あの人が来て  作:奴

 書店でのサイン会はいっとう憂鬱だ。人に見られながらサインを書いていると、いつか書きそんじて嘲られるのではと怖くなる。それにサインを求めてくる人間のたいていは私の読者であり、何か私に言いたい二、三言を肚に抱えてくるのだから、会話せねばならないこともある。しかし私は人づき合いがまるでできない。もとよりコミュニケーションは不得意である。だからどうも愛想のよくない返事をしてしまう。これでよかったろうか、とあとで思い返して後悔する。

 地元の、というのであれば、昔なじみの人が来るのではという恐れもおのずから生じる。私は高校までの学生時代にそれほどよい思い出もないから、どの顔なじみに会おうと気まずい心持で、やりにくい。顔を認めただけで精神的に圧迫されるような人も、昔の知り合いのうちにはある。そういう人たちがからかい半分にサインをもらいに来たら、私はどうなるだろう。(年齢のうえで)大人になった私を彼らが見物しに来たら、私はうまく応対できるだろうか。

 国内線の飛行機で東京から地元に戻るとき、足元に故郷の町並みが見えるころ、そう考えて已まない。サイン会は当日の昼過ぎか、翌日にある。直接、書店へ行くときもあれば、一度、実家に帰って過ごすときもある。何にせよ、そのサイン会までの時間を、私は落ち着かない心持でいる。

 実際のところ、何人か知り合いがサインをもらいに来た。一人はわりに気の合う人だったからよかったし、向こうはほとんど知らんふりをして私の近著に汚いサインをもらい、あとで連絡してきた。

 「おまえがあそこでサイン会やってるなんて変な気分だよ」

 「ぼくも信じられない」と私は照れくさくなる。

 ほかには両親の友人が来た。別に直接的な知己ではないけれど、私は向こうをいくらか知っているし、向こうにしたって「何々さんのところの息子さん」というかたちで私を知っている。ひょっとすると、向こうの子どもが私の同級生であった、という人もある。ありていに言えばママ友だ。彼女らが来ると、面映ゆく感じる。彼女らは、これまで私のサイン会に幾人か顔を見せたが、みな一様に、自分が本に署名される番になって私の前に進み出ると、ほかのだれにも知られぬくらいの、一センチ・メートルにも満たない微笑をつくって、久しぶり、まさかあの何々くんが小説家になるなんて思ってなかった、私、何々の母だけど、覚えてるかな、という顔をつくる。私も親しげな笑みでもって返すが、恥ずかしく思う。来るなというのではない。ただ私が恥ずかしく、ときに不安に思うだけだ。

 それで二度目のサイン会のことだった。私はまったく思いがけない人に会って、サインしようという手がまったく止まったことがある。たしかにその人が来る可能性はあったし、私にしたって地元の土を踏んだとき、頭の片隅にはその人のことが思い出されていた。しかし実際に、自著を持った人びとの列が動いて、さて次の人となったとき、私は彼女が現れたのにずいぶん面食らった。

 「お願いします」という聞き慣れた声色に、私は動揺して彼女の顔をぽかんと眺めた。

 横で補佐をしてくれていたその書店の店長に促されて、私は気を取り戻した。筆名を草書で書くだけのサインを本の見開きに書いた。手が震えている、と思った。

 すべて済んで書店をあとにすると、私は彼女がまだどこかにいるのでないかと探して回った。書店の隅で待っているとか、外のどこかにたたずんでいるとかを期待した。ただ彼女はいなかった。

 なぜ彼女が気になるだろう。彼女とは中学校からいっしょだったが、そのときは大して交流はなく、同じ高校に上がってから親しくなった。同じクラスで、中学上がりの知り合いが双方いなかったがゆえの交友だった。互いに固有の友人が新しくできるまで、二人で弁当を食べたし、教室移動もいっしょだった。彼女の母親の誕生日プレゼントを選ぶのに、二人で一度だけ出かけたこともある。私も彼女も、そのうち新しい友人ができて、自然と離れた。

