転生神さまの嫁探し

空北 直也

プロローグ

地球の記憶

 日本の北部にある地方都市の大学病院。その霊安室。


 碧井正道あおいまさみちは寝台のかたわらに立ち、もう目を覚ますことのない恋人、橘舞依たちばなまいを見下ろしていた。彼はこの病院の医師でもある。


 どれ程の時間、ただ彼女を見つめていたのだろうか。真夜中の誰も近付かないその部屋で時間の経過は無に等しかった。

 ふと思いだした様に自分の白衣の右ポケットに手を入れると薬を掴みだした。


 薬を全ててのひらに置くと、躊躇ちゅうちょなく口の中へと放り込んだ。そして、寝台の上に置いてあった水のペットボトルを掴むと口に運び、薬と共に一気に飲みこんだ。


 彼は白衣姿のまま、彼女の横たわる狭い寝台に滑り込むと左腕を彼女の首の下へ差し込み、腕枕をして左肩を優しく抱いた。右手を彼女の手を包む様に乗せると顔を彼女の首筋に埋めて息を吐いた。

「舞依。長くつらい闘病生活だったね。君は本当によく頑張ったよ・・・お疲れさま・・・」


「僕も・・・もう疲れたよ・・・一緒に・・・行こう・・・」

 そうつぶやくと静かにまぶたを閉じた。




 ほんの短い時間、夢を見た。僕は見知らぬ屋敷に居て窓から空を見上げている。

 その空には信じられない程に大きな月がふたつ浮かんでいた。ひとつは地球の月と同じ見た目。だけどその大きさは地球の月の百倍、いや千倍は大きいだろうか。


 もうひとつは同じくらいの大きさなのだが、土星のような輪がある。虹色に輝くその輪は、目を凝らして見ても月の周りを回っている様には見えない。ただ、キラキラと輝いている。


 そして、そのふたつの月はお互いゆっくりと回転している。僕はその双子の月に心を奪われ、ただじっと見つめている。そしてそれが夢なのか現実なのか分からないまま、徐々に光は失われ、暗闇へと落ちて行った。




 僕、碧井正道の人生で楽しいと思えることはそう多くはなかった。僕が幼い頃に父の浮気で両親が離婚。母は復讐のつもりかどうかは分からないが、自分を父の元へと置いて出て行ったらしい。自分には母の記憶は全くない。


 それからというもの、父は入れ代わり立ち代わり女を家に連れ込んだ。女たちは時に僕をからかい、時には邪険じゃけんに扱った。


 僕にとっての家は温かい場所ではなく、ただ生きるための場所へと変わった。


 母が何故、自分を置いていったのか分からず、その怒りや寂しさをどこへぶつければ良いのかも分からなかった。

 ただ、時折一人で酒を飲み、背中を丸めてため息をつく父を見て、父も寂しいのかな。と幼いながらにぼんやりと考えてしまうような物分かりの良さもあった。




 小学五年生になった春。一匹の捨て犬と出会った。真っ白な日本犬でまだ子犬なのだと分かる大きさだった。青い首輪とリードで公園の入り口の柵に繋がれていた。


「あれ?お前ひとりなのか?主人が迎えに来るのかな?このままじゃ寂しいよな?」

 ひとりでぶつぶつつぶやくと日が暮れるまでじゃれ合ったり、水を飲ませたりしながら主人の帰りを待った。


 いつまで待っても飼い主は現れなかった。夕陽が西の山へ沈み辺りは暗くなって来た。

「お前、もしかして捨てられたのか?それじゃぁ、僕と同じじゃないか・・・」


 その子犬を連れ帰って部屋で育て始めた。名前は「小白こはく」とした。小さくて白いから。そのままだ。


 父親に見つかったら「捨てて来い」と言われるだろうと思っていたが、意外にも何も言われなかった。ただ、小白には一切の興味を示さず、冷たい目で見ていたことだけは忘れられないが。


