2022年度・九州大学文藝部・新入生号

九大文芸部

自己投与  作:日立無紗

      自己投与


切り詰めるほど圧するほどに血が絞られていくなら

意識は境界の虚ろのなかに溶けこむ

私はあなたではまずありえないし、

それどころか私はもう私ですらなくなった

生きることの間に、人の間に落としこまれた意識はあらぬほうへと逸れ落ちて

ひっくり返った虫と同じ、空転して無駄死にする

机から落ちて潰れたのは私の心臓です


何を日記にすればいいんだろう?

答えはもう私のなかにはないらしい

もし今私を私に重ねようとして笑ってるんなら

意識してそれってやばいよ!






     大人


大人になった今でも ためらいもなく生きたいのに

無駄という春を枯らすために回転する日に血は巡る

他ならぬものには生きてほしくて

続いてしまうものには絶えてほしくて

息を止めると思い出せなくなることに気づいたんだろうか 

誠実ぶったままで 息継ぎもできなくて悄然

別の道をたどるなんでできないことを知らないんだろうか


なんでもない顔をして 嬉しい、悲しい、愛おしい 

声を使っても意味ないことはわかったみたいだね

つなぎとめたいのではない

そんな話が聞きたかったんじゃない

羽が折れていることが救い

割けるものを失ってからが祈り






     ほしいまま


目ざめていたいときも眠っていたいときもない

朝の光で身を焦がすのは痛い

夜の闇に呑みこまれるのは重い

色がついてると見られてる気がする

透明になれば最初から無ければよかったと思う

落ち着く先は無遠慮も情動も許されるところ

虚無のはざま 心動かぬ岸辺


笑いたいときも笑いたくないときもない

与えるのは割く余裕のない私にはできない

授かるのは連れていかれそうで怖い

心を動かせば体まで疲れる

思い出せなくなると自分がいなくなる気がする

受け入れてほしい 骨も心臓もなくたって

沈黙のような暗闇 水底に沈む






     飼い慣らす


私が私でなくなるときがある

体が分裂して 自分の体が自分でなくなる瞬間

どこに行ってしまうのか

この肉とその肉と、何も違いはないはずなのに


それから心までちぎれて 自分の心が自分のものでなくなる瞬間

今この私だけは絶対守りきって 目の前の取りこぼしたものは全部潰さないといけない

私が私から離れていったことを忘れるために

今ある私が私とともにあるために

私が私であるために






     模様


深夜に弾ける花火は

掴んでは消え、掴んでは消え 

一時の忘却に目がくらんでいる


濁りと厭世は生きている証だと思えた

頭が痛くなること、思い出せなくなること、白いイメージの破裂という幸福に

いちばんの情緒と快楽を見ていたはずなのに

優越感が跳ね返って嗚咽が覚めない


赤くにじんだ、散り去った

愛情なんか捨て去って

この指に止まる胡乱だけ受け持って

かわいそうとすら思わないで

その次に思い出すものだけ愛せたら

感傷の裏で欲しがるだけ


私の感情とお前の感情 どんなにしたって同じになれない

幸せを前にして何にもなれない

芽吹かない種 秕の命を抱いている

今 だんだん自分が自分と合わせられなくなっていくのに

長く続く時代に横たわり血を流してみる

笑ってもみないし否定もしないよ!


