世界終焉ボタン
古魚
ワタシハマチガエタ
世界が滅んでから、もうじき一年がたつ。
正確に言えば、大統領が自国の国民と世界を天秤にかけ、自国の国民を取った選択をしてから一年がたつ。
たった一つのボタンを押して世界は滅んでしまった。
復讐の連鎖、憎悪の連鎖、人間とはなんと脆いものか。
大統領は毎日のように頭を抱えていた。あの時、もっと別の選択肢があったのではないか? 押すのをもう少し待ってみたら、解決していたのではないか? と。
そして同時に思い出していた、自身が国民へ向けて行った就任演説のことを……。
♦
大勢の国民が見守る中、大統領は演説台に立つ。いくつものマイクを前に、笑顔を振りまきながら話始める
「副大統領、議長、最高裁、元大統領、元副大統領、聖職者、そして国民の皆さん、
今日は瞬間の勝利を祝っているのではなく、自由の祝典を執り行っている。1世紀と4分の3世紀近く前に注目の先達たちが定めたものと同じ荘厳な誓いの言葉を、皆さんと全能の神の前で誓えるからだ」
大統領は国民へと誓っていた。長く続いた戦争の時代は終わった、これからは協力して平和な世を作っていくのだと。
国への忠誠を示すために集まる軍隊は、何も武器を持ち続ける必要はないのだと。
もう、世界が戦火で焼き尽くされることはないのだと、そう誓ったのだ。
「この国に平和を! 世界に平和を! 我々の世代から、新たな時代を始めるのです!」
拍手喝采、称賛歓呼、この演説を見ていた国民たちは、大統領の演説に熱狂した。これまで戦争で多くの人が死んだこの国では『平和』の二文字を渇望していたのだ。
そこからの大統領の政策は目を見張るものがあった。経済、法律、軍備、外交に新たな風を吹かせ、着実に国に改革をもたらした。そんな凄腕大統領、国民は熱狂的なまでに崇め、何をするにも称賛した。
それこそ、狂信的と言ってもおかしくないほどであった。
♦
大統領は、会議中であると言うのにも関わらず、頭を抱えていた。
「大統領、お顔が優れないご様子ですが、大丈夫でしょうか?」
そのせいか、こうして部下に心配されることも、最近多い。
だが、心配されたとしても本音を吐露することはできない。
してしまえば大統領の権威は失墜し、この国の安定に関わる。
「……大丈夫だ、少し疲れているだけだ」
大統領は適当に嘘を告げ、会議の内容に頭を戻した。
「それで、昨日起こったテロの話だったな」
議題は、昨日この国で起こった爆破テロの話だった。
数名のテロリストが、銃砲店で自爆テロを行い、数十名の死傷者を出した。
正直言って、問題なのは死傷者ではなく、ここ最近多発してきているという点であった。
「はい、このような小さなテロが最近増えてきています、町の警備や軍備の拡大を行った方がよいと考えますが?」
口元に髭を生やした男が言う。
「警備は分かるが、何故軍備まで拡大させる必要がある?」
大統領がそう聞くと、男はまるで嘲るかのように笑った、少なくとも大統領にはそのように見えていた。
「もちろん、テロを行った者どもの国に攻め入るため、その国からの攻撃に備えるために決まっているでしょう」
その発言に、大統領は首を振った。
「この期に及んで、まだ戦争をしようと言うのか? つい二ヶ月ほど前に、あらかたの戦争を終わらせたばかりではないか」
無意識のうちに、大統領の言葉は強くなっていた。
大統領自身、あのボタンを押して以来、大きな国と一度、小さな国と何度か戦争を経験した。
どちらの戦争にも勝利したが、戦争の後には何も残らなかった。
荒廃した土地、焼け焦げた山、薙ぎ倒された森林。
親を探す子供、愛する人の死に泣き崩れる人、病に侵された人。
異常なまでに発達した戦争技術は、人間の尊厳さえも破壊する。
そのことを、大統領は分かっていた。
「次の戦争に備える為です、まだまだこの国を敵視する国は多くあります、それらを全て取り除くその日まで、我が国は負けてはならぬのです」
髭を生やした男は、そう力強く説いた。
