第3章 負けっぱなしじゃいられない
21:強くて優しいお母さん
◆◆25◆◆
これは夢――懐かしい思い出である。
まだシャーリーがあどけなく今よりも様々なことに興味津々だった頃の出来事だ。
その日はとても澄み渡った青空が広がる。まるで吸い込まれてしまいそうだと感じるほど綺麗であり、そんな空だからか幼いシャーリーはルンルンとした気分で家の庭を探索していた。
ちょっと大人ぶっている姉をからかい、そんな彼女を優しい目で見守っている父親に笑顔を見せ、庭の探索を楽しむ。
見たこともない石ころ、ガラクタ、虫に花、鳥や小動物など様々な発見があり、シャーリーはつい夢中になって庭を駆け巡る。
だが、少し夢中になりすぎたのか気がつけば全く知らない草原に立っていた。
慌てて家族を探すが、当然のことのようにいない。
だからシャーリーは、寂しさのあまりに泣き出してしまった。
『ふえっ、おとうさん、おねえちゃーん……』
いたいけな女の子。帰り道どころか目印となるものすらわからない彼女は、泣きながら当てもなく歩き出す。
それがいかに危険なことなのか、幼いシャーリーにはわからない。だがすぐにそれを身をもって経験することになる。
『ギギィ!』
ひどく歪な鳴き声が聞こえた。身体を縮こまらせながら振り返ると、背丈の大きな草むらがガサガサと揺れている。
シャーリーは身体を震わせつつ見つめると、そこから一体のモンスターが飛び出てきた。
濃い緑色に染まった肌に、ギラついた赤い瞳。手には棍棒を持っている自分と同じぐらいの背丈のゴブリンだ。
戦い慣れた者であればたいした脅威ではない相手。しかし、まだ幼く戦う力なんて持ち合わせていないシャーリーにとってはとても恐ろしい敵だ。
しかも武器を持っている最悪な状況である。
『ギギィッ』
『ひっ』
ゴブリンはシャーリーを見て舌舐めずりをしていた。相手は自分のことを明らかに獲物と見ており、簡単に狩れると思っている。
このままでは攻撃され、もしかしたら殺されるかもしれない。
そんな嫌な未来が予測できる中、シャーリーは後ずさりした。
逃げたい。できるならすぐに逃げ出したい。
だが、彼女はしなかった。もしここで背を向ければゴブリンは飛びかかってくる。なら少しでも時間を稼ぎ、遅らせたほうがいい。
そうお母さんに教えられたからだ。
シャーリーは懸命にゴブリンを睨みつけ、ゆっくり後ろに下がる。ゴブリンはそんな彼女に警戒してか、少し様子をうかがっている。
一定の距離を保ちながら、シャーリーは家まで戻ろうと頑張って進む。しかし、運命とは非常なものである。
『ギギィ!』
『えっ?』
後ろから嫌な声が聞こえた。思わず振り返るとそこには違うゴブリンがいる。
シャーリーは咄嗟に逃げようとした。
だが、それよりも早くゴブリンは彼女の身体を押し倒す。
激しい痛みが全身に走る。思わず顔を歪めていると、一体のゴブリンがシャーリーの前に立った。
その顔は勝ち誇ったものだ。シャーリーはそれを見て、上手く誘導されたことに気づく。
『ギギィ!』
『ギィ!』
『ギギィィ!』
周りはゴブリンだらけ。
助けてくれる人はいない。
逃げ出すことなんて不可能な状況。
圧倒的な絶望がシャーリーに襲いかかる。そんな幼い少女を見て、ゴブリンは笑っていた。
これから起きる愉しい出来事。
彼女にとって悲劇であり、惨劇となる出来事。
だがそんなこと、ゴブリンである自分は知ったこっちゃない。
ゴブリンはシャーリーに近づく。まずはどんなひどいことをしてやろうか、と考えながら。
シャーリーは顔を蒼白にして震えていた。想像できない悲惨な未来を予感して身体を震わせるしかなかった。
そんな少女を見てゴブリンは決める。
まずは頭を叩こう。叩けば心地いい声が響く。もしかしたらいろいろとスッキリするかもしれない。
そう思い、持っていた棍棒を振り上げた。
『それはいけませんよ』
棍棒でシャーリーを叩こうとした瞬間、ゴブリンの視界が縦にずれ始める。何が起きたかわからず振り返ろうとすると、なぜだか倒れてしまった。
