太陽道路
くまべっち
1
どちらかが、彼を殺した。
事の発端は、どこからだったか。
警察の調書でわかっているのは、事件当日の深夜2時。高校生の女子2人組、祇園と天神が、警察とカーチェイスを行ったところから。当初、2人が乗った車は、練馬区の住宅地から南下、世田谷方面に向かっていたが、甲州街道に入ったところでパトカーに追いつかれ、進路を西へ変更、中野方面へ向かう。その1台の車を追う、警察車両総勢6台の追いかけっこが始まった。
「急げ急げ! 追いつかれる!」
逃げる車は、ワンボックスタイプの軽自動車。運転席に1人、助手席に、もう1人。
しきりに車の後部を気にしながら、助手席に座る祇園は、運転席でガチガチになってハンドルを握る天神に、何度も声をかける。車の後ろからは、何台ものパトカーが、紅いライトを回転させ、気に障るサイレン音をけたたましく鳴り響かせながら、追いかけてくる。
こんな光景、映画でしか見たことがないけど、本当に追いかけてくるんだ、と、祇園はどこか他人事のように考えていた。
「急いでって!」
「わかってるよ! そんなに急かさないで!」
ハンドルを握る天神は、シートに背中がくっつくこともなく、とにかく前方を凝視したまま、ただ止まらないこと、ぶつからないこと、シートベルトはちゃんと締めることだけを意識して、アクセルを踏みっぱなしで走っていた。高井戸を過ぎる。
「大丈夫。あんたはできる子だから」
「無理だよ!」
「大丈夫! 大丈夫! 自分を信じて!」
「この世で一番信用できない人間だよ!」
「天神!」
祇園が、運転する天神の手をハンドルごと掴む。力強く、ぎゅっと握り混む。
「な、なによぉぅ……」
「私がついてる。何があっても、私はあんたの味方だ」
「どの口がそれを言うのよ!」
天神は、スピードを緩めず、ウインカーも出さずに、交差点を右折する。急激な方向転換に、祇園が外側に引っ張られ、ドアに押しつけられる。天神の手を握っていた手は離さない。
数は少ないが深夜にもかかわらず走っていた一般車両の急ブレーキを踏む音が響くが、逃げる車は、次々にその音を置き去りにしていく。しかし、パトカーのサイレン音は、一瞬引き離したと思っても、すぐについてくる。数が減る気配もない。
「逃げられない、逃げられるわけないよ!」
泣き言を言うが、そう言いつつも、天神がスピードを緩める気配もない。
「大丈夫。あんたはできる子だから」
祇園が、再度、握っている手に力を込める。そのまま、ゆっくりと深呼吸する。
「大丈夫。あんたは、できる子だから」
同じ言葉を、今度はゆっくり、噛んで含めるようにして伝える。音量を抑え気味にして、耳元で、囁くように。
若干フラフラしながら走っていた車体が、安定した。天神の、ハンドルを握る手から、少しだけ力が抜けた。スピードは緩めない。
「あんたは、本当に、緊張しいだね。いつもと同じ」
「なんで今、そんなこと言うの?」
「その気になれば、私なんかより、もっといろんなことができるのにね」
「買いかぶり」
「そんなことない……私の天神」
祇園が、握っている天神の手に、軽く指を絡ませる。
「私の、天神」
自分の指の温度を相手に伝えるように、ゆっくりと手を握りながら、もう一度、呼びかける。
「私の……祇園」
天神も、祇園の名前を言い、指をぎゅっと握り返す。
「そう。あんたは、できる子。できる子だから。わかる?」
そう言って、祇園が天神の顔に自分の顔を近づける。フロントガラスの向こうの信号機の灯りだけが無意味に明滅する、暗い道路の先を凝視している天神の眼を、横から見つめる。
「できる子、できる子、私はできる子。だから、大丈夫」
「そう。あんたは、できる子」
天神の顔が、一瞬ほころぶ。天神の全身からほんの少しだけ緊張が解け、ふいに、祇園の方を向く。
「ねぇ……キス、したい……」
祇園が、天神の肩に、甘えるように頭をもたせかける。ゆっくりと、顔を上げて、2人の目が遭う。瞬間、目線が離れる。
「ちょっと! 前見て! 前!」
「えっ?」
目の前の暗闇の中に、白い物体があった。急ブレーキ。ハンドルを切る。タイヤがアスファルトをこする音。鉄の塊が別の鉄の塊に、突っ込んだ。交差点の横合いから、急激に飛び出してきたワゴン車に、2人が乗った車はぶつかった。
パトカーのサイレン音が、近づいてきて、止まった。2人の記憶は、そこで途切れる。
1人は気を失い、1人は記憶を失って。
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