抱擁物語
@umibe
第1話 エッチな悪魔に殺される。
俺は、悪夢を見たので死んでしまった。事故に遭ったのでも、殺されたのでもない。悪夢を見た恐怖のあまり、死んだのである。なんとも情けない死にざまであった。体から魂が抜けた時、蒲団の上で間抜け面を天井に晒し、泡を吹いている俺の骸が見えた。
その悪魔はすこぶる艶めかしかった。髪はバレー・ボール選手ほどのショート・ヘアで、顔は美しく、身長は俺より高く、体型も良かった。女性らしい形だったが、腹などは引き締まっていた。何より、乳房が大きかった。
しかしいくら美しいといっても、表情は悪魔そのものだった。夢の内容はざっとこんな風である。俺は校舎の中で幽霊から逃げ回っている。そうしているうちに、とうとう屋上まで来てしまった。扉を懸命に抑えるが、向こう側が爆発したみたいになった。扉ごと俺は吹き飛ばされたのである。心底びくつきながら、とうとう柵の方まで追い詰められた。そこで俺は、選択を迫られた。悪魔が手に持った斧で殺されるか、策を飛び越えるか。どうせならということで、俺は美人の悪魔に殺されることを選んだ。
目の前には暗闇がある。俺はこれからどこへ向かうのだろうか。高校一年生の春で人生を終えた。彼女は終ぞできなかった。接吻、いや抱き合うぐらいのことはしたかった。手をつなぐだけでは少し味気ない。もう叶わぬ願いなのだから、我がままを思ったって良いだろう。
閻魔様のところへ連れて行かれ、人生を裁かれるに違いない。罪を振り返ってみる。大して良い行いも、悪い行いもしてこなかったことに気付く。中身のない人生であった。両親や妹には申し訳なく思う。まあ、あの阿保面を見れば、悲しみより先に笑いが彼らを襲うであろう。
淡い光が、遠くに現れた。すると、それは広がり、黒闇をすっぽり俺ごと包んだ。
「復讐、したいですか?」
女性の柔らかい声だ。
俺は驚いたものだから、身動きできなかった。
「後ろじゃ! 早う見んかいボケ!」
「ごめんなさいっ」
素早く振り返ると、太った女性が立っていた。厳密には違う。少し浮いていた。
「あ、あなたは」と俺は言った。
「見て分からんのかい。女神です。あなたを新たなる世界に導いて差し上げましょう」女神は杖を乱暴に地面へ突き立てた。
無駄に豪華な杖の装飾がじゃらじゃらうるさく音を鳴らす。
「それで、どうするのです。悪魔に復讐するのかせんのか、選ばんかい。復讐せんのなら地獄へ突き落とします。するのなら、あなたに能力を与え、異世界に転生させます」
「しますよ、そんなこと言われたら」
「ちんたらしとう奴かと思いましたら、案外話が通じますね」
パチン、女神が指を鳴らした。その途端、俺は重くなった。肉体が取り戻されたのである。
「ちなみにおどれの能力は”抱擁”であります」女神の頭上に紐が垂れてきた。女神がそれをひっぱると、頭上からばたんと黒い穴が現れた。「他人が何やらおんどれに危害を加えようとするなら、そいつに抱き着くのです。ほなあばよ!」
掃除機に座れる塵のように、俺はすっぽり黒い穴へ吸い込まれて行った。女神に質問する暇はなかった。抱擁? どんな能力だそれ。具体的な説明が欲しかった。異世界とはどんなところなのだろうか。
俺は上へ吸い込まれているものだと思っていたら、いつの間にか落ちていた。青い空、落ちる感覚。何かに引っ掛かり、それがクッションとなって、着地した。
何かは木であった。俺が元いた世界で見るのと、なんら変わらぬ木である。本当にここは異世界なのだろうか。打った背中を気にしながら立ち上がった。見渡すとここはちょうど林の入り口で、だだっ広い草原も眺められる。
林の方から、かさかさ不穏な音が聞こえる。後ずさりながら、このまま草原へ向け走った方が良いのかと考えていると、現れた。
豹のようであったが、それにしては体躯が大きい。色もカメレオンのように、木の幹や緑の色と一体化している。目だけが獰猛に光り、俺を餌として見ているのがはっきり分かった。
「ひええええ」俺は腰が抜けそうになりながら、草原へ駆けた。
「なにを逃げとんじゃクソガキ。そいつを抱きしめたいと強く願え!」とさっきの女神の声が脳内に響き渡った。
振り返ると、豹のよう化け物は呑気にあくびしている。あれ? 追いかけて来ないぞ。
「早う願え! おんどれ喰われてもよいのか?」また女神の怒声が響いた。
「いやだって、追いかけて来ないですよ」俺は立ち止まって、化け物にお尻ぺんぺんした。
豹は怒りを覚えたようで、こちらに襲い来ようとしている。
「まずいっ。調子に乗ってしまった」俺にはこういうところがある。
女神は抱きしめたいと願えって言っていたな。いや無理だろあんな化け物。誰が抱きしめたがるんだ。と思いはするが、それだと俺は死んでしまう。
抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい。
「おや?」どうしてか、体が軽くなってきたぞ。
今なら六秒以下で五十メートル走れそうだ。じゃあ逃げろっ。そう思い走るが、体は重りを付けられたように重くなった。
「ボケちん。抱き着こうという意志が大切なのです。その意思を捨てればおんどれはただのデクの棒じゃ!」
「な、なるほど。あくまで抱き着くしかないのか」俺は意を決して化け物と向かい合った。
もう、目の前に居る。
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