ベートーヴェンのとととな《英雄と魔王と幽霊と悲愴な運命》

ひより那

第1話 虚無感のトランスファー

 郊外にある木々に囲まれた参道をひとりの男が歩いていた、枝や葉が奏でる自然の音楽を耳にし、彼の心は久しぶりに感じる緑の優しい匂いに癒された。この場所は昔のまんま、彼は懐古するように見上げた。


「この辺は変わらないな……変わったのは歳をとったくらいか」


 突然、ざわめきが走った。不穏な風と葉擦れの音に、男は心配そうに周囲を見渡した。青空だった空にはいつのまにか不思議な形をした雲に覆われていた。周囲は嵐の予兆のような景観へと変わり男の足を早めさせた。


「ふぅー。やっと着いた」


 目の前にあるのは古びた倉庫。

 この場所は、かつて彼がネットゲーム用に作った制作物が所狭しと置かれている場所である。仲間たちと共に作り上げたフィギュアやジオラマが、まるでパノラマのように広がっていた。


 それはフィギュアジオラマ型MMORPGユグドラシス──

 ネットゲームに飽きた有能なゲーマー集団をひとりの研究者がまとめ上げて開発したMMORPG。

 特殊な素材で作ったジオラマを読み込ませると『世界樹ユグドラシス』に領地が作成される。更にフィギュアを読み込ませれば自キャラや従者をその容姿でクリエイトさせることができる。

 ユグドラシスに潜ればあとは自由。ストーリーを進めるも良し、世界征服を狙うも良し、魅力的なギルドを作るも良し、悪の軍団を作るも良し。なんでも出来る自由度の高いMMORPGであった。

 キャラの基礎能力は制作物の出来栄えに大きく左右されることから、多くのプロ制作者まで生まれた。

 しかし、一世を風靡したユグドラシスも時の流れには逆らえず、新しい流行りものによって徐々に廃れていった──


 彼もまたユグドラシスに青春を捧げたひとり。ギルドメンバーのひとり『ゾンブーラ』から送られてきた招待状を手に倉庫会場に入った。


 □ ■ □


 埃臭い倉庫の中、彼は懐かしのフィギュアを見て回っていた。


「20年振りか。みんな社会人だもんなぁ、忙しくて誰もこなかったりして」


 約束の時間から既に1時間が経過、いまだ人が来る気配はまったく無い。この場所は彼が幼い頃から世話になっていた、研究者をしていた幼馴染の祖父からもらった倉庫でもある。


 机や椅子、そして懐かしの制作物たちが、解散した時のままの姿でそこに残っている。

 彼はゲーミングチェアーに腰を下ろすと、軋む音と共にフワッと白い埃が舞い上がった。彼の周りには、まるで時間が止まったかのような静寂が漂っていた。


「あれほど綺麗にしていた『僕たちの居城』ノルーンザンドッドは今や廃墟か」


 マイキャラクターであった蒼海のフルプレート騎士『ベールド・ウル・スクディー』のフィギュアを手に取ると、彼は細く息を吹きかけて埃を飛ばした。

 彼はゲーム内ではベルディという青年ヒトガタを仮の姿に、領地を治める魔王のひとりとして活動ロールプレイしていた。

 仲間たちと作り上げた領地に思いを馳せ天井を見上げた。剥き出しの鉄骨から吹き上がる風によって舞い上がる塵が、キラキラと輝く様子が彼の視界に映った。


「ゆめゆめさん……魔女っもぐもぐさん……そして……幼馴染くらら……」


 深いため息をついて、ゆっくりと椅子に身を預けた。

 目を閉じ、腕を組むと、過去の思い出が心によみがえってくる。

 病気で弱っていた幼馴染と共にユグドラシスに潜った日々。仲間たちと共に過ごした時間……そして──幼馴染の死。

 その悲しみをみんなで乗り越え、残された9人でユグドラシスの頂点を目指す決意を固めた瞬間を。

 

「懐かしいな」


 どこからともなく小さく、とても小さな音が響いた。


「ロールバック──」


 ◆ ◆ ◇ 


 自然を感じる爽やかな風が吹き抜け、草の揺れる音と澄んだ空気の匂いが漂った。


「ん? なんだこの感じ……ユグドラシスの世界に入り込んだみたいだ」


 彼は驚いた表情で目を開き、周囲を見回した。


「あら? あなた……どこから来たの?」


 彼は安堵の表情で振り返り、女性に声をかけた。「魔女っ娘もぐもぐさん?」と素早く問うた。しかし、彼の期待に反し、目の前に立っていたのは魔女っ娘もぐもぐさんではなかった。


「どうしたの不思議そうな顔をして……こんなところに人が来るなんて珍しいわね」


 違う……魔女っ娘もぐもぐさんじゃない……それに……。


 彼は混乱したが、この女性に見覚えがあった。ユグドラシスで青年ベルディーとして活動していた時に何回か会ったことがある人。ゲーム内で知り合ったルネールという小さな村で生活していたNPC村長の娘だった。