 東京に戻って、ある文芸誌に出す短編を書きはじめた。そのときはまだ期日までしばらくあったが、趣味で創作をはじめた大学生時分からまったく変わらない遅筆癖を思うと、気安くしてもいられなかった。私はすぐラップトップに向かった。現代でも原稿用紙に鉛筆などで書く作家は幾人かいるし、私の敬するうちにもそういう人はある。だが私は彼らをまねて紙に書きつける気にはどうしてもなれなかった。というより、ふと筆が乗った瞬間、次へ次へ書いてゆきたいのに、直筆だとどうしても早く進めないのが嫌だった。自分の字が汚くて嫌だというのもある。とはいえラップトップの電源を入れ、テキスト・ファイルを開いている時間のほとんどは、何も書かずに悩んでいる。だから私が文章を書いているときの大部分は、苦しい思いをしている。

 ところがそのときはどうも次々に文章が浮かんで、思いついたものをどんどん入力していくというふうに、機械的だった。一日で五百字くらい書けたらいいところを、もう三千字も書いている。なぜだろうと読み返してみると、私は、登場人物の二人が、私と彼女を見立てた人間であることに気がついた。書いているあいだはあとからあとから思いつく文章を必死に書いているだけでわからなかった。登場する女の名前も、彼女の名前を連想させるものだった。私は苦笑した。自分の心の底が見えたようで、ひとり恥ずかしかった。そこで一度立ち止まってしまうともうつづきは思い浮かばなかったので、その三千字の手直しをして、私はその日の仕事を切り上げた。夜は外に食べに出た。

 この一事なども、ただ小説の人物が彼女に似ているというだけのことならまだよい。しかしそれゆえに、私は彼女をたびたび思い出すことになった。せっかくすらすらと書けていたはずの文章はつづかず、次に画面に向かうと、もうもとの悪癖で手が止まった。一文も、あるいは一語すらも書けずにいたのだ。それは別にいつものことである。ただ今回すこしばかり事情が違うとすれば、ヒロインが彼女に似ている。私はつづきを考えるために何度もそれまでの文章を読みながら、脳裡に浮かぶその女が、彼女の姿をしているので困った。肩に届くかどうかの長さの髪を額の中央で分け、白いでこが見えている。その髪型だと当然、顔の全体がはっきりわかる。八の字になった太い眉毛や、ふたえの目や、困ったようにとがらせている唇などが想起される。それで女の特徴を記述する段落をつくり、そこから主人公の男と会話する場面を思いついて書いた。五百字くらいの文章ができて、ふいに途切れ、そこからまるで思いつかなくなった。むろん彼女の姿を想像しながら書いた。男は、私だった。

 なぜこんなことになったのだろう。書いた部分を頭からもういっぺん読み直して、ばかばかしく思う。昔の恋人に未練のある人のようで、情けなかった。もちろん私は彼女と交際していたわけではないし、もっと言えば、今までだれともつき合ったことがない。だから別れたあとの精神上の、あるいは関係上のこじれなど、知りようもない。友人から相談された経験もない。ただそのとき全部で四千字ほどになった文面を前にして、私はどうしようもなく彼女に会いたくなって苦しんだ。登場する女のことば回しを彼女に寄せ、女のしぐさを彼女の癖とまったく同じにして書けばいっそう、近くに彼女があるような気がした。気味が悪い。私は二十七にもなって、高校時代に友だちだった女に恋焦がれだしたのだ。いや、ずっと好きだったのを今になって自覚したのだ。だとすれば経験がないなどでは済まされないほどの愚図だろう。結局、彼女の名前を世迷言のように繰り返し口にするほど、私は気が狂れてしまった。チハル・チハル、と彼女の名を呼んだ。

 彼女のことが気になる一方でその短編はいっこうに書き進まず、また故郷の市民ホールで講演会をするとなったとき、私はある編集の人からその話をもらって、彼女を空想した。次はどうにか落ち合って話ができるかもしれない。その講演は、以前に出版された『千鳥足で逃げる』が、地元を舞台にしていたこともあっての記念講演だった。作品が、土地々々を経巡って一族の歴史に触れつつ、実際にそこを治めていた士族の話にも言及する話であるため、やはり郷土的な小説を講演のテーマにすべきだろうと編集の人間は言った。たしかにそうだ。私はそれまで小説家になって五年が経っていたが、地元が舞台だと意識して、もっと言えば「場所」をはっきり意識して書いたのはそれがはじめてだった。そのことを語りつつ、生まれ育った場所を題材にして小説を書いた幾人かを取り上げれば、一時間すこしの講演ができるだろうと私は見積もった。中上やフォークナーのことなどを話せばいいだろうか、と家に帰り、彼らの著作を繰った。