 父親は食費でも学費でも、言えばお金はくれた。僕は自分の食費を削って小白のドッグフードを買った。


 学校から帰ると毎日、小白と散歩した。小白の存在により寂しさも紛れたし、兄弟ができたみたいで嬉しかった。

 そして、三軒隣に住む橘舞依に見つかった。舞依は幼稚園時代からの幼馴染だ。僕に母親が居ないからか、しきりに世話を焼こうとする。


「まぁくん、この子、柴犬じゃない!どうしたの?お父さんに買ってもらったの?」

「柴犬っていうの?学校の帰り道で拾ったんだ」

「え?柴犬が捨てられるなんておかしいよ。この仔はまだ仔犬だもん」

「そうなの?」


「うん。そうよ。おかしいわ。うーん。そうだ!私の叔父さんが獣医なの。その病院で一度診てもらおうよ」

「え?病院?なんで?小白は元気だよ。まだ小さいから走れないけど病気なんかじゃないよ!」


 僕は必至で小白をかばおうとした。何かは分からないけど、その何かから小白を守りたかったのかも知れない。


「そうね。病気じゃないかも知れないけど、犬を飼う時は初めに獣医さんに診てもらうんだよ」

「え?そうなの?でも僕、お金なんて無いよ・・・」

 そう言って下を向いた僕に舞依は言葉を掛けた。


「まぁくん、心配しないで。お金なんて要らないわ。私のアルだって、いつも叔父さんに診てもらうけどお金なんて払っていないもの」

「アル?あぁ、舞依の犬のことか。アルはなんていう犬なの?」

「アルはトイプードルだよ。それと本当の名前はアルテミスね。じゃぁ、これから叔父さんの病院に行ってみようよ」


 舞依の叔父さんは嫌な顔ひとつせず小白を診察してくれた。

「どれどれ、雄の柴犬だな。生後七か月か八か月というところかな・・・外見に問題はないね・・・ちょっと、内臓を診てみようか」


 検査の結果、小白は心臓に問題を抱えていた。先天性の疾患らしい。前の飼い主はその病気を知って捨てたのだろう。小白の状態は良くなく、大きな手術が必要とのことだった。


 舞依の口利きにより無料で検査はしてもらえたが、手術はそうはいかなかった。勿論、動物保険にも入っておらず、小学生にそんな大金が払える訳もなかった。


 日に日に弱って行く小白を僕はただ見守ることしかできなかった。可能な限りの時間を小白と過ごした。最後は歩くこともできなくなり、虚しく絶望するだけの日々が過ぎ、そして小白を拾ってから一年後の春、桜が散る頃に小白は旅立った。


 舞依は明らかに気落ちした僕を心配し、放課後毎日の様にアルを連れて遊びに来てくれた。アルも僕に慣れ、無邪気にじゃれついて来る。

 アルの相手をしているうちにいつしか僕は心を取り戻すことができた。


「舞依。僕さ・・・獣医になりたいな」

「獣医?良いじゃない!小白がかかった様な病気を治したいのね。私はね、トリマーになりたいの」

「トリマーって何?」

「犬の美容師さんだよ!犬の毛を刈るのをトリミングっていうんだよ」


「あぁ。トリミングか。聞いたことあるかも」

「じゃぁさ。まぁくんが獣医で私がトリマーなら、二人で動物病院ができるね!」

「そうだね!」

「うわぁ、楽しみだ!」




 二人は高校生になっても将来の夢は変わらずに仲良く過ごしていた。そして、二人が高校二年生になったある日、舞依が学校を休みがちになった。


 舞依はやっかいな病気に侵されていた。それは百万人に一人か二人しかかからない難病指定されている病気だった。


 初めは疲れやすいとか、胸が少しだけ苦しいといった程度だったが、病状は少しずつ悪化した。それでもそんな難病が原因とは分からずに対処療法だけでやり過ごしていた。




 高校三年生になって、ようやく舞依の病名が判明した。しかしそれは難病で、完治させる治療法はまだ見つかっていなかった。


 僕は舞依を失うことを極端に恐れた。幼少期から一緒に育ち、小白を失った悲しい記憶から立ち直らせてくれた彼女。同じ方向を向いた将来の夢を共有している彼女を失うなんて考えられなかった。


 そして漠然としていた舞依への気持ちが、自分の中で大きな愛に育っていることに気付いた。


 僕は獣医になる夢から国立大学の医学部に入り、最短で医師になることへ方向転換した。医師になり舞依の難病の治療法を見つけるためだ。


 舞依は僕が獣医になるのをやめ、医師を目指していることを話した時、少し戸惑ったが喜んでくれた。そして「無理はしないでね」と小さく言った。


 そこからは無我夢中で勉強した。学費は父を当てにできなかったので必死にアルバイトをし、奨学金も頼りにすることにした。


 そして大学に合格した。アルバイトと大学、勉強の合間を縫って可能な限り、舞依の見舞いに行った。大学生活の思い出はそれだけだ。部活も旅行も趣味も何もなかったが、そんなことを考える余裕さえもなかった。