「カリル……さん……?」


 突然ティッシュを差し出されるとつい受け取ってしまう条件反射が口をつかせた。


「何で私の名前を?」


 カリルは怪訝そうな表情を浮かべて考え込んだ。しかし、突然何かを思いついたかのように手を勢い良く叩いて言葉を発した。


「凄いです! もしかしてあなたは何でも見通せる占い師さんですか?」


 彼女の驚くべき発言に、彼はずっこけそうなのを抑え、平静を装って彼女の方を見た。彼は彼女の癖を把握していた。


「そ、そこに……」


 ベルディが指差すと、カリルは顔を赤らめ、照れくさそうに目を落とした。そして、彼女は恥ずかしそうに言った。


「あー。私って何にでも名前を書いちゃうのよね……アハハ……そっそうだ、私の家が近くにあるからご飯でも食べていきなさいよ……えっと……」

「ベルディです……気づいたらこの場所にいて」


 考え込むカリル。思い立ったように口を開いた。


「もしかしてあなた。サムゲン大森林あの森に入ったんじゃないの? この先は獣王の縄張りだから……きっとそうよ。他には何か思い出せないの?」


 ゲーム内でのことなら覚えている。夢か現実か……まさかここはゲームの中? 混乱した頭が出した答えは……


「すいません。名前しか……でも、この辺りの風景は見覚えがあるんです」

「そっか……大丈夫よ。いつかは記憶が戻るって。ほらほら、とりあえず村にいきましょ」


 ベルディはカリルにむぎゅっと手首を掴まれるとそのまま村へと引っ張られるのであった。



◇ ◆ ◇


 ──ルネールはサムゲン大森林で採れた薬草から作ったポーションが有名な村。各国から注文が殺到するほどに高性能なのでその技術を独占しようとする輩も多いが、一子相伝の技術によって精製されることから供給が止まることを危惧した周辺国はこの村を保護していた──


 この村はゲームで何度も訪れた。カリルは村長の孫であり薬草クエストの手掛かりを握る重要人物としてマークしていた。

 薬草クエストとは数多あまたある秘密が解き明かされていない高難度クエストのひとつ。進行するために必要なフラグがいまだに発見されていない。


 自然豊かな土地に建物がポツリポツリ立ち並んでいる。太陽が高い位置で村を照らす中、木造造りの一軒家に案内された。


「ただいまー」


 扉を開くとふんわりと美味しそうな匂いが漂った。

 テーブルには彩り良くカリルの母ガーナの手料理が並べられていた。

 ゲームの中では何回か食べたことはあるが所詮は文字とグラフィック。ディスプレイ越しに見た料理がリアルに目の前にあることに感動を覚えた。


 肉肉しい肉、キレイに盛り付けられたサラダ、キッシュなど豪華とは言えないが一人暮らししてきたベルディにとっては十分なご馳走であった。


「お母さん自慢の料理よ……どうぞ、ベルディ」


 笑顔で手を差し出すカリル。その言葉にベルディは勢いよく料理に手を伸ばした。


 今まで食べたことのない新鮮な料理。カリルとその両親たちの温かさが他界した両親と重なって目頭が熱くなった。


「そんなに美味しかった。そこまで喜んでもらえると嬉しいわね、どんどん食べてね」


 明るい声で料理を勧めるカリルの母ガーナ、反対にカリルの父バリルは浮かない顔をしていた。


「どうしたのお父さん。そんな怖い顔をしていたらベルディがビックリしちゃうわよ」


 バリルは真顔で立ち上がり、コップの水を一気に飲み干した。


「すまんが食事が終わったら村外れの小屋に隠れてくれ。どんなに激しい音がしても絶対に出てきてはダメだ」


 カリルは真っ青な顔で勢いよく立ち上がった。


「お父さんそれって……また」

「ああ、懲りずにまた来たようだ。まぁ村の連中はやられることはないだろうが」

「それならベルディには早く村を出てもらわないと」

「もう遅い、既に取り囲まれている。お前も母さんもいつものところで待機だ」


 思わず食事の手が止まる。これは薬草クエストが進行した時に起こるイベント。普段ならこのまま村を出て終わるか、共に戦って返り討ちにして終わるか。


 村の外でカリルと出会い、村へ案内されるところから始まるこのクエスト。この後は盗賊たちが薬草の秘密を探ろうと襲ってくる。その先に進むためのキーが何なのかいまだに解き明かされていなかった。


 ベルディが気になっていたのは盗賊は必ずPCプレイヤーだけを殺そうとすること……この辺りが進行フラグになっている気がしていた。


「ほらベルディ行くよ」


 カリルに引っ張られて向かった先は村外れにある小さな小屋。薄暗い空、いびきのような風の音が人々の不安を煽っていた。

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