第15話
「私が、どんなに嬉しかったか。松尾さんは知らなかったでしょうね」
彼女、春南ちゃんはほっとしたように笑った。だけど、瞬時に顔が曇ってしまう。
「だけど、私が助けを求めたせいで、松尾さんは死んでしまったんですよね? 死んだ後、目が覚めたら幽霊になっていて、私はしばらくあの路地にいたんです。街から流れてくるテレビのニュースの音声で、私の他に男性が殺されてたって知って、きっと駆けつけてくれたあの人だって……」
不安げに春南ちゃんは顔を上げた。
(なんて答えれば良いんだろう)
少しだけ迷ったけど、俺はなるべく明るく、正直に答えることにした。
「うん。そうだね。だけど、春南ちゃんのせいではないよ」
「でも、そのせいでお母様にも哀しい思いをさせてしまったんですよね」
「あ、えっ。覚えててくれたの?」
「そりゃ、そうですよ。自分が死なせてしまった相手のことですよ。すいませんでした」
春南ちゃんは深く頭を下げた。
「良いんだよ別に。さっきも言ったけど、春南ちゃんのせいじゃ全然ないじゃんか。俺が間が悪かっただけのことだろ」
「……」
春南ちゃんは大きくかぶりを振って、頭を下げた。
「そんなに気にしなくて良いのに」
これは本音だ。助けようとするんじゃなかったとか、気づかなきゃ良かったとか、そう思ったことはちっともないと言ったら嘘になる。でも追いつめられてきた春南ちゃんを責める気にはどうしてもなれない。
「え~とさ、俺あの日、詐欺の片棒担いだって分かった日だったんだわ」
「え?」
「だから俺としちゃ、天罰だみたいに思ってるとこがあるんだよ。だから、気にしないでよ。それより、もしかしてその罪悪感で春南ちゃんだって黙ってたの?」
「それも、ありますけど……」
言って、春南ちゃんは黙り込んだ。
(どうしたんだ?)
覗き込んだ春南ちゃんと目が合った。春南ちゃんの頬はすっかり傾いてきた日のせいなのか赤い。
春南ちゃんはほっぺたを擦って、顔を上げた。
「あまり、楽しい話ではないんですけど……」
大丈夫ですか? という目に、俺は頷いた。
「大丈夫だよ」
っていうか、春南ちゃんは気を使いすぎだよな。生い立ちがらしょうがないのかも知れないけど。
「私がこの世界に来たのは、一年前のことなんです」
「そうなんだ。思ったよりいなかったんだな」
「いつ頃だと思ってたんですか?」
「五年以上は経ってるのかなって。なんとなくだけど」
春南ちゃんは軽く首を振った。
「だってさ、春南ちゃん色々詳しかったじゃん。この世界のこととか、軍のこととか」
「勉強しましたから」
「そっか……」
にこりと笑んでたけど、きっと物凄い勉強したんだろうな。
「元々、この体――ハイガ・ウィンツは戦死した新兵でした。そのことは、目覚めてすぐに知りました。バグだと判定を受けたので、資料を渡されて」
「ああ。俺も渡された。全然読まなかったけどな」
「それは、正解かも知れませんね」
春南ちゃんは柔らかく笑んだけど、苦笑なのか自嘲なのか、そんな感じも含まれてた気がする。
「私はじっくり読んでしまったので……妙に気にしてしまって」
「なにを?」
「ご遺族、と言って良いのかな。ハイガさんのご家族や、友人のことです。私が違うと知ったら、さぞかし残念がるんじゃないかって」
「ああ。俺、ぜんっぜん考えなかったわ」
目から鱗状態な俺に苦笑を送って、春南ちゃんは頷いた。
「いえ。でも、その方がきっと良いんだと思います。だって、どんなに頑張っても私達は本人じゃないんですから。それにきっと、違う人間だと言ったところで理解はされないと思います」
「まあ、確かにな。バグだなってだけで終わるかもな」