 講演の数日前から緊張していた。今度は知り合いに会うかもしれないというよりも、多くの人の前で話すほうが恐ろしかった。意味のわからないことをくどくどしゃべっているだけで、聞き手を置いてけぼりにしている、ととがめられる場面を想像して、日に一回は腹を下した。私はそういう人間だった。だから彼女に会って今度こそ話せるだろうかと考えていた心は、むしろ講演をうまくやりおおせるかどうかを考えはじめて、そればかりだった。

 だから実際に壇上に立ったときも、客席に座っている人間を見渡して彼女の顔を探す余裕はなかった。もっとも、壇上は照明が燦々としていて、また一方で客席はまるきり暗かったから、一人ひとり首実検するなど無理であった。質問のときも、人が立ち上がったところまではわかるのだが、表情は見えなかった。私は暗がりから飛んできた声に返答した。

 とうとう終わってみればどうにかやり過ごしたという感じで、評判を聞くのは怖かった。ぜんぜんわからなかったからもう一度、説明してほしいと詰め寄られたら、うまく答えられるだろうか。市民ホールのロビーで役所の担当職員や新聞社の人間と話をしながら、会場から出てくる人びとを見送った。彼らは私をまるで見ずに三々五々、帰っていくか、ちらりと一瞥してすぐに友人との会話に戻るかのいずれかだった。文句を言いに来る人はだれもなかった。気難しそうな皺の深い老人も、黙って帰っていた。

 彼女が現れたのはそのあとだった。私が一人で帰ろうとして、市民ホールの前の坂を実家の方面に向かっているときである。彼女は私を筆名でなく本名で呼んだ。

 「講演おつかれ。今だいじょうぶ?」

 「うん」と私は言った。

 「この前、清林堂のサイン会におったのわかっちょったよね?」

 「うん。びっくりして」と笑ってみせた。

 「よねえ。でもあんとき話せんかったけん」

 私と彼女はまた市民ホールに引き返して、そこのカフェで話した。二人ともブラック・コーヒーを注文し、私はテーブルにあったシュガー・ポットの角砂糖を一つ入れた。彼女は何も入れずにそのまま飲んだ。

 「大学出てすぐ小説家なったっちこと?」

 「うん」

 「ちことは、大学生んときに、あん新人賞取ったん?」

 「うん」

 「ええそっかあ、すごいなあ」

 十年ぶりの再会でも、もとのように砕けたことばを交わした。私はほんらいの寡黙さから、ことばのうえでは愛想がないが、心理的にはずいぶん心安く話せた。

 彼女の風貌がまるで変っていなかったことも、私の安心につながった。髪型はセンター分けのボブで、太い困り眉。会話するときにまっすぐ目を見据える癖も当時のままだった。私は対蹠的に話すときまったく相手を見ない。ときおり見やると、自分を見つめる彼女の目にぶつかるので、すぐに目線をそらす。

 「チハルは何しとるん?」彼女の名を呼ぶ。

 「保育士」

 「すごいな。大変そう」

 「まあ」とチハルは息を漏らすように笑った。「子どもの相手するのは体力いるねえ。アレルギーある子がおって、その子はピーナッツなんやけど、給食にパンに塗るピーナッツ・クリームとか出てきたら、そん子だけはこっちで用意したいちごジャムとかになるんよ。そんとき、周りの子がずるいっち言って、わけ話すのもなだめるのも大変やわ。子どもやけんしかたないんかもしらんけど、なんであんなにはやし立てるんやろなあ」

 「アレルギーなんて、食べたくないことの言いわけくらいでしか使わんかったりするけんな、子どもは。牛乳アレルギーですとか言って、残したがる子おったやろ」

 「たいがいかわいいんじゃけどね」

 子どもをかわいいなどと思ったこともないのに、ね、と返事したきり沈黙した。ことばが途切れると、チハルはさすがに視線を私からそらすが、それでもときおり私に向き直り、しばらく見つめることがあった。