咲くはずのない肩代わりが

終わりも成就もしなくて

寄せては返す波のように溶け合う

怖いともうまく言えなくて

掃けばなくなる命だから

今だけすこし愛したいのに

授かることも与えることもできなかった

もっと透明な風になりたい

帰りを待たなくてもいいように






     抜け殻


満開で散る花は美しい

枯れて萎れると見苦しい

それにまだ気づけない

淀んだまま続く血の巡り

死にながら生きてるみたいな言葉遊びが文字通りになって

今さら断ち切れない生の連鎖に巻きこまれる

散ることもできないから

土のなかでぐずぐずになるまで耐えるしかなくて

踏み出すこともできないから

乗るつもりのない電車に揺られて意味もなく街へ


こんな世界でも愛するために

あるべき正しさの過渡期に死に向かうしかできないなら

こんな自分でも愛するために

完璧なあなたをなぞり 生き惑うしかできないなら

もっときれいに咲くよりも

もっと小さく散るように

あすの太陽を迎えたい






     知りすぎた町


視線は反れて下へ下へ

投げたボールは手からこぼれて草の陰へ

位相のずれた二人だね

肩で息をしてるときの上ずりを背に聞いた


引きとめられないよ

ああそう、の顔で見送ったあとに

枯れた花と同じ 泣きも笑いもせず

今さら水は遅いの 絶えるまでのあとすこしを待つ


砕けて散って淡く溶けた

光に溺れる町で風が冷たいとだけ思えた

振りきった針と同じ 元には戻らず

しなを作れず薹が立った 日が沈むときを待つ






     永劫の谷


感性で潰れる心臓

関係のなかに見出すありもしない運命たちに毒される

意思に奪われた替えがたい色と 観念に突き崩されたかけがえない色

ぬかるんだ孤独から抜け出せなくなるほど、浮き上がった欲から呼び覚まされるほど

不自由のなかでうごめいて審議を避ける


エゴで表出する深層

間奏のさなか抉り出される本懐に魅入られる

震えで誘う憐憫

かつてなかったものたちで運命めいていく

息に隠れた褪せない思想と 喘ぎに浮き出た果てない思想

晴れなずむ衝動がいなせなくなるほど、突き動かされた体が癒せなくなるほど

不条理のなかで渦巻いて大義も提げず

似而非でもともとの正義にむせぶ

目の前の信号をかき乱して

閉じた不運がこぼれる






     灰


烈しい赤はすべて途絶えて

淡い日の光だけが残ってくれるよう

息をひそめて祈って生まれたことばはいらなかったんだろうな


空しさや諦念を沈めて底の底まで濁った胸に

血潮だけが燃え 巡って

声を失った一瞬に過ぎ去ったすべてに手が届かなくなった


朝目がさめたときにはじまる沈黙が

お前とのあいだで重力になって

私のことばを墜落させる


今、胸に湧いた喜びを結晶に

今、胸に湧いた憎しみを刃物にできたら

お前を憎しみで殺して、血にまみれた喜びを抱いて生きられるのに


今、この胸にある心臓を灰にできたら

静かに散ってゆけるのに






     途上


ひとたび堕落の谷に落ちれば二度と這い上がれぬ

ひとたび貪婪の道に進めば二度と引き返せぬ

ひとたび放蕩の森に迷えば二度と抜け出せぬ


ゆけ高潔なる君

飢えるある日に

奈落の底に墜落せぬよう

霧中の道に彷徨せぬよう

鬱蒼の森に迷漠せぬよう

眼前ばかりをまっすぐ見据えて

どうかむやみに智略をはたらかせず

ただ一心に驀進せんことを






 忘れるくらいの


皮膚が昏い水の底から昇って知る

立体的で、具体的で、直接的な現実

ここにいたいわけじゃない

近い路地を通って抜け出たい、のに

近い道を通って逃げ出たところでまたことばを失う

私は結局、ここにいたいのでもない


生のなかに居場所がないのはわかってる

結合と非結合との結合のなかに私はうまく関係できない

生は私の内側にない

わかってるのに

生を諦めて逃げた、近い場所すら私の場所ではない

死は、私の内側にない


どうしたらいいって訊いていい?

今、生にも関係できず、死にも関係できない私が

内側で分離していくさまを、

近い逃げ場に走って 走って 走って 走って

とうとうお前にことばを引き裂かれて墜落するさまを

いちばんそばにいるお前が笑うんだからね

水みたいになくなれたらよかったんだ


もっと浮遊した命になりたい

生きているでも 存在しているでもない

死んでしまったでも 存在しないでもない

心を溶かして意識だけになった、生と生のはざまに落ちこんでしまいたい

私は何にも関係せずに、ただ私とだけいっしょでいる

体のなくなった世界の側溝で呼吸を失う





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