第1話 白いワンピース

 私はその日、自殺するつもりだった。


 残暑の昼下がり。

 カフェで気になる女性を見かけた。


 彼女は真っ白なワンピースに麻のトートバッグを持っていた。

 白いワンピースは硬派な純文学ではよく見かける格好だが、現実にする人はそういない。だから目に留まったのかもしれない。


 彼女はどこか儚げな空気を纏っていた。


 彼女が席を立ったので、私は慌てて前を向いた。


 彼女が私の脇の通路を通り、会計の元まで行こうとした時、私は丁度温くなってしまった珈琲コーヒーのおかわりを貰いに行こうと席を立って、彼女とぶつかってしまった。


 小さな珈琲の雫が、彼女の純白のワンピースに跳ねて染みを作った。


「ああ! 申し訳ない。こんな」


 私は慌てて彼女を見た。酷く焦っていた。


 彼女は顔を顰め、しかしすぐに諦念漂う笑みを浮かべた。


「いいえ、お気になさらず……」


 立ち去ろうとする彼女に、私は「せめてクリーニング代を受け取って下さい」と言い縋った。


 彼女は辞退しようと口を開きかけたが、人目のカフェの会計の前で押し問答をすることを嫌がってか案外強く「外へ出ませんか」と言った。


 彼女の白いワンピースが翻り、珈琲の染みをトートバッグで隠しながら店の外へと出た。

 私も会計を済ませ、後に続いた。


 空調の効いたカフェを外へ出れば、その暑さに頭がくらくらした。


 カフェの店内から見えない場所で、私は素早く財布から取り出した一万円を彼女に渡した。


 まさか人通りのある道端で平伏するのは憚られ、せめて気持ちを多分に込めて、四十五度に頭を下げた。


「本当に、申し訳ございません」


 彼女はまるで頓着せず、「ええ、私のほうも……」というようなことを口の中でか細く答えながら背を向けようとしたところで、私は口を出さずにはおれなかった。


「失礼を承知でお聞きしたい。死ぬのは、お一人でなさるおつもりですか」


 彼女は振り返り、そこでようやく私を初めて見つけた顔をした。


「下世話な事で、分かってしまうのです。その、私も今日、死ぬつもりでおりますので」


 彼女は表情を曇らせた。


「だとすれば、あなたは、こういった時に引き留められる虚しさをご存知でしょう。何故ご指摘なさるのです」


「私と心中いたしませんか」


 私の誘いはやや唐突だった。

 彼女は私の言葉を吟味していた。

 その視線に耐え切れなくなって、申し出を付け足した。


「その前に、互いが心中するに足るか量る時間を頂戴したい。明日一日だけ、私にいただけませんか?」


 彼女は瞠目し、視線を泳がせ、肩の力を抜いた。

 彼女の黒瞳が何の取り柄もない男を、つまりは私を捉えて、覚悟を決めたように潤んだ。


「……一日だけ、ですね。承知いたしました。その、私も、あなたをもう少し知ってみたくなりましたので……」


 私はあまりに奇想天外な事が起こり、顔は平静だったけれども、内心では、えらいことだ、えらいことだ、と喚き倒していた。





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