「ですよね」
「春南ちゃんは、ハイガちゃんの家族とかに会ったの?」
「いいえ。幸い、って言って良いのか分からないですけど、今のところ友人だという人にも会ってません」
「じゃあ、どうして?」
ハイガちゃんとして会って、そんで情が移って帰り辛くなったとかだったら分かるんだけど。
「私は……とりあえず、ハイガ・ウィンツとして生きると決めて――というか、流されるままハイガであろうとしました。右も左も分からなかったし、下手に自分の世界のこととかを口にしたら、どうなるのかも怖かったし。怖くて、悪い想像ばかりしてしまって。だったら、ハイガという女の子として記憶を失っただけ。そう思った方が楽だった。松尾さんほど、強くはいれらませんでした」
「いや。俺はなんも考えなかっただけだよ」
「それが強いんですよ」
春南ちゃんはふふっと笑う。
本当にめんどくさくてなんにも考えてなかっただけなのに……。俺は、照れくささと申し訳なさで頭を掻いた。
「それで、目覚めてすぐにブートキャンプに入れられました。一週間後くらいだったかな」
春南ちゃんは思い起こすようなしぐさをした。
「ブートキャンプって、三ヶ月くらいで兵士の基礎だけ叩き込まれて、それですぐに戦場送りになる学校なんですけど」
「えっ、厳しいね」
春南ちゃんは頷きながら、
「はい。それで、私も例に洩れず三ヶ月程度で戦地へ行きました」
「……そっか」
二等兵だったってことは、戦場経験もやっぱりあるんだよな。
「怖かった?」
「そりゃあ、怖くないわけないじゃないですか」
へへっと笑って、春南ちゃんは遠い目をした。
「平和な国にいたのに、こちら側が優勢とはいえ、いきなり人がごろごろ殺されていく戦場に放り込まれたんですから。でも、ハイガ・ウィンツとして戦場を駆けると体がすごくよく動くし、男の兵士でも私に助けを求めたりするんですよ。男より力が弱いはずの女に。ましてや少女なのに。でも、それに応えることが出来る」
春南ちゃんはどことなく晴れやかな表情を浮かべた。春南ちゃんはよっぽど、男嫌いだったんだな。嫌いって言うのとは少し違うんだろうけど。
でも、男の俺としちゃ複雑だ。
「そうやって、私は戦場を半年近く生き抜きました。だけど――」
不意に表情が曇った。伏せた瞳が暗いのは病室が暗くなってきたからだけじゃないはずだ。
「ある日、任務で多くの仲間を失いました。編成を組んだのはそれが初めてじゃない人達も多くいる部隊で、中にはブートキャンプで一緒だった子達もいました。小隊だったので、人数は五十人程度でしたが、それが私一人を残して全滅しました」
「……え?」
「原因は奇襲における指揮官のミス。人為的なものです」
あっさりとした口調で春南ちゃんは言って、すっと俺を見据えた。その瞳は微かに怒りを帯びてるようにも見える。
「それで、一から学びなおそうと思いました。ブートキャンプではなく、戦術や指揮を学べる場所で……」
「それでこの学校に?」
「はい。指揮官はおこがましいし、そんな実力もないので、せめて指揮官に意見が言えるポジションに就ければ良いなと思って」
にこりと笑って、春南ちゃんはこめかみを掻いた。
「前例はあまりなかったみたいなんですが、私がバグだったこともあって、学び直した方がいいということになったみたいです。尽力して下さった方もいるって後から聞きました。それが、速水教官らしいんですけどね。教官とは面識はなかったんですが、私の資料を読んでいただいたみたいで、興味を持ってくださったみたいです」
「そうなんだ」
速水、良いとこあるじゃん。
「松尾さんのおかげです」
「え?」
(なんで?)