「大統領も戦争の後を見たでしょう? この国がああなってしまってもよいのですか? 演説時に掲げた、『この国に平和を』は嘘だったのですか?」
その言葉に、大統領の心臓は早鐘を打つ。
この男だって、戦争の悲惨さ、いや、戦後の悲惨さを知っている、だからこそこうして軍拡を訴えるのだ。
この国が平和であるためには、軍備が必要、それは大統領も分かっている。だが、それはあくまでこの国の平和であり、世界の平和ではない。
「……分かった、軍拡と警備の拡大を容認する、好きなようにやってくれ」
「ありがとうございます」
こうして、今日の会議は幕を下ろした。
「また、容認してしまった……」
大統領は、一人自室で頭を抱えていた。
「また私は、世界に火種を振りまいてしまう……嫌だ、そんなの嫌だ……」
嗚咽を零しながら、大統領はそう震えている。
この国の国民は、戦争を経験こそしたが、国の本土が脅かされたことは一度もなかった。だから、口では「平和を!」と叫びながらも、結局の所、自分たちの国が平和ならばそれでいいという考えが強かった。
自国の平和のためなら、他の国がどうなろうと構わない。大多数の国民が、そんな風に考えていた。
だから、国の存命が脅かされるとなれば、国民は大統領に消しかけるのだ「スイッチを押せ」と。そのスイッチを押すことで、戦地で戦う兵の命は救われ、国の平和を守ることもできるからと。
その結果、その後の世界にどんなことが訪れるのかも知らないで……。
一人震えながら泣き続ける大統領のもとに、一人の女性がやってきた。大統領が愛してやまない妻だった。
「あなた……」
夫の怯えた表情と仕草を見て、妻はそっと夫の方に手を置いた。
「また、考え込んでいるの?」
妻の存在に気付いたのか、大統領は涙を拭い、妻に笑いかけた。
「やあ、すまないね、情けない所を見せてしまって」
そんな夫の言葉に、妻は首を振る。
「貴方は、大統領という立場にいる人間なのよ、悲しい事、辛いことがあって当然じゃない。泣きたいときは、泣いた方がいいのよ」
妻はそっと夫の側に座り、語り掛けた。
「大丈夫、町を見渡してみて、貴方を支持する声でいっぱいよ」
妻がカーテンを開けると、夕暮れの町が大統領の視界に飛び込んできた。
町の街灯などには大統領の立ち姿と、選挙公約が描かれた紙が吊るされている。
町のポスターには、大統領の顔と『国の平和を』の一言が書かれている。
「ああ、そう……」
大統領が、妻の言葉に同意しようとしたその時、偶然目に入ったのが、ビルの窓にかかれた、大統領の名前と悪魔の文字。
それだけじゃない、路地の方に目を遣れば、そこには街頭にぶら下がる私の姿を睨みつける子供がいた。
「どうしたの?」
妻の問いに、慌てて大統領は答える。
「ああ、確かに皆私の事を支持してくれているようだな……嬉しいよ……」
消え入りそうな声で、最後にそう付け加えると、妻は嬉しそう笑った。
「あなたは国民みんなから愛される素敵な大統領よ、私もそんな人の妻でいられて、鼻が高いわ」
屈託のない笑顔に、大統領もつられて笑みを零す。
「そうか……なら、これからもずっと、私の側にいてくれ」
「ええ、勿論よ。あなたこそ、私をずっと側に置いておいてね?」
そんな二人の元に、もう一人の家族がやってきた。二人の子供だった。
「ママ! ごはんまだ~?」
「パパおかえり! きょうもえほんよんで!」
「はいはい、今お夕飯作りますからね、それに、あんまりパパに無理言っちゃだめよ」
そう言って妻は、二人の子供を抱きかかえ部屋から出ていく。
妻の足音が遠ざかっていくのを確認すると、大統領は酷く怯えたような表情で窓を閉じ、カーテンを閉める。
真っ暗になった部屋で、大統領は呟いた。
「家族は、せめて家族だけは私の手で守るんだ……何があろうと絶対に……それまでは……」
この笑顔だけは、この天使のような三人の笑顔だけは、守らなくてはいけない。
大統領はそう、心の中で決意していた。
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