 「小説書くの大変?」目の行く手はまた私に固定された。

 「うん。ぼくはとくに書くの遅いけん、ひいひい言いながら書きよる」

 「どげなくらい遅いん?」

 「どげえやろ、前は一か月ほとんど書けんくて、編集の人に小ごと、言われた」

 「一か月? 嘘んじょう」チハルは笑んだ。

 「ほんとよ。ほんとに一か月、何も書けんで、しんけん困ったんじゃけん」

 高校生のころ、昼休みに彼女のほうから私のもとに来て、そばの空いている席に座って向かい合わせで昼食をとっていたときのように、チハルは私の顔を見つめながら世間話をする。それを思ったとき、まったく思いがけず、今のこの場面をそのまま小説に転写してゆけばいいと私は思い当たった。小説の筋は、学生時代に友人どうしだった二人の男女が、偶然に再会して、喫茶店で話しこむというものだった。私はまずもって会話の筋がつくれなかったし、何よりそのつづきをぜんぜん考案できていなかった。チハルとのこの会話を写してゆけば、そのままうまく物語になるかもしれない。

 「今はどう、進んじょる?」

 「うん、なんとか。また止まりつつあるけど」

 「よう小説家でつづいちょるね」と彼女は笑んだ。

 ≪と、彼女は笑んだ≫と私は考えた。私は会話しながらに、チハルの所作などを頭のなかで書き起こしていった。≪コーヒー・カップを手に持ってコーヒーを飲む一瞬ばかりは目線が私とは異なるほうに向かって、口がカップのふちから離れるとすぐに私を見る。それから、会話はしばらく絶えてつづかないにもかかわらず、≫彼女は始終、私の目を見ている。そのときに私は≪自分自身の視線を彼女からそらすこともできずに、じっとその目を見つめた。この時間は何だろう≫。私はチハルから目をそらすことができなかった。ひとたびぴたりと視線が合えば、そこからつゆも動かせないのだった。

 「もう帰る? このあと何か用事ある?」

 「いや、用事らしい用事もないけど。うん、帰ろうか」

 「うん」とチハルは立った。唇は相変わらずとがっている。

 払うよ、と伝票を私は取ったが、おごってもらうつもりやなかったし、ぜんぜんいいけん≪と言って彼女はコーヒー一杯分の代金を私に渡した。≫それを持って私は自分の分も含めて払った。≪店員は四十がらみの女。頬に深いしわが長く入っているが、目には潤いがあって愛想がいい。レシートをもらう。そのカフェは小ぎれいで、悪くなかった。コーヒーの味もよかった。われわれはそこを立ち去った≫。

 歩きながら話すときも、チハルはときどき正面のようすを見やるほかでは私の顔を見つめていた。≪彼女は入口のドアにぶつかりそうになった≫。外は曇っていて、蒸していた。

 何もないやろうけど、と≪われわれはアドレスを交換した。蒸している。気温のわりに暑い≫。父母などと連絡するための個人的なアドレスを教えた。私はそれで実家に帰った。

 市民ホールから三十分ほどで実家に着く。講演が終わったのは昼過ぎだが、チハルと話しているうち、もう暮れかかっていた。父母はいつものとおりに声で出迎えた。

 「おもしろかったよ、講演」と母が言う。

 「あれ、おったん」

 「私はおったんよ。後ろのほうやけん、よう見えんかったかしらんけど」

 父は夕方のニュースを見ていた。日曜日だから、そのうちすぐに特番に切り替わるだろう。

 「あんたやっぱり中上健次、好きなんやな」

 食卓には『千鳥足で逃げる』の単行本が置かれてあった。

「ちょっと読んだよ」母は台所に向かいながら、顎で本を示す。冷蔵庫の開く音がする。

 「でも変な感じやね。何読んでても出てくるのは関東の地名か、架空の地名やろ。それがほら、あんたの読んだら、分田とか和木谷とか松ケ浜とか、知っちょる地名出てくるけん何か変な気分」

 「そうそう」母は話を変えた。「仁山くんのお母さんが、こん前、あんたのサイン会に行って、サインもらったち。見かけた?」

 「うん」

 晩ごはんは麻婆豆腐だった。



 火曜日に東京へ戻った。チハルを投影した女の短編はまだ書き終わらず、締め切りが近かった。担当編集からはときどき電話がかかってきた。≪四十代の太った男。中学生になる息子が一人いる。禿、奥歯の一つが金歯、等々≫。

