第96話 五千
「じゃあまた七日後ね!」
「ええ、では失礼いたします」
二時間ほど、王女の自慢話に付き合った俺は丁寧にお辞儀をする。
そして背を向け、歩き出す。
後ろからまだ王女の声が聞こえるので、少しだけ振り向いて手を振った。
それは曲がり角を曲がるまで続いた。
近衛兵に連れられ、お父様がいるという部屋に入る。
「失礼します」
「戻ったか、レイン。王女殿下とは仲良く出来たか?」
「はい、たくさんお話しさせていただきました」
「よしよし。帰るのはもう少し待て。もうすぐ私の仕事も終わる」
「わかりました」
そう返事をした俺は近くの椅子に腰掛け、少しの間、ぼうっと天井を見つめる。
それから暫くして、お父様は紙をまとめ始め、近くにいた秘書のような人に渡してから立ち上がる。
「さて、帰ろうか」
「はい」
立ち上がったお父様につれて、俺も部屋を出て行く。
近衛兵に見送られて城を出た俺達は王都にあるオリオン家別邸まで馬車で移動する。
そしてふと、帰路の最中、俺はお父様に仕事について聞いてみた。
「今日のお仕事というのは僕の事ですか?」
なんとなくだが、そんな気がした。
リュミオン内での領地争いは未だ激化の一途を辿っているが、既にオリオン家は後任に引き継ぎをして手を引いている。
ならば次の案件といったらやっぱり今話題になっている俺の迷いの森攻略であろう。
「そうだ。オリオン家から出す精鋭兵の書類と国から出される精鋭兵の人選について目を通していた」
「やはりそうでしたか。何か条件などはあるのですか?」
「もちろんだとも。無能を連れて行っても仕方がないからな。魔法に特化したお前がいるのだ。迷いの森に連れて行く者達は、最低でも一つは魔法才能が欲しい」
「それはまた……難しい注文ですね」
魔法才能は先天的なものであり、個人個人の才能によるところが大きいものだ。
信頼の出来る居なくなっても誰も気にしない魔法才能のある人。
それらを探すのがいかに難しいかは俺でもわかる。
「それでも国中からかき集めたからな、それなりの数にはなったぞ」
「そうでしたか。それは大変喜ばしい事ですね」
「何を他人事みたいに言っているんだ。お前の部下だぞ?」
「……え?」
今なんて?
「何を惚けているんだ?前からそう言っていただろ?」
「あ……はい、そう言えばそうでしたね」
そうだった。言うまでもなく、現オリオン家の当主であるお父様が来れる訳がない。
そして、鍛えに鍛えた軍勢を他領の人間に任せるわけにもいかない。
ならば次期オリオン家当主たるこの俺こそがそれらを率いるのにふさわしいといえるだろう。
あくまで地位という点だけは。
「まだ中身が伴っているとはとても思えないのですが……」
「何事も経験だ。知識はあるのだから頑張れ」
頑張れと言われましても。それに本の中の知識がいかに役に立たないかは先日の件で経験済みですよ。
まさしく百聞は一見にしかずならぬ、百見は一戦にしかずだ。
「私に任せろ!ちゃんと信頼出来る者を用意する。それに素人を連れて行かせるつもりはない」
いや、素人かどうかの心配なんて別にしていないんだが。
だがそんなことを言っても無駄だろう。
あ、そう言えば何人くらい連れて行くつもりなんだろう。
百人、いや多くても三百人くらいなんじゃないだろうか。
三百か……。五人もまとめられる自信がないのにその六十倍は……無理だろうなぁ。
そう思った俺は一応念のため、お父様に質問をして見ることにする。
「一応お聞きしますが、どれ位の数をあそこに連れて行くつもりなのでしょうか?」
百人くらいかなー、なんて思っていた時期が俺にもありました。
「五千人を予定している」
「……スゥーー」
この夜、城の中で子どもの叫び声が響いたとか響かなかったとか。
城内で悲鳴が上がった三日後の昼、俺は舞踏会の会場へと急いでいた。
昨年は諸事情により行けなかった為、二年ぶりの舞踏会である。
因みに、プロウス君と第二夫人は勝手に先に行ってしまい、レイシアは今回は欠席である。
正直、開始前から門の前で待っていたい気持ちで一杯だったのだが、残念ながら俺はこれでも公爵家である。
慣例通り、時間より少し遅れて行くのがマナーである。
プリムは既にきているのだろうか。
来ているはずだ。
「お父様、僕の服はバッチリ決まっているでしょうか?」
「……今日四回目だからな、その質問」
「そうでしたっけ?」
お父様は呆れ顔をしながら俺をジトリと見てくる。
しかし、心配なのだ。
何せ俺は前世ではお洒落とは無縁の生活をしてきたのだから。
この世界に来て長らく貴族の坊ちゃんとしてそこそこの教養は身につけてきてはいるものの、根が平凡な人間にはよく分からないのが実際のところだ。
お父様の視線を無視して、俺は自分の服をつまみ、何か変なところはないか探す。
すると、お父様は深い溜息を吐きながら、
