番外編 その頃のアンダーウッド家 2/2
3
サンドラアンダーウッドは、ネクの母親である。
同時にデレクの妻でもある。
彼女は常にデレクの数歩後ろを歩き、部屋の端で目立たないようにしていた。
まさに『内助の功』を体現したかのような女性だった。
そんな彼女は、その日、使用人から内密の報告を受けていた。
「それで、報告というのは何ですか?」
「奥様、こちらをご覧ください」
使用人たちが示したのは、大量の手紙だった。
普段は数件しか届かない手紙。
それがこの日は、三十件も届いていたのだ。
送り主は、大半がアンダーウッド家より格下の貴族。
だが、中には同格かそれ以上のものもある。
「何かあったのかしら?」
サンドラも貴族の一人として、情報収集は欠かさない。
だが、こうも突然大量の手紙が届くような原因に心当たりはなかった。
サンドラは不思議に思いつつ、封筒の中の一枚を手に取る。
既に使用人によって開封されていた封筒から、手紙を取り出し目を通す。
「これは――」
サンドラは信じがたいという表情を浮かべる。
普段、感情を表に出さない彼女にしては珍しい。
「他の手紙も、全て同じ内容ですか?」
「はい」
「一体、どうして……」
サンドラは頭を抱えた。
どうしてこのようなことになっているのか、全く理解できなかった。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
イヴとの話を終えたデレクに「当主執務室に来てほしい」と呼び出されているのだ。
急がなくていいとも言われている。
だが、いつまでも待たせておくわけにもいかない。
「奥様、これはどういたしましょう?」
「とりあえず、全て私が預かります。このことは公言しないようにしてください」
「畏まりました」
サンドラは机の上の封筒を手に取り、事務室を後にした。
そして、一旦自分の部屋に戻り――。
「どうして、こんなことに……」
そう呟いた。
そして、天を仰ぎ考えをまとめる。
この問題を有耶無耶にすることは出来ない。
放っておいても、事態は悪化するだけだ。
だが、その対処をデレクに任せるわけにもいかない。
これは、そういう性質の問題なのだ。
だから、サンドラはこれを自分で処理することにした。
それこそが、デレクの妻として、自分に課された試練なのだ。
そう考え、決意と共にデレクのもとへと向かった。
4
その日、デレクアンダーウッドは消沈していた。
イヴから告げられた引退勧告。
イヴの能力は、既にデレクを大きく超えていた。
その差がどれ程のものになるのか、もはやデレクにも分からない。
もはや、自分が当主を務める必要はないのではないか。
それどころか、当主を務める資格もないのではないか。
そう思い始めていた。
だから、今日はそのことを妻であるサンドラに相談するつもりだった。
そして、場合によっては背中を押してもらいたいと思っていた。
ドアがノックされる。
「デレク様。サンドラです」
「うむ、入れ」
「失礼します」
サンドラは、ほとんど音を立てずにドアを開け、部屋の中に入ってきた。
その佇まいはいつも通り楚々としたもの。
「お元気がないようですね」
「……これは、お前に最初に言おうと思ったのだが――私は、近いうちに当主の座を退こう思う」
「……そうですか」
サンドラは、落ち着いた声で答えた。
だが、その脳裏には先ほど発覚した問題がこびりついていた。
この引退宣言には、その問題が深く関与しているようにしか思えないのだ。
「では、イヴを当主とするということでよろしいですか?」
「そうだな」
「して、引退の日取りはどうされますか?」
「それはまだ決めかねている。お前は、どうするのがいいと思う?」
「それは私が決めるべきことではありません」
「だが、お前の意見を聞きたいのだ」
サンドラは考える。
イヴは確かに幼いが、ある種の人格が完成されている。
おそらく、今後時間をかけたところでアレが変化することはないだろう。
ならば、それは今すぐということでも構わないのではないだろうか。
「やはり、それは私が決めることではありません。アンダーウッド家の当主として、貴方が任をもって決めるべきことです」
「……そうか。では、全てをイヴに任せられると思ったら――それこそ、この私がイヴに心底から助けを求められるような気持ちになれたら、その時に当主の座を渡すということによう」
「それでは、当主の座を引き渡すのはだいぶ先になりそうですね」
「もしかしたら、すぐのことになるかもしれんぞ」
そう言って、デレクは微笑んだ。
当主になってからというもの、滅多に見せることのなかった笑みだ。
だが、その隣にいるサンドラの表情は冷たいものだった。
