第2話 001 宇宙船地球号2021(2)

「どうして何もアナウンスがなかったんですか?」

「わからない、わからないが……それにしても、さっきの死体は何であんなところに……」


 その女の奥にいた男女二人組が不安げな表情で話し合っている。

 彼らの声は若干震えていた。


 それも当然だろう。

 滅亡を迎えた地球から人類が移住可能な惑星アナスタシアへの航行のため、全人類と全動植物が搭乗するこの宇宙船地球号は、安全には十分すぎるほどの設計をされており、このような地震に近い揺れが起こることなど誰も想定していない。

 また、あの死体が殺されたのか事故死なのかは不明だが、あのような形でそれが放置されていることなど、疫病蔓延防止対策が徹底されているこの船でまずありえることではなかった。


「状況を整理しましょう……私は渋沢絵麻――絵麻と呼んでね」

 ざわめきが残る中、俺の目の前にいた女がその場にいる全員に声をかけた。


 絵麻と名乗ったその女の髪の毛はワンレングスに若干茶髪がかっていて、目の左側が薄っすらと青みがさしていた。肌は透き通るような白で、背はそれほど高くないが手足はすらりと長い。彼女は俺のような純粋な日本人ではないのかもしれない。

 その絵麻が次に俺の顔へと視線を移す。


「あ、ああ……俺は上杉圭介だ」

「圭介……ね」

 メモに書くかのように絵麻はそう述べた。


 彼女が俺の名を呼んだことは親しみを込めたわけでもなんでもない。ただ俺が所属する日本支部IT部署では下の名前で呼び合うような決まりになっているだけだ。


「竜宮城美雪です。よろしくお願いします」

 いつの間にか俺の隣に来ていた女が自らそう名乗った。


 先ほどの男女二人組のうちの女の方だ。

 身長は絵麻よりかなり低く、ポニーテールに童顔。おそらく俺と同い年くらいなのだろうが、胸がかなりあることを除けば、ほとんどその顔は子供と表現した方が良いのかもしれない。


「漆原洋平だ、よろしくな」

 残りの男が言う。


 端正な顔立ちが特徴的で、髪の毛は若干パーマがかっており、その長さは肩の先まであった。

 ツーブロック、中肉中背という俺のような極一般的な日本人体型ではなく、トーテムポールのように高身長でスラっとしたスタイルのいい男だ。


「これで全員のようね」

 絵麻が総括するかのように言った。


 俺が入室時にちらっと確認した際もう少し人がいたような気もしたが、案外その人数は少なかったようだ。


「今のところおかしいところが三つあるの」

 と続けながら、彼女はテーブルに置かれたノートパソコンの操作を始めた。


 その後絵麻が話した内容によると、死体を発見した後、次に起こった地震の後、俺たちに呼びかける前、と計三回IT本部に連絡を取ったが、未だ誰も連絡を返してこない。また、日本支部の警備隊――旧自衛隊と旧警察が統合された組織――に通報したが、これも応答がなかった。最後に支部の役所にも連絡したがこれも連絡つかず。

 つまり、この日本支部を統治しているといっても過言ではない三組織と音信不通であるとのことだった。


「とりあえず、ここから最寄りの警備隊交番に全員で行きましょう。あの死体の件もあるし、ひとりで残っていたら良からぬ疑いをかけられてしまう可能性があるわ」

 

 あの状況下で、よくそんな行動ができたな、と俺が深く感嘆しているのをよそに、絵麻は言う。

 俺も残りのふたりもこれに反対する理由はまったくない。

 賛同の言葉を述べるまでもなく、全員が通路へ出ようと身体を部屋の出口の方角へと振り向けた。


 その次の瞬間、ドアが勝手に開いた。軽い風圧が部屋の中から外へと吹き抜ける。俺たちは何をするでもなく反射的にその場に立ち止まった。


 ドアから入ってきたのは先ほどの宇宙服を着た男だった。

 相変わらず宇宙服の全機能は停止しており、どう考えても動ける状態ではないはずだが、男は能動的に浮いていた体を部屋の中へと着地させた。


 ヘルメットのフロントガラスから見える顔はまだ血だらけだった。皮膚は先ほどのミイラ状態から若干ふっくらとしており、頬や額などのところどころが未だ欠損していた。


「気をつけて。様子がおかしいわ。単に死体が立っているというだけじゃない」

 絵麻の声が俺の背後から聞こえた。


 先頭にいた俺は迷いもなくその声に従い、背後にあったスペースへと後ずさった。


 その俺の身体の動作を合図とするかのように男は腕を振り上げた。

 メキメキという音がしたかと思うと、すぐに俺の身体は後ろへと吹き飛ばされた。

 壁に強く腰を打ちつけ、図らずもその場にどさりと倒れ込む。

 それを見たせいか、美雪がつんざめくような悲鳴をあげた。


 まだ痛みが頭に残っているがその恐怖に怯えた声を聴いた俺は、部屋に響き渡る音の余韻に反応するかのように立ち上がった。

 足はかなり震えているが、ダメージはそこまで深刻ではなさそうだ。


「絵麻、逃げろ」

 続けざまに俺は叫んだ。


 見ると男は絵麻に覆いかぶさるように大きく両手を広げていた。

 すでに洋平が男へ体当たりをしようと長い足を前へと踏み出しているが、若干の距離がありその救助が間に合わないことは遠目からでもわかった。

 

 もう駄目だ、とこの様子を見た俺は思った。

 だが、俺の悲惨な想像に反し絵麻は寸前のところで器用にもその男の攻撃をかわし、何をどうやったのかはまったくわからないが、男の大きな身体をそのまま一回転させ床へと叩きつけた。


「逃げるわよ」

 絵麻は続けて言う。


 行動はゆっくりながらも、あまりダメージを負った素振りもなく、その宇宙服を着た男がその場で立ち上がろうとしていたからだ。

 俺、美雪、洋平の三人は彼女の呼びかけに頷くこともなく、部屋の出口へと向かった彼女の背中を追いかけ、その部屋の先にある通路側へと走り出した。

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