 「私も別に木山さんを信用していないわけじゃないんですよ? たびたび電話をかけるのはそういうつもりじゃないんですよ」

 「わかってます」

 「もうあと五日で送ってくれないと締め切りですけど、どうです、その再会の話は書けそうですか? まあ講演会が終わってすぐで申し訳ないですけど」

 彼はオフィスの事務椅子に座ったようだった。

 「何とかします。材料も手に入れてきたので」

 「へえ、材料。また郷土ものになるんですか」

 「いや、そうでもないんですが、とにかく材料はあるんで、書きます」

 編集の男は、「材料」になるならと息子の話をはじめた。ゲームばかりしていると思ったら、急にカフカを読みはじめた、本棚にはパスカルの『パンセ』があった、云々。

 「神とか、実在とか言ってましてね。私は哲学なんざぜんぜん知らんのでさっぱりですが、木山さん、あなたたしか哲学科でしょう? 今度うちのヒロナリと話してくださいよ。家庭教師。それも材料になるでしょう?」

 考えときます、とにかく締め切りには間に合わせます、と言って電話を切った。

 自室に満ちているようだった編集の男の声はまるで絶えて、かわりに水のような静寂が部屋いっぱいに満たされた。携帯電話は沈黙している。男の声はもうない。≪パスカルの自己意識はまだ人間全般というより自分自身という狭い領域にあったんだ。ぼくからすれば、彼にはあらゆるものに対する神経質的な恐れがあったんでないかと思う、と私はヒロナリに言った≫。私は机に向かい、ラップトップを開いた。テキスト・ファイルを開くまでに、チハルとの会話や、彼女の所作を思い出した。≪彼女はカップを両手で支えるように持ってコーヒーを飲んだ。そのときだけは視線が私からそれて、世界の裏側に隠れている虫が表に出てくるのをじっと待っているように、はるか遠くを見ていた。が、カップを置くとともに焦点は私の上に移り、つまり私を凝然と見た。私はそのときばかりはどうも目をそらせず、彼女の目の奥に深く黒々とした川が流れていて、そこに小魚をかたどった真意が泳いでいるというふうにいつまでも彼女の目を見た。すると彼女は、Kくん、私のこと好きでしょ≫――原稿のファイルが開いたので、いちばん下まで移動し、「と彼女は言った。」で切れている文章に向き合った。≪あとどんぐらいなん、とチハルが画面をのぞき、私に笑いかけた。ぜんぜん、と私も笑った≫。

 深夜二時までじっと画面に向かい、何でもいいから書き進めた。ひどい出来だと思いながら女のことばをつくり、男のふるまいを描写した。ほんとうにこの場面で、久しぶりに会った男女がこう会話するだろうか。二人は単なる友人どうしで、それは極めて純な友情だ。同性の友人どうしでするようなことを、ひょっとすると二人だってするかもしれない、それくらいの仲だ。二人きりで出かけるくらいは常だし、たまには泊りがけの遊びだってあるかもしれない。だがそこには絶対に性的な交わりはなく、ごく単純に友だちとしての交流しかない。ホテルに泊まるにしても、一人部屋を二つ予約するはずだ。いや、遠慮のない仲だからこそ、相部屋でも気兼ねしないだろうか。≪別に今さら気にする必要ないじゃん、とチハルはいじわるげに笑んだ≫。≪ちょうど秋やけん紅葉きれいでいいね、とチハルは湯で顔を洗った。湯のなかでゆったりと体を伸ばす彼女の体は白く、半分あらわになっている小ぶりの乳房は締まっていた。肩に鳥肌が立っている。チハルはそのときだけは私に向かず、始終、断崖にしがみつくように生える木々の紅葉を眺めていた≫。再会したばかりの友人が、そのまま何かするだろうか。身の上話を一時間もすれば、今のアドレスを交換して、それで別れるはずだ。チハルとはアドレスを交換したきり、会話はない。

 この瞬間に彼女からメッセージが来る気がした。私は携帯電話を手に取って、しばらくただ眺めた。通知は何もなく、また来なかった。水のような静寂が私を呑んでいた。

 洗面所に行き、冷たい水道水で顔を洗った。頬は、にきびが消えたかわりに、でこぼこと荒れてきた。≪アキくん、お風呂上がるよお≫。背後の浴室の折り戸から、湯気立つ湿っぽい裸のチハルが顔だけだして私を呼んだ。≪戸の半透明な部分にチハルの身体が色の塊として透ける≫。

 「わかった、すぐ入る」

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