第11話

「おかえりなさい。もう吹っ切れたんですか? さすがですね、字木あざなぎくん」

 この人はどうしてこうも平然と対応出来るんだろう、と、字木は考える。

 今現在、字木は二メートルはあろう高身長の女子——御伽花おとぎばな狂李くるりの小脇に抱えられていた。人間の体は小脇に抱えるように出来ていないはずだが、数分間の運搬うんぱんは字木にとって意外にも苦痛ではなく、むしろ一般的には高身長に分類されるはずの自分がこの歳になって、しかも女子に抱きかかえられるという環境を、貴重だと思い始めていた。

「……た、立てる?」

 散々に乱暴を働いておきながら、御伽花は小脇に抱えた字木に優しく尋ねる。どういう感情なんだ、と突っ込みたくなったが、字木は大人しく、部室の床に足を付ける。それを切っ掛けに、御伽花は腕を放し、ようやく字木を解放した。

「…………帰ろうとしたんですが、そこでばったり出会いまして」

 字木はまず、早乙女さおとめに対して言い訳をする。啖呵たんかを切った手前、誤解は望むべきことではなかった。

「こんにちは。狂李ちゃん、今日も元気だね」

「……こんにちは」

 御伽花は、妙に殊勝しゅしょうな態度を取っていた。もちろん、相手が上級生というのはあるのだろうが——いや、もともと彼女は、おとなしめな態度だったかもしれない。おとなしかったが、同時に、おかしかっただけだ。通常の会話をする分には、彼女は普通の人間なのかもしれない。字木はそんなことを考えながら御伽花を見つつ、少しずつ距離を取る。

「大丈夫ですよ。字木くん、そんなに狂李ちゃんを怖がらなくても」

「む、無理言わないでください。早乙女先輩だって見てましたよね? 俺今、小脇に抱えられてたんですよ? しかも、落ち込んでいるところを強制的に連れてこられたんですよ! 先輩に合わせる顔がないですよ! 邪悪すぎる!」

「字木くん、元気になったね」

 と言って、早乙女は微笑む。

「確かに、体格差に物を言わせて無理矢理部室に連れてくるって言うのは、ちょっとよろしくないよね。うーん、ちょっとどころじゃないかな。なんとなく、この状況をスルーしそうになったけれど、字木くんが女の子で、狂李ちゃんが男の子だったら、間違いなく問題になるよね。しかも、落ち込んでる部活仲間を力ずくで」

「そ、そうですよ……どうかしてますよ」

「むぅ……」

 むぅじゃない。

 むぅじゃないが。

 字木はあらん限りの力を持って、御伽花をにらみ付ける。睨み付けてはいるが、もし御伽花が字木の方を向いたら、目をそむける自信があった。体格差的にも、純粋な筋力差でも、勝ち目がないことは明白だった。そもそも字木は格闘技経験者であるとか、運動一筋の家系の出身であるとか、そういった特殊な事情は持っていない。ごくごく普通の、どちらかと言えば運動が苦手なタイプの、ただの男子生徒だ。

「時代的にも、性差で色々区別するのは良くないよね。よって、これから部長権限で狂李ちゃんをしかります」

「……」

「狂李ちゃん、めっ」

「……ごめんなさい」

 それだけかい、と言いそうになったが、もう正直どうでも良くなっていたので、字木は溜息をひとつついてその茶番を眺めていた。もうどうでもいい。なんだか、小説を書きたいという意志すらどうでも良くなり始めている。流石にそれは言い過ぎかもしれないが、気持ちの上ではそんなレベルだった。

「とまあ、茶番はそれくらいにするとして。部長らしく話を聞こうと思います」早乙女は真面目な表情になって、「二人とも座ってください」と、堅い口調で言う。

 字木は御伽花を一瞥いちべつしてから、ソファに腰掛ける。遅れて、御伽花もソファに座った。並んで座ると、字木の目の高さに御伽花の唇があった。つまり、座高はあまり変わらないということになる。どんだけ脚が長いんだよ、と、攻撃的な感情を抱く。