 そして僕は医師になった。しかし医師になり、舞依の難病のことを知れば知る程、この病気の完治がどれ程難しいことなのかを知ることとなった。


 医師になったからといって毎日、ひとつの病気の研究をさせてくれるはずもなく、新人研修医の仕事は多忙を極めた。


 そうこうしているうちに舞依の病状も次第に重くなって行った。

 女性ホルモンが大きな原因となっている病気のため、卵巣を摘出することとなり、その手術の後、舞依の瞳からは希望の光が失われた。


 僕は医師となり、詳しいことを知った以上「必ず治す」などと気休めの言葉を掛けることもできなくなっていた。病室では努めて明るく病気以外の話をすることを心掛けるくらいしかできなかった。


 勤務時間後と休みの日は舞依の難病を研究している教授の下へ通い、研究の助手を務めた。休むことなく働き続けたが研究の成果は上がらず、僕はいつしか心を失って行った。そして舞依の心も次第に深い闇の底へと沈んだ。




 秋も深まって来たある日、いつもの様に舞依の顔を見に行った。僕が病室に入って「舞依」と声を掛けると、舞依は横たわったまま目だけをこちらへ向けて小さくうなずいた。


 僕は舞依のベッドの横に座った。しばらくの沈黙の後、舞依が表情もなく天井を見つめたまま、とつとつと話し始めた。

「まぁくん・・・今までのこと、心から感謝しています・・・本当にありがとう・・・でも・・・もう大丈夫だから・・・」


 舞依の顔からは感情が抜け落ちていた。僕は突然の言葉にしばらく茫然ぼうぜんとし、ハッとして我に返った。

「ど、どうしたの?何が大丈夫だというんだい?」


 舞依はこちらを見ずに天井を見つめたまま話した。

「卵巣も取ってしまったし・・・まぁくんのお嫁さんになっても・・・もう・・・赤ちゃんを産むこともできないの。まぁくんも疲れているし・・・これ以上は・・・」

「こ、これ以上は?い、一体なにを・・・」


 なんということだ。僕は今まで何をして来たんだ。舞依の病気を治すと意気込んで医師になったのに。何故、舞依の口からこんなことを言わせているのだ!


 舞依がこんなにも絶望していたのに、その気持ちに気付いて寄り添ってやることもできていなかったのだ。僕は毎日、ただ忙しくしていただけなのではないのか!?


 これでは何もして来なかったのと同じだ・・・


 頭の中で懺悔ざんげと後悔の念がグルグルと回っている。舞依にどんな言葉を掛ければ良いのか浮かんで来ない。しばしの沈黙が続いた。


「それでも・・・それでも僕は・・・舞依に生きていて欲しい・・・君を・・・君を失ったら僕は・・・」


 僕の言葉を聞いた舞依は横たわったまま、静かに、ただ静かに涙を流した。僕は舞依の手を両手で包み、その手におでこを当ててむせび泣いた。




 二十五歳の冬の夜、舞依は旅立った。静かに。眠る様な最後だった。舞依の両親は覚悟ができていたのか取り乱すことはなかった。


 僕の涙も既に枯れていた。悲しかったが涙は出なかった。舞依の両親に掛ける言葉も持ち合わせてはいなかった。


 舞依の両親が手続きを終えて帰宅する時、僕は二人を病院の玄関まで見送った。お互いに言葉は無く、一礼するだけだった。僕は舞依の両親を見えなくなるまで目で追った。


 誰も居ない玄関にそのまましばらくひとり立ちすくんでいた。冬の冷たく澄み切った空気がそこにあった。不思議と寒さは感じなかった。ふと空を見上げると、そこには大きく、そして白く輝く満月が浮かんでいた。月の明るさに隠され、星はほとんど見えなかった。


 月を見ていると舞依の顔が浮かんだ。そして涙が一筋、頬を伝って落ちていった。

「さぁ、舞依のところへ行ってやらないと・・・寂しがっているからね」

 ひとりつぶやくと、美しい月から目を離し、霊安室へ戻って行った。


 それが僕の人生で見た最後の景色だった。

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