ゴブリンは状況が理解できない。それでもどうにか立ち上がろうとしたが、腕に力が入らなかった。
そんなモンスターを覗き込む存在がいた。それは雪のように白い髪を持ち、モンスターの目から見ても神々しく美しい女性だ。
その女性は明確な敵意をゴブリンに向けると、こう告げた。
『ゆっくり死ね』
何が起きたかわからず、ゴブリンは割れた視界を使って周りを見渡す。そこには仲間であるゴブリンの身体が全て真っ二つにされており、事切れている。
何が起きたかわからず、ゴブリンは震えた。モンスターである自分が、人間に震えていた。
思わず逃げ出そうとする。しかし、足に力が入らない。次第に寒気がやってきて意識が朦朧とし始める。
命が尽きる。それがわからないまま、ゴブリンは眠った。
『全く、あれほどお父さんから離れちゃダメって言ったでしょ?』
ゴブリンが事切れた後、女性はシャーリーに呆れながら言葉をかける。するとシャーリーは安心したのか、我慢していた感情が一気にあふれ出た。
すぐに女性へ駆け寄り、勢いのまま抱きつくと大声で泣き出す。
とても怖く、本当に死ぬかもしれないと思った。だからこそ彼女は叫ぶように泣いた。
『うえぇぇぇぇぇ! こわかったよぉー、おかあさぁーん!』
『自業自得でしょ。でも、間に合ってよかった』
お母さんと呼ばれた女性は少女を優しく抱きしめる。
よく頑張ったと褒めながら背中を叩く。
シャーリーにとって最悪な思い出。だが、それはすぐにきっかけとなる思い出となる。
『ホント、よく頑張ったわね。じゃないと間に合わなかったわ』
『おかあさんが、モンスターとはちあわせたら、すぐににげるなっていってくれたから』
『いい子ね、シャーリーは。じゃあ、もう一つ困ったらどうすればいいか教えてあげる』
まだ涙を拭っているシャーリーに母親は優しく微笑みかける。
将来はどうなるかわからない。だが、もし自分と同じ道を進んだ時のことを考えて彼女はこう告げた。
それは大きくなったシャーリーにとって原動力にもなる言葉だ。
『方法は一つじゃない。たくさんある。不正解も正解も、たくさんある。だからたくさん試しなさい』
シャーリーはポカンとしながら母親を見つめる。
そんなシャーリーを見て、母親は優しく微笑んだ。
今はわからないかもしれない。だがこの言葉がいつか役に立つ日が来る。だから母親は、それ以上の真理を口にしなかった。
『さ、帰りましょう』
『うん!』
差し出された手を、シャーリーは繋ぐ。
怖い思いをしたが優しい母親に助けられた。それだけでも彼女にとって最高の思い出だ。
その最高の思い出に、大きなヒントが隠されていることをこの時の彼女はわからなかった。
◆◆26◆◆
薄らとした光が部屋に差し込む。それがだんだん強くなり、眠っていたシャーリーの目を刺激した。
ゆっくりと目を開き、彼女は起き上がる。
何気なく部屋を見渡すとどこか見覚えのある空間が広がっていた。
「やあ、起きたかい?」
まだ冴えていない頭のまま声がした方向に振り返る。するとそこには茶色のスーツを着たダルシオの姿があった。
ダルシオを何となく見つめていると、ドタドタという激しい足音が近づいてくる。
視線を扉へ移すと、そこは乱暴に開き置くからおじさんが現れた。
「大丈夫か、嬢ちゃん!?」
おじさんは勢いのまま身を乗り出してくる。シャーリーはそれに思わず苦笑いを浮かべると、ダルシオが大きなアクビをした。
「僕が診たんだから大丈夫だよ」
「まあ、そうだなんだが。だけど俺ァ心配で心配で――」
「もっと信頼してくれよ~。こう見えてもそこらの医者よりは腕はいいんだからさ~」
「え、えっと、あの、一体何が?」
「あ~、もしかして覚えてない? 君、迷宮の門で倒れてたんだよ~」
ダルシオに言われ、シャーリーは「えっ?」と驚いた声を上げる。
慌てて気絶する前のことを思い出すと、三つ首の黒虎にやられたことを思い出した。
「そうだ、私は黒い霧に……あの、ドロシアさんは!?」