「まず字木くん。元気になりましたか?」

「……いや、元気にはなりません。まあ、落ち込んでた気持ちは正直どうでもよくなりましたけど」字木は素直に答える。「急展開すぎてついて行けてないというのが正直なところですね」

「ですねぇ。狂李ちゃんはそういうところがあるんです。困ったちゃんなんですよね。普段はいい子なんですけど……」

 その〝普段〟を知らない字木からすると、今の御伽花は正真正銘、混じりっけなしの狂人だ。ただ立っているだけでも異質なのに、行動も異常だ。やべー女、どころの話ではない。、と評価すべきだ。

「では狂李ちゃん。どうして字木くんを拉致らちしたんですか?」

 拉致はないだろ、と思いつつも字木は突っ込まず、御伽花に視線を向ける。と——下手な言い訳でもするのではないかと思われた御伽花は、あろうことか、目に涙を浮かべ、それを流すまいと必死に堪えている様子だった。

「…………」

「狂李ちゃん、私は狂李ちゃんに質問してます。答えが欲しいんですよ?」

「…………ゆ、有望株だから……です」

「相手が有望株だったら、都合も聞かずに部室に連れて帰っていいんですか? 部室に連れて帰らなければならない事情があったんですか? 狂李ちゃんと字木くんは初対面だと思っていましたけれど、本当は幼馴染み設定でもあるんですか? 挨拶もそこそこに連れ去っていいんですか?」

 こわ……と字木は思っていた。同時に、ここから立ち去りたいとも。どうして高校生にもなって、先輩が後輩に説教を食らわせる現場に同席しなければならないのだろう。無論、字木は当事者だから当然なのだが——早乙女京子という人間に対する苦手意識の一端が表面化したような、そんな気持ちだった。

 ああそうだ、俺はこれをおそれていたのだ……そんな自分の漠然とした不安に気付く。

 この人はこういう人だ。

 理詰めで怒る。

 だから怖い。

「ご、ごめんなさい……」

「私は謝って欲しいわけじゃなくて、説明して欲しいんですよ、狂李ちゃん」

「は、はい……」

「はいじゃなくてね?」

「あ、えーと……」

 字木は恐る恐る手を挙げて、発言の許可を得ることにした。どうして自分がこんなことをしなければならないんだ、という気持ちも多分に存在していたが……しかしながら、このままだと御伽花狂李という女子は決壊するな、というのが目に見えていた。実際、かろうじてとどめていた涙は、今ではもう固く握りしめた手の甲に、一粒、二粒と落下している。見ているこっちが辛かった。いや、悪いのは御伽花なのだが。それは変わらないのだが……損な性格、と評するべきなのだろう。女子が泣いているのを黙って見ていられるほど、字木は感情のない人間ではない。つまり、物語の主人公には、向いていない。

「なんですか、字木くん」

「俺はその、気にしています。ムカついています。正直その……もうちょっと、落ち込ませて欲しかったです。ブルーな気持ちに浸りたかった。小説を書けない自分を、何か勘違いして天才作家になれるんじゃないかという淡い期待を抱いていた自分を、自分でなぐさめる時間が欲しかった。それが正直な感想です」

「そうですね。もっと怒りますから、もうちょっと待っていてくださいね」

「いや! 正直早乙女先輩はめちゃくちゃ怖いので、俺の方が耐えきれなくなりそうでして。俺もこの空気が嫌でして」

「私、怖いですか?」

「怖いですよ。めちゃくちゃ」

「しゅん……」

 しゅんじゃない。

 しゅんじゃないが。

「いやでも……まあ、その、本当、本当にムカついてますよ。高校生にもなって、先輩女子に小脇に抱えられる恐怖も羞恥しゅうちも、俺のことをさかでしてくる無神経さも——全部にムカついてますけど、でもまあ、別に、そこまで怒らなくてもいいやって、そう思ってる自分も、正直います。だからどっちかって言うと、怒るよりも、説明を聞きたいんです。だって俺は落ち込んでたんですから。小説なんか書けない、文芸部なんて似合わない、こんな学校来なけりゃ良かった——とまで行きかけてた俺を捕まえて、わざわざここに連れ戻した経緯をちゃんと聞きたいんです」

