第8話:無意識の言葉

 聖女。

 秩序神エメロードの代行者たる女性を指す特別な言葉だ。

 聖女は一国に一人しか生まれないので、秩序神エメロードが何らかの干渉を行っているものと思われる。

 その希少性から聖女は国全体を上げて祀り上げられ、王族の守護と寵愛を一身に受ける。

 聖女は民衆からも崇拝され、聖女のためならば命を捧げる敬虔な教徒も多い。


 聖女の大きな特徴として《聖法力》が挙げられる。

 聖法力は生命の源となる存在の力を活性化させる効果があり、荒れ果てた土地であっても聖女が関与すれば、もとの緑豊かな美しい土地に再生すると言われている。

 つまりこれは聖女が五穀豊穣の象徴であることを意味している。


 豊穣を司るだけでなく、大地と調和し、土地を安定させる力もある。

 土地の安定という部分は、専属魔導士だった俺も嫌というほど実感した。

 聖女が関与していない土地、いわば《未開領域》はどこを歩いても中級以上の魔物が襲い掛かってくるからだ。

 中級以上の魔物というのは本来、森の奥にしか出てこないような相手で、群れるか特殊な能力を持っている事が多い。


 豊穣の大地と土地の安定化。

 それぞれが国家の基盤となる部分であり、避けては通れない重要な柱だ。

 人々の生活を安寧に導くためにも聖女の役割は非常に大きいと言える。

 聖女が追放されるなんて本来なら決してあってはならない事だ。


 しかし、今回はそのあってはならないことが実際に起きてしまった。

 偽聖女の烙印を押され、国を追放された聖女アイリス。それが目の前にいる。


「聖女がいない王国はいずれ滅びると言われているが、新しい聖女はもう見つかったのか?」


 なぜアイリスが追放されたかよりも聖女の有無を先に確認した。

 失礼な問いだったかもしれないが大事な事なので聞いた。


 するとアイリスは頷いた。

 どうやら新しい聖女が代わりにアイリスの役割を果たしているようだ。

 よかったよかった。


 いや、アイリスの立場なら全然良くないか。

 自分がいなくても問題がないという辛い現実を認めなければならないからだ。


 それにしても、不思議だ。

 聖女は一国に一人しか誕生しないはずなのに、なぜ新しい聖女が既にいるんだろう。偶然二人目が生まれたのだろうか。アイリスの話を聞いてみるまでは結論は出せないな。


「えーと、聖女の事が気になるかもしれませんが、私の代わりは既にいるので全然問題ありません。私も偽聖女に関しては全然気にしてませんので、終わってしまったことはもう忘れましょう。大事なのは昔ではなく今です。私はすでに聖女ではなく普通の女の子です。正義の聖女アイリスとして悪を滅ぼす。それだけが私の生きがいです」


 本人は全然気にしてないと言っているが、めちゃくちゃ引きずってる事が伝わってくる。

 普通の女の子に戻ったと言っている傍から、正義の聖女として悪を滅ぼすという矛盾。

 本人も気がつかないうちに情緒不安定になっているのだろう。


 アイリスも『偽聖女』にはあまり触れてほしくないようで、目が少しだけ潤んでいる。

 俺も深入りしすぎたのかもしれない。誰しも話したくない事の一つや二つあるよな。


「嫌な事を思い出させてしまってすまなかった。昔の事に関してはもう無理に聞かない」

「ありがとうございます。そう言っていただけると私も気が楽です。えっと……」

「ロイドだ」

「ロイド様ですね。素敵な名前だと思います。私の事はアイリスと呼んでください。聖女だと意識する必要もありません。普通の女の子アイリス、それが今の私です」

「わかった。じゃあこれからそう呼ぶよ。よろしくなアイリス」

「はい! こうやって名前で呼び合うとなんだかお友達みたいですね、ロイド様。実は私、この国に来て初めての友達がロイド様です」


 つまり俺がアイリスの初めてを奪ってしまったのか。

 すげえいやらしい響きに聞こえてしまう。


「ミネルバに来てどれくらいなんだ?」

「まだ一日目です。諸国を転々としながらようやくここにたどり着いたって感じですね。このミネルバには一週間ほど滞在する予定です」

「へー。諸国ねぇ……」


 隣国のはずなのに諸国を転々とする移動の仕方。それに一週間後には旅立つという妙な発言。

 もしや『刺客』か何かに追われているのか?


 少しだけ気になりはしたが、先ほども約束したように聖女関連には踏み込まない。迷惑になるかもしれないし、俺も面倒事にはできれば巻き込まれたくない。

 一週間という短い期間だが、彼女のお友達として精一杯接していこうと思う。アイリスもそれを望んでいるようだ。


「むむむ……」


 突然、アイリスが顔をしかめて俺の顔をジッと見つめる。


「ロイド様。頬から血が流れてますよ。もしやさっきの一件で怪我をしたんですか?」

「ん? ああ、かすり傷だし、この程度なら放っておいても治る」


 家に帰ったあと鏡を見ながら治癒魔法で治療するつもりだ。

 いまこの場で慌てて治療したらダサくなるので、ちょっとかっこつけて気にしてない感をだす。できる男はこういう細かい事も気にするものだ。「その考え方がそもそもダサい」とルビーの声が聞こえてきたような気もするが、アイツとは絶縁したので無視だ。


 アイリスは数秒ほど考え込んだあと、無言で一歩前に出て俺の頬に手を触れる。

 急に至近距離まで近づいてきたので俺はめちゃくちゃ驚いた。


「今からアナタを治療しますから動かないでくださいね。安心してください、こう見えても治療は得意なんですよ」


 スッと通った鼻筋、穏やかな笑みを浮かべた目元。完成された容姿を持つ彼女が俺の耳元でそう囁いた。

 治療うんぬんよりも、アイリスが目の前にいる事実にドキドキしていた。


 アイリスの手のひらが静かに輝く。

 アイリスの《聖法力》が人肌の熱となって体に伝わってくる。

 頬の痛みが引いていくだけでなく、エメロード神話の聖母エリシアに抱かれているような安心感を覚えた。

 これが《聖法力》による人を癒す力なのだろう。

 神の力をアイリスの手のひらを通して、直に感じ取る事ができた。


「治療は上手くいきました。傷はすっかりとなくなりましたよ。ロイド様に秩序神エメロードのご加護が在らん事を」


 にこやかと口にする定番の台詞。これは慣習となっているようで本人も無意識で言っている可能性が高い。

 アイリスが聖女だったころの面影を感じられた。


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