「見なかった。嬢ちゃん一人だけだったよ」
「そ、そんなぁー」
「まあ、生きていただけ儲けもんだよ。ひとまず一週間は安静に――」
「黙ってなんていられないよ! すぐに行かなきゃ!」
シャーリーはすぐに起き上がり、荷物を持って迷宮へ向かおうとする。だがそれをおじさんが止めた。
まだ彼女は全快じゃない。そんな状態で行っては自殺行為だからだ。
「待て嬢ちゃん! いくらなんでもその身体じゃあ無茶だ!」
「ドロシアさんが待ってます。すぐに行かなきゃ!」
「行っても死んじまう。そんなの俺は嫌だぞ!」
おじさんは叫ぶ。だがシャーリーは止まらない。
困り果てているそんな友人を見て、ダルシオはため息を吐いた。
確かに助けにいくなら時間がないかもしれない。しかし、今の状態で行っては命が無駄になる。
なら、と考えてダルシオはこう告げた。
「じゃあ、今の君が迷宮に行ってあの本を助けられるの?」
ダルシオの指摘を受け、シャーリーは動きを止める。
待ち受けているだろう強敵。もしかするとドロシアは今も戦っているかもしれない。
そんな友達を助けに行こうとしているなら、今のシャーリーでは足手まといだ。
「まあ、僕は止めないよ。でも、成したいことがあるならちょっとは考えたほうがいいよ」
「ダルシオ、そんな言い方は――」
「正直、僕は後悔しているよ。せっかく助けたのにその命を無駄にする君を見てさ」
「ダルシオッ!」
「君、その命は自分だけのものだと思っているでしょ? それは違うからね。もしまた命を投げ捨てるようなことしたら、今度は助けないから」
とても厳しい言葉だ。だが、おかげでシャーリーは止まれた。
冷静になることもでき、なったからこそダルシオの厳しい言葉の意味を理解する。
振り返ることもせず出ていくダルシオを、シャーリーは呼び止めようとした。しかし、どう言葉をかければいいかわからず、ただ背中を見送ってしまう。
「ったく、あいつはぁ」
「ううん、いいよ。言っていること理解したから」
「だけどなー」
「いいよ。ダルシオさんの言う通り、今のまま迷宮に入ったら何もかも無駄になっちゃう。ちょっと考えるね」
落ち込んでいるシャーリーに、おじさんは頭を抱えた。
確かにダルシオの言葉は正しい。なぜダルシオがあんな言葉を言ったのかも知っている。
だが、言い方というものがある。それを考えずに感情的になったダルシオと、それを受け入れたシャーリーになんとも言えないモヤモヤを抱いた。
ひとまずおじさんはシャーリーを一人にさせる。させるが気が気でない状態になった。
「参ったもんだ」
家から出ていったダルシオの様子を見よう。そう思い、移動しようとしたその時だった。
「ちょっといい?」
綺麗な声が響いた。
おじさんは振り返ると、そこには一匹のキツネがいる。雪のように白い毛皮で覆われており、頭には星を模った痣があった。
そんな存在が「ここにシャーリーって子がいる?」と訊ねる
おじさんは思わず警戒していると、白いキツネがこう言い放った。
「無理もないか。ま、いいけど。彼女宛の手紙を預かってるから、渡してちょうだい」
「手紙だと?」
「ああ。ライザからって言えばわかるよ」
白いキツネは前足を使ってパン、と器用に叩く。その音が響くといつの間にかおじさんの手に一通の手紙があった。
おじさんは思いもしないことに目を大きくする。
思わず白いキツネに顔を向けるが、そこにはいたはずの姿はなかった。
『ちゃんと届けてくれよ』
どこからか声が響く。おじさんは白いキツネを探すが、見つけることができなかった。
手にした手紙をおじさんは見つめ、迷う。もしかしたらとんでもないことになるかもしれない。だが、シャーリーの突破口になる可能性がある。
「まあ、減るもんじゃねーしな」
おじさんは手紙を渡すことを決意する。
だがおじさんはこの時、知るよしもない。
これが運命を大きく分ける選択だったということを。
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