「はぁ……お前は公爵家なんだぞ?心配などせずとも向こうから女が寄ってくる」
「いえ、僕が求めているのはプリムさんからの視線だけです。他の方の視線はちょっと……」
「お前のたまにある人見知りの基準が私にはよく分からんのだが……。公爵家なんだからしっかり胸を張りなさい、などと言う決まり文句をお前に言う必要はないだろう?」
「はい」
「ならいい」
既にこの身体になって八年。未だに昔の人見知りと対人恐怖症は抜けない。
だが、短い年月の中で少しづつ治ってきているのは確かだ。
今更、子どもに怯えたりはしない。
爽やかな笑顔で対応してみせよう。
そんなことよりも重要なことがある。
「ところでお父様、この服……」
「着くまで黙ってなさい!」
一年ぶりに怒られてしまった数十分後、二年前と同じ道筋を辿り、豪華な扉の前まで来る。
「準備はいいか?」
「はい、いつでも大丈夫です」
「では、行くとしようか」
お父様がそう言うと、門の前にいた守衛が扉を開ける。
その瞬間、俺の耳に響いてくる喧騒が、既に多くの貴族が集まっていることを証明してくれる。
俺とお父様は堂々と胸を張りながら中に入って行くと、早速俺たちを見つけた貴族が声をかけて来る。
「おお、オリオン公爵!」
「久しいなベロン伯爵。元気にやっているか?」
「ええ、おかげさまで。そちらのお子さんは確か……」
「ええ、長男のレインだ。レイン、挨拶しなさい」
「はい、お父様!」
お父様に背中を押され、俺は前に出て挨拶をする。
「お初にお目にかかります。レイン・ドュク・ド・オリオンと申します」
「これはこれは、立派な息子さんをお持ちで羨ましい!」
「ははは」
ベロン伯爵のお世辞をお父様は上品に笑い、軽やかに流す。
「では、失礼する」
そう挨拶をして、俺たちはまた歩き出す。
だが……。
「おお、オリオン公爵!ご健勝そうで何よりです」
すぐに他の貴族に捕まってしまい、俺たちは身動きが出来なくなってしまう。
流石はポルネシア最大の財と軍備を持つオリオン公爵家とあって、とにかく周りの貴族たちは話しかけて来る。
そしてついでとばかりに俺に話を振って来るのだ。
しかもそのどれもが娘を紹介して来るので、正直辟易していた。
俺はプリムと話に来たのだ。
それ以外の女の子には興味はない。
しかし、無下に扱うわけにはいかないので、一人一人に対し、丁寧な対応をしていく。
そして一番困るのがこれだ。
「お久しぶりです、レイン様。私のことは覚えておいででしょうか?」
二人の男の子が話しかけて来る。
いや知らんがな。誰やねんお前、などとは当然言えないため、俺の方も、
「あれ?これはリネル侯爵の三男の……」
「おお!覚えてもらえてましたか!そうです!三年前にご挨拶させていただいた……」
三年前って……。覚えているわけねぇだろ。
慌てて神眼で確認したわ。
「では、僕の横にいる彼のことは……」
「もちろんですよ、アーブルト男爵家の次男、ソーイ・バロン・ド・アーブルト殿」
「す、すごい……」
ソーイ君は唖然とした表情で固まってしまう。聞いといてそりゃないだろう。
もちろん覚えてなかったがな。
神眼で確認した。
そう言えば……ぐらいのあやふやな記憶しかない。
あの時は、あの後プリムにあったからな。それ以外の記憶は吹っ飛んでしまっている。
そして今も俺の頭の中はプリムである。
「では、僕は少し用事がありますので失礼させていただきます」
「はい」
「え、ええ。またよろしくお願いします」
リネル侯爵の三男坊は少し大人びた返事をし、アーブルト男爵次男坊はまだまだ子供みたいだ。
「さてと……」
俺は襟をしっかりと引っ張り、背筋を伸ばし、出来うる限り最高の佇まいを意識しながら会場を歩いていく。
俺が目指す場所は決まっている。
俺よりも少しだけ低い背丈に少し地味なパーティー用のドレス。
だが、そんなことは気にならないほど美しい甘栗色の長い髪。その爽やかな色合いは見るもの全てに癒しを与えてくれるだろう。
父親の手をぎゅっと握るその後ろ姿は可憐な一輪の花の如し。
俺は気合を入れ、その後ろ姿に声を掛ける。
「失礼、そこのお嬢さん」
「え?」
そう声を掛けると、その少女は後ろを振り返る。
「あっ……」
「お久しぶりです、プリムさん」
もちろんそこにいたのはプリムである。相変わらず可愛らしい顔立ちである。
「お、、おひゃし……うう……」
噛んでしまったようだ。
可愛い。
しかし、俺は笑うことなく、優しい微笑みを向ける。
「ゆっくりで構いませんよ、プリムさん。今日もお綺麗ですね」
「あっ……」
俺の一言にプリムは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
それを見た俺の心はこれ以上ない程舞い上がっていた。
ふぅーーーー!