「だそうです、狂李ちゃん」

 早乙女にうながされ、御伽花はジャージのすそで目元をぬぐうと、どちらに向いて話すべきかしゅんじゅんしたあと、結局字木に視線を向ける。冷静に相対すると——というか、こうして顔をまじまじと見られる距離になると——意外と整った顔をした人なんだな、と、字木はどうでも良いことを考える。

「ご、ごめんなさい……」

「じゃなくてですね」今度は字木が言う。

「ごめんなさい。違う。えっと、有望株……あ、あの、逆影さかげちゃんが、すごい一年生が入ったって言ってて……い、色々聞いたの。男の子で、途中入学で、御両親が作家さんで——」

鏡堂かがみどう先輩、意外とお喋りなんですね」

「身体的特徴とか、顔の雰囲気とか、髪型とか、制服の着方とか、喋り方とか、一人称とか、家族構成とか、好きなタイプとか、突っ込みなのかボケなのか、SなのかMなのか、朝食はパン派か米派か——」

「喋りすぎだろ! あとそんな情報話したことない!」

「も、もちろん後半は逆影ちゃんの冗談なんだって思ったけど……すごく有望な……期待の新人が入ったから、今日会いに行こうと思って、ぶ、部活に来たの。で、そうしたら、廊下で会って——なんだか、死にそうな顔してたから」

 死にそうな顔。

「ううん、死にそうって言うか——、っていう顔をしてたから」

 言われて、字木は自分の頬に手を当てる。

 もちろん、手に目はついていないから、自分の顔など判断がつかない。

 が、初対面の人間にそう思われたと言うのなら、相当ひどい顔をしていたに違いない。

「今は、どうですか」

「んー…………か、かわいい顔?」

「うるさいわ」

「心配だったし、本当に——有望株だと思ったから。だから連れてきた。あのまま逃げられたら、書かなくなるんじゃないかって、本当に思ったから」

 書いたこともないのだから——筆を折る、という表現は正しくない。

 あえて表現するのなら、、だろうか。

「そうなんですねえ。狂李ちゃんはそういうところがありまして」と、補足するように、早乙女が会話に割って入る。「ここだ! と思った場面では、意地でも自分の意志を曲げない子なんですね。多分、字木くんは、その『ここだ!』に、初対面で遭遇したんじゃないかと思います」

「ここだ、ですか」

「正直、私も止めようと思ったんですよ? 字木くん、狂李ちゃんの言う通り——死にそうな顔してましたから。いえいえ、狂李ちゃん風に言い換えるなら、、というくらいひどい顔をしていました。でも、私には止める権利はないんです。止める権利も、止める覚悟もない。あのまま字木くんは、一生この部活には戻ってこないんじゃないかとも思っていました。それくらい、ひどい顔してましたよ?」

「まさか……」

 また、字木は自分の頬に触れる。そこまでひどい顔をしていた自覚はないが、どんな顔をしていたかと問われても答えようがない。

「とは言え、狂李ちゃんのしたことは許しがたい行為です。字木くんは許せますか?」

「え? いや、まあ……今更正直、どうでもいいというか」

「しかし果たしてこの私が許すでしょうか?」

「知りませんけど」

 字木の突っ込みに対して、早乙女は笑顔を浮かべ、「本人がどうでもいいと言っているので、今回のことは不問にしましょうか」と告げる。不問——果たして本当にそれでいいのか、自分は流されているんじゃないか、という気もするが、流されていた方が良いような気もしている。自分でも、自分の歩くべき道が分かっていない状況なのだ。少なくとも、今の自分に、やりたいことはないし、強い意志も存在しない。

