【三題噺】①侍従、蓮、厨房
塩野いづき
【三題噺】睡蓮と侍従とスモア
「ここで一休みとしましょう」
先を行く侍従武官の声に、私は大きく深呼吸をしてからガッツポーズをした。
照り付ける陽射しを避け木陰に入ったは良いものの、私の足はもう限界であった。大樹に身を委ねると不格好にずるずると座り込む。普段履いているヒールは編み上げブーツに替わり、優美なドレスは野暮ったいズボンとジャケットに置き換わったとはいえ、お世辞にも体力自慢とは言い難い。
数少ない御付きは侍従武官である女性一人のみであり、彼女は私の不調を目に取ると、てきぱきとお茶の準備を始めていた。背嚢から折り畳み式の鍋と燐寸を取り出し、小枝を並べて火を付ける。石を周囲に並べて簡易的な竈とすることで、彼女の厨房が出来上がった。お茶の葉をナイフで削り、さらさらと入れ込み煮詰めていく。茶の葉が開き、ふわりとした香りが広がった。鼻孔をくすぐる懐かしい香りに、少しだけ疲れが和らいだ。
「リーナは元気ね」
「それが職務ですから。どんな時でもお嬢様を守るのが私の任務です。そして、いざというときにはお嬢様にも肉体労働をさせねばなりませんので、今回はこのように」
私は今日リーナとほどほどに距離がある湖まで街道を使わずに歩いてきた。家庭教師の授業の一環だ。なんでも、暗殺等の可能性を考慮し、逃げる為の体力づくり――所謂肉体を苛める訓練である。どちらかといえばインドア派の私にとっては良い話とは言えなかった。そういうのは武官になろうと励む弟の領分だ。しかしながら、私に拒否権はなく、へいこらと陽射しに焼かれながら数時間歩き続けてきたわけだ。既に日が傾いており、湖の彼方へと日が逃げていくような塩梅である。
「さて、本日はこちらでの野営となります」
「わかりました。携行食はあったかしら」
「多少の
とはいえ、と
「多少なりとも甘いものでも召し上がりませんと、お嬢様もお疲れでしょうから」
そういって、彼女は背嚢からマシュマロを取り出し、炙り始めた。程よく溶けたマシュマロを乾パン《ビスケット》に挟むと、私にそれを差し出した。
「スモアと呼ぶそうです。私も従軍時には世話になりました。疲れた体には良いかと」
彼女の無骨な手につままれたスモアを受け取り、一口齧る。硬い食感のビスケット生地の合間から、とろけたマシュマロの甘さが入り込んでくる。少しだけ気力が戻ってきて顔を上げると、景色が目に入ってくる。
湖の水面は睡蓮に覆われ、夕陽が木々の合間から差し込んでくる。湖端には街道を走る為の橋が架かっており、馬車が走っていた。
傍らでは黙々と自分のスモアを齧るリーナの姿。全体のシルエットは私より幾分か角ばった印象の彼女ではあるが、齧り方が小動物のように見えて、少し可笑しかった。
「ふふっ」
「……何がおかしいのです?」
「いえ。帰り道もよろしくね、リーナ」
「お任せください。私は貴方の盾です」
怪訝な顔をした彼女ににこやかに笑いかけると、彼女も口角を上げた。
帰り道、夕闇の中を行軍し、自らの屋敷にボロボロになりながら辿り着き、やりすぎた侍従武官が怒られるのは、また別の話。
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