やってやったぜ、という気持ちで一杯だった。恥ずかしいという感情は完全に捨て切っている。
今の俺は少女漫画の主人公である。
「如何なさいました、プリムさん。もっと私にその可愛らしいお顔を見せて欲しいです」
「……」
プリムはさらに俯いてしまう。
だが、彼女の髪から出ている耳は真っ赤に染まっており、俺の狙い通りである。
そこではたと気付く。
あれ、もしかしてこれって、必死に笑いをこらえているのだろうか、と。
そんなはずはない。プリムはそんな嫌な女の子ではないはずだ。
昔の少女漫画の言葉をそっくりそのまま言ったんだぞ。笑われるわけがない。
だが、あれはイケメンがやるから効果があるのだ。
俺は果たしてイケメンなのだろうか。お父様はイケメンだ。お母様は美女だ。その間に生まれた俺がイケメンじゃないわけがないはずだ。
どうなんだろう。周りはみんな褒めてくれるが、それはオリオン家だからだろう。
お世辞を言っているだけなのかもしれない。
昔の俺基準で言えばカッコ可愛い顔をしているとは思う。
だが、得てして自己評価と他者評価は違っているものだ。
やべぇ、調子に乗り過ぎたかも。
もう少し、軽く、「やぁ、プリムさん、お久しぶりです」くらいにしとけばよかった。
今更悩んでも後の祭りである。
一度心配になるとそればっかりが気になってしまう。
完全なる負のスパイラルである。
そんな俺に救いの手を差し伸べてくれたのは、横にいたハーバー士爵だった。
「ほらプリム、レイン君が挨拶してくれたんだ。照れてないで挨拶しなさい」
そう優しく声を掛ける。
あ、やべぇ。俺は父親の前でなんて恥ずいセリフをつらつらと言ってたんだ。
馬鹿野郎にも程があるだろ。
魔法に時間を戻すのとかなかったかな。最悪記憶を消すだけでもいいんだけど。
「あっ……あのレイン様……」
「はい?」
ああ、なんてことをしてしまったんだ。気合を入れ過ぎてしまった。
もし彼女が笑いをこらえているような顔をしていたら俺はどうすればいいんだ。
臭すぎましたねすいません、とか言えば誤魔化せるだろうか。
俺の願いが通じたのか、プリムの表情にあったのは照れだった。
よっしゃ、と叫びそうになるのを抑え、俺は努めて冷静にプリムに微笑を向ける。
「あ、あう……」
「ふふ、相変わらず可愛らしい方ですね、プリムさんは」
ここまで来たら、俺は限界を超えてみせる。
トラックで轢かれそうになっていた女子高生たちを助けたように。
死にかけた最後の魔法でレベルが9になったように。
俺は奇跡を起こしてみせる。
そう強く誓った次の瞬間、周りが一際大きく騒めく。
そして、更に大音声の合奏が響く。
何処かで聞いたことがある演奏だ。
そして階段からゆっくりと降りてきたのは、
「ポルネシア王国第2王女アリアンロッド・アンプルール・ポルネシア王女殿下のおな〜り〜!」
「なんだとっ!?」
そんな予定は聞いていない。ゆっくりと階段を降りて来るアリアンロッドを見て、波乱の幕開けの予感をひしひしと感じていた。
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