには幻術かけてあるから俺たちの声も姿も見えません。そんなに隠れなくたっていいじゃないですか」
「気分ってものがあるだろう」
「そうそう」
すっかり覗き見を楽しんでいる二人が焔に切り返す。その間にも凛は物語を進めていた。
『転生すれば昌浩さんに逢えます。どうしますか?』
『昌さんに、逢いたい……!』
文枝が絞り出すように答えた。満足そうに凛が頷くと、手を振り上げる。
「焔」
「……分かってる」
口の中で早口にもごもごと呪文を唱えると、焔は凛と同じように手を振り上げる。二人は同時に指を鳴らした。
『っ……!』
文枝が突如出現した大階段に息を呑む。細部には華やかな飾りが施されていた。
『文枝さん、ここを登れば天界です』
『登れるかしら……』
凛と焔がまた同時に手を振り上げ、指を鳴らす。二つの音が互いに溶け合って混ざり合い、やがて一つになる。残響が消えると、文枝は鶯色の着物を纏った、年若い姿になっていた。
『凛ちゃん、若返らせてくれたの?』
『転生後の姿にしたのです!』
凛は誇らしげに胸を張る。それに文枝はクスクスと笑うと、凛に礼を言う。
『ありがとう』
『どういたしまして』
にこにことしながら文枝と凛は階段を登る。ある所まで登ると、文枝の姿が消えた。
「え……どういうこと?」
綾華は驚愕のあまり目を見張る。すると焔が綾華の疑問に答えた。
「向こうの世界に転生したんだ。あの階段は転生先への門になってる」
「なるほど……」
綾華は焔の言葉を腑に落として、こくこくと頷く。凛は勤めを果たして、とてとてと焔のもとに戻ってきた。
「凛、お疲れ様」
焔は凛の頭を撫でて労をねぎらう。凛は少し嬉しそうだ。
「さて、午前中はこれで終いだ。戻って昼にしようじゃないか」
「「「はい」」」
✽ ✽ ✽
午後に入っていた仕事二件も滞りなく終わり、綾華が部屋で寛いでいると、コンコンとドアがノックされる。
「綾華、ちょっといいかい?」
ややくぐもった茜の声が、ドア越しに聞こえる。綾華はドアに駆け寄ると、開けて茜を招き入れる。
「茜姐さん、どうぞ入ってください」
「はいよ」
綾華は床にふわふわのクッションを二つ置き、茜に座るよう勧める。二人ともクッションに座ったところで、茜は話を切り出した。
「近々あんたに、上から正式な転生の通知がくる」
「転生?なんでですか?」
綾華は茜の言葉に首を傾げる。自分には転生先が無かったのではなかったか。そう思ったからだ。
「今は生前の姿で過ごしているだろう?そうじゃなくて、此処の人間として生まれ直すんだ」
「記憶や姿はどうなるんですか?」
「記憶はそのまま、年頃は同じに姿は変わる。名前も変えるのが慣わしだね」
生前の姿も名前も捨て、新たに生まれ変わる。それが此処で秘書として働くということだと、茜が言った。
「姿は最高神様の裁量次第だがね、名前は自分で決めるんだ」
「茜姐さんも、そうしたんですか」
「そう。もとは菊って名前だった」
茜は昔を思い出して、少し遠い目をした。百年前、この世界に転生したときにつけた名前が茜。大好きな色の名前だからだ。
「……名前なら、もう決めました」
綾華の声が茜を現実へ引き戻す。茜は視線で問うた。
「藤華。ずっと使ってたペンネームで、私の好きな人の名前です」
名字と下の名前から一文字ずつとって作ったこの名前は、綾華の心に馴染んでいる。それ以外の名前を本当にはしたくなかった。
「……いい名前じゃないか。これから宜しく頼むよ、藤華」
「はい!」
綾華、藤華は大きく頷く。毒を持ちながら、美しく咲き人々と魅了する藤の花。この名の通り、此処で大輪の華を咲かせようという密かな誓いを、藤華は胸に刻んだ。
「あたしはそろそろ休もうかねぇ。明日も仕事が有るんだから、あんたも早く寝るんだよ」
「はい。おやすみなさい、姐さん」
「おやすみ」
部屋のドアをパタンと閉め、茜は一階に降りる。リビングでは焔に凛がじゃれついていた。
「あの子の名前は藤華。さっき決まった」
「藤の華、か。なかなかいい名前を考えるな」
ふむふむと焔は頷く。凛も「ふじかさま」と何度か呟いていた。口に馴染んだようである。
「伝えたからね」
そのまま茜は自分に与えられた部屋、客間に戻ろうとする。すると焔が、
「なぁ菊、お前はその名前が好きか?」
と砕けた口調で問いかけた。それも昔の名前を呼んで。
「好きだよ。近くに姉さんを感じるもの」
「そうか、ならいい」
さっさと行けとばかりに、焔は茜に手を振る。茜は怪訝そうな顔をしつつ、部屋へ入っていった。
「ほむらさま、なんであんなこときいたんですか?」
「ん〜、ちょっと気になっただけだ」
焔は凛の頭を撫でて、真意をはぐらかした。凛は追求するのも面倒になり、大人しく撫でられていた。
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