 御伽花が思う『ここだ!』という正念場しょうねんばに、字木はいない。

「不問とは言いましたが、罪には罰を与えなければなりません。それに、日本には古くから、争いに対する良いことわざがあります。はい字木くん、答えはなんでしょう?」

「争いに対する諺ですか……腹が減っては戦は出来ぬ、とか」

「うーん、惜しくはないですね。狂李ちゃんはどうですか?」

「天の時は地の利に如かず……地の利は人の和に如かず……?」

「全然違います」早乙女はにっこりと笑って、「喧嘩両成敗です」と言う。

「いや——喧嘩じゃないですよ! 一方的ですよ! 断固抗議しますよ俺は。おかしいでしょ! カツアゲされた中学生が高校生ヤンキーと一緒に罰を受けるようなもんですよこれは!」

「まあ、字木くん的には災難かもしれませんが——字木くんにとっては、必ずしも罰、というわけではないですよ。ただ、このまま『ごめんね』『いいよ』というだけで済ませてしまうのは、あまりにもったいないというか、お互いの今後の関係に良くないよどみをしょうじさせてしまいそうですから……喧嘩両成敗という名目で、ふたりにはそれなりの使命を受けてもらいます」

横暴おうぼうすぎる! そんな圧政が許されるんですか文芸部では!」

「まあまあ、字木くんにも利のある話ですから。それこそ——人の和の前では、地の利も天の時も、——無関係と言えます。何が言いたいかというと……うーん、意外と字木くんと狂李ちゃんは相性が良いかも? と思っているんですね。先輩後輩として」

「相性が良い? まさか」

「……」御伽花は無言で字木を見る。

「なんですか」

「不機嫌な顔……」と、御伽花は自分の感情を実況する。知らんが。

「もちろん、人間性がどうとか、体格差がどうとか——そういう話をしているわけではありません。ここは文芸部ですから、というより、存在しているわけですから、小説以外の相性なんてどうだっていいんです」早乙女は軽く手を合わせて、「というわけで、狂李ちゃんにはこれからしばらく——うーん、しばらくなんて曖昧な言い方はよくありませんね。これから、字木くんが小説を書き終えるまで、字木くん専用の『校閲こうえつ係』になってもらいます」

 と——早乙女が言った瞬間、字木の脳裏に『校閲』の文字が映像として浮かぶ。

 烏島からしま紅玉ルビィから聞いていた、御伽花狂李のあだ名である、

校閲ルール

 という字面。

「う……あ、は、はい!」

 御伽花は驚いた様子だったが、しかし、早乙女の唐突な命令に従う。

「そして字木くんには、狂李ちゃんについてもらって、小説を書いてもらいます。一本、小説を書いてもらいます。規定は何もありません。たった千文字でも——百文字だって構いません。字木くんがそれをと認識出来るのなら、どんな体裁フォーマットでも構いません。どうですか? 意外と、無理矢理書けって言われた方が、字木くんは書けるんじゃないかって気がしたんですよね」

 やっぱりこの人のことが苦手だ……と、字木は改めて思う。理詰めで人を叱りつける様子もる事ながら、こんな風に——他人を解析して、それを堂々と本人に言えてしまうところが、本当に苦手だ。

 小説の評価をしているだけはある。

 書評の腕だけで——長編小説を一度も書いたことがないと言っておきながら、この学園において、その書評の正確さだけで、相当上位の地位を得ているだけのことはある。

 要するに、自分の感覚センスに絶対的な自信を持っているのだ、この人は。

 そういう人は——苦手だ。

 苦手だけれど同時に、眩しくも思える。

「……わかりました」

 字木が言うと、早乙女は嬉しそうに手を叩き、「良かったぁ、これからもいっぱい喧嘩してくださいね」とよくわからない感想を口にする。

 字木は、隣に座る御伽花に視線を向ける。御伽花も、控えめに覗き込むようにして、字木を見ていた。

「…………では、よろしくお願いします」

「う……うん……よろしくね、字木くん」

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