「ところで、デレク様」
「もう『様』は止めてくれ。まだ当主だとは言え、既に引退を決意した身。これから追いやれるだけの老兵だ」
妻の表情に気づかないまま、デレクは話を続ける。
「なんだか、身が軽くなった気分だ。これまで、アンダーウッドという家の名誉を守るため粉骨砕身してきた。だが、当主という地位を譲ると決めたとたん、肩の荷が下りたような気した」
「そうですか」
「もしかしたら、ネクも追放されることを望んでいたのかもしれないな。この重責は、アレは耐えられまい」
「では、イヴなら耐えられると?」
「イヴの場合、耐える必要もあるまい。アレの考えは、我々の尺度で測ることは出来ないかな」
デレクは大きなため息をつく。
それを、横からサンドラが冷たい視線を向けながら見ていた。
「さて、当主を引退したら、どうしたものだろうか。肩の荷が下りた今、第二の青春というのを謳歌してみるのもいいかもしれない。いや、考えてみれば私に青春時代というものなどなかった。ただ、アンダーウッド家の繁栄の身を考えていた。ならば、これからは自分の人生を楽しむのもいいかもしれんな」
「そうでございますね」
この会話によって、サンドラは確信していた。
やはり、あの問題にはデレクが関わっているのだと。
だとすれば、問題解決のためには、今ここで切り出さなければならない。
「ところで、デレク」
「何だ?」
「先ほど、使用人から報告がありまして。なんでも、貴方の愛人として自らの身内を推薦する手紙が多く届いているとか」
「……何だと?」
デレクにとっては、寝耳に水の話だ。
その原因は、遠い魔法学院にいるネクだった。
彼が大量の魔力を持っているという情報が、アンダーウッド家の遺伝子の価値を爆上げさせていたのだ。
魔法学院の生徒及びその家族の注目は、一時的にネクに集まった。
だが、それは長くは続かなかった。
彼ら彼女らは気づいたのだ。
今回、デレクの子供に大量の魔力があることが分かった。
だが、ネクの子供まで同じように大量の魔力を持つとは限らない。
魔力量の大きい子供が欲しいのであれば、デレクのほうが確実性が高いのだと。
結果、ネクのモテ期は一瞬で終了した。
真のモテ期は、ネクではなくデレクに来ていた。
だが、それを知らないサンドラからすれば――。
「これまでも、貴方の愛人候補として身内を推薦してくる手紙は数件ありました。しかし、当主という身を考えれば、軽々な判断をすることは出来ません。だから、全て丁重にお断りしていました。それは貴方も同意していましたね?」
「う、うむ」
「しかし、いざ当主を辞めようというタイミングで、このように大量の手紙が届くとは――もしかして、以前から計画していたのではないかと邪推してしまいますわ」
「計画……だと?」
「『たくさん愛人を囲むために、枷となる当主の座を捨ててしまおう』というのが、引退の本当の動機なのでは?」
「そ、そんなことは……」
言いよどむデレク。
それは、本当に心当たりがないからである。
考えもしなかったことだからである。
だが、サンドラはそうは受け取らなかったようで――。
「あらあら、デレクちゃんは悪い子ですわね」
そう言って、上着を脱ぎ捨てた。
その下から出てきたものは、黒のボンテージスーツ。
右手には鞭を持ち、顔には仮面を装着する。
「そ、その恰好は――」
「あら、貴方もお好きだったでしょう?」
「しかし――」
「ネクが生まれてからは控えていたけれど、あの子は追放されてしまったわけだし、ここにいるのは引退を決めた老兵。もはや躊躇うことはないわ」
そう言って、妻は鞭を振り下ろした。
「あひぃぃぃぃぃ~~」
デレクは、悲鳴を上げて逃げ出した。
かつてはそういう嗜好もあった。
サンドラの嗜虐趣味にも万全に対応できていた。
だが、ブランクが長すぎたのだ。
今のデレクには、その性癖を受け止める余裕がなかった。
椅子から転げ落ち、這うようにして妻から遠ざかろうとするデレク。
その姿はサンドラの嗜虐心を燃え上がらせた。
長年さび付いていた性癖。
胸の奥底で燃え続けていた情熱。
それらは、一度動き始めてしまったら、もう止まらないのだ。
「さぁ、デレクちゃん。一緒に燃え上がりましょう! そして、この手紙を送ってきた方々にその姿を見せつけて差し上げましょ~!」
「サンドラ、止めてくれ! イヴ、ちょっ、イヴ~! 助けてくれぇぇぇぇぇぇ!」
デレクは初めてイヴに助けを求めた。
色々なものの危機に対面し、心の底から助けを求めた。
当主引退の要件は満たされたのだ。
かくして、当主の座は無事にイヴに引き継がれることとなった。
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