驚いて見返すと、春南ちゃんは照れたように口をきゅっと結んだ。
「冥界の待合室で、もう死んでるんだから、話しちゃえ。そうすれば、すっきりして生まれ変われるって言ってくれたでしょ? 私、それを思い出して、思い切って上官に相談出来たんですよ。私はもう、ハイガ・ウィンツなんだからって。きっと柚木春南だったら、胸に秘めたまま言えなかったと思う」
「そっか」
俺は、微笑を浮かべて頷いてみたけど、なんだか少し引っかかった。
春南ちゃんは、柚木春南であることを否定してるような気がする。ハイガ・ウィンツであることに固執してるような……。いや、俺だって松尾之騎であることにこだわりとか愛着とかあるけど。自分が夜茄だなんて微塵も思ってねえけど。
「昔。向こうの世界で転生小説が逸ってたのって知ってます?」
「ん? え?」
なんだ突然?
「いや。俺小説とかまったく読まない。漫画ならちょっと読むけど」
「ですよね」
ですよねって。
「私、あれ嫌いだったんですよ。どうしてみんなこれが好きなんだろうって思ってた。だって、自分自身の記憶を持ったまま別の世界で別の誰かに生まれ変わる。そんなの地獄だって。一種の呪いじゃないかってずっと思ってました。私だったら、死んだら記憶なんて微塵も憶えてないまま、生まれ変わりたい」
溌剌として語る春南ちゃんの姿は、俺にはどこか哀しく見えた。
それで、気づいた。
死んだ後、記憶を持って生まれ変わっても平気な人は、自分の人生にある程度満足して、ある程度充実してた人達だ。例えば、俺みたいに。
でも、春南ちゃんみたいに、苦痛しかなかった人や、嫌な記憶に囚われたまま生きなきゃいけない人にとっては、それこそ地獄なんだ。だから、春南ちゃんはハイガちゃんでいたいってことなのかも知れない。
「でもね、不思議なんですよ」
「え?」
「脳が変わったからなんでしょうか。それとも、別人に生まれ変わったからなのか。柚木春南という人間を、なんだか割り切って考えられるようになってきたんですよ。この一年で」
春南ちゃんは柔らかく微笑んだあと、不意に表情を曇らせた。
「でも、帰ったら柚木春南に戻ってしまう気がして……。最初は流されるままハイガ・ウィンツとして生きることに決めました。でも、ハイガとして生きているうちに、柚木春南だったころの苦痛が、薄れたっていうか……。やり直そうって思ったっていうか……。きっと逃げなんです。でも、逃げたかった。逃げていたかった。それが、もう一つの理由です」
春南ちゃんの瞳がほんの少し潤んだ。
このまま春南ちゃんが、ハイガちゃんとして生きるのは危険なんじゃないか。多重人格に一歩近づくんじゃないだろうか。そして、またこの子は〝逃げた〟自分を卑怯だと恥じて自分を追いつめるかも知れない。そんな考えも浮かんだ。だけど。
俺は静かに春南ちゃんを引き寄せた。柔らかくて、温かいぬくもりが腕の中に広がる。抱きしめた春南ちゃんがどんな顔をしてるのかは分からない。でも、嫌じゃなかったら良いな。
「逃げても良いよ。良いんだよ。今まで、一人で良く頑張ってきたよ。大変だったな。これからは、俺もいるから」
胸の中で小刻みにか細い肩が震えた。
「安心して。もう一人で抱えなくて良いからさ」
彼女がまた自分を否定して追いつめそうになったら、俺が大丈夫だって肯定してあげよう。きっと、多分、それだけで良いはずだ。
泣くまいと頑張っていた春南ちゃんは、とうとう堪えきれずに泣き出した。同時に日が完全に沈みきり、残光を俺達に届けた。子供みたいに泣きじゃくる春南ちゃんは、拭いきれない頬の雫を必死で拭おうとする。
俺はその手を取った。ごつごつしてない。小さな俺の手は、春南ちゃんの小麦色の肌の上で白く光る。薄暗いから、青っ白い肌が余計に青い。
春南ちゃんは頬を綻ばせて、からかうみたいに呟いた。
「なんだか、松尾さん、頼もしいですね。男の人みたい」
「おい。それ言う? 俺、男だからな!」
頬が引き攣る。俺だって好きでこんな姿じゃねーよ。一瞬拗ねた気持ちになったけど、次の瞬間には、俺達は自然と笑い合っていた。
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