其の七 俺、困る。

 奏ダディ、つまり兜さんが去っていくと、後に続くかと思われた執事兼運転手の井川さんは、以外にも主人に付いて行く事はせず俺のところに戻ってきた。

 執事としての仕事はいいのだろうか。

 その点気になったので、聞いてみた。


「あの、井川さん? 付いて行かなくても良いんですか?」

「ご心配ありがとうございます、トロン様。しかしながら、必ずしも執事は主の傍に居なければいけないという決まりはございません」

「そうなんですか?」

「はい。むしろ『主の居ない時にどれだけ主の期待に応えられるか』が、プロの執事としての腕の見せ所なのです」

「はー、そうなんですか。執事の世界にも色々とあるんですね」


 執事って大変そうですね。

 でも、綿貫家の事とか、この家の敷地、エトセトラ、について喋る時の井川さんはなぜだかとっても活き活きとしてるんだよな。

 執事の仕事も、案外悪くないのかも知れない。

 俺は人の下に付くのは苦手なんだけど、井川さんや田光さんのように、『ザ・人の下に付く仕事』をしている人にしか分からない何かがあるんだろうなぁ。

 やりたい事、好きな事は人によって違うから、仕事に対する価値観、仕事の意欲も違うし、仕事の向き不向きだって、当然違う。

 その中から、自分のやりたい、好きな仕事を見つけるのが重要であり、それができなくても、今の仕事を好きになる、楽しむ努力が必要だ。

 と、親父が言っていたような、言っていなかったような。

 なんにせよ、その意見には同意なので、自分も自分の身の丈にあった仕事を見つけたいと思います。

 で、俺にあった仕事っていったい何なんだろうか、この世界で生きていくのに、俺は何を目標にしたらいいのだろうか。

 そこまで考えた時、懐中時計を確認した井川さんが口を開いた。

 どうでもいいが身に付けているアイテムがどれもこれも趣のある、深みのあるデザインで本当に格好いい。

 この屋敷の男性、みんな渋くて格好いいのに俺だけ浮いてないか?


「申し訳ありませんが、トロン様。私はこれで失礼します。どうか、ごゆっくり」

「あ、はい。おっけーです」


 井川さんは、俺に一礼した後、兜さんとは逆の方向、つまり屋敷の方向に歩いて行った。

 さっき言っていたように、主人の期待に応えるのだろうか。

 執事のお仕事、ご苦労様です。




 取り残された俺は特に行く当てもなく、当初の予定通り、歩いてお屋敷見学に行くことにした。

 歩きながら、さっき考えてたことの続きを考える。

 ………自分に合った仕事を見つけるには、自分そのものを見つめなおす必要があるだろう。

 自分を見つめなおすには、客観的に見た自分を自分の中に取り入れるのが良いと思う。

 自分で自分を客観的に見るのは難しい。

 自分で見るのが難しいのならば、他人に見てもらえば良い。

 結局のところ、この世は一人では生きていけないのだろうか。

 人付き合いが苦手な俺に言わせれば、『ふっ、この世も生き辛くなったものだ』という感じか。

 ………冗談抜きで辛くなってきた。

 考えてみれば、この世界に来て知り合いなんてものも居なければ当然家族もいない。

 奏は仲良くしてくれるだろうしビズも交流してくれそうだが、果たして俺はこの世界に馴染めるのだろうか。

 って言うか、自分で考えた内容で、自分が悲しくなるって、俺、大丈夫か?

 自分で自分がちょっと悲しくなる。

 あくまでちょっとな、ちょっと。




 屋敷の中は見た目相応に広く、むしろ見た目よりも少しばかり広く感じる。

 俺が今いるこのリビング的な部屋には、やたら高そうな壺、置物、絵画、そしてじゅうたん。

 置いてあるすべての物が『お金持ちしか手が出せませんよオーラ』を出していて、俺みたいな一般家庭の長男には、遠巻きから眺めているのが精いっぱいだった。

 兄弟姉妹が上にいた記憶はないので、恐らく長男でいいはずだ。

 これまた高そうな椅子を引いてしゃがみ、この椅子の猫脚の曲がり具合を観察している俺の耳に、どこからかオカリナの音が入ってきた。


『どうせ誰かのリハーサルか何かだろう』


 この家のホールの存在を思い出し、こう推理した。

 推理と呼べるほど大げさな物ではないにせよ、あながち間違ってもいないだろう。

 というか、俺の所有物でもないこの家で、オカリナを吹いているのが、近所の専業主婦だろうが、いたずら好きの小学生だろうが、逆立ちをしたラクダだろうが、連続殺人犯だろうが誰だろうが俺には何の関係も無いのである。

 ………いや、無い事はないか。

 一晩泊めてもらった訳だし。

 その恩人がいる訳だし。

 もし仮に連続殺人犯がいたとしたら、そいつが奏やその他に襲い掛かったとしたら。

 またしても自分の考えた内容で不安感をあおられた俺は、念のためホールへと向かうのであった。




 音の方向に進むと、どうやら殺人犯はホールとは別の場所にいるらしい事が分かった。

 音は花の園の方向から聞こえてくる。

 咲き乱れる花の中、オカリナを片手で持って演奏し、血に濡れるナイフをもう片方の手に携えている殺人犯が、果たしてこの世に何人いるだろうか。

 そんな妄想をしながら音の方向へと急ぐと、程なく音源にたどり着いた。

 犯人がいたのは、東の花壇。

 うわさに聞く巨大花時計、その中心、つまり短針と長針が固定されている場所で、オカリナを手に持って口に密着させ、美しいメロディを奏でるうら若き女性が一人。

 オカリナを吹いている人って現実であんまり見ないな、とか思いつつ、長針の指す場所から中心へ辿り着こうと、その場所を目指して進む。

 女性はかなり集中しているらしく、一向に俺の存在に気が付かない。

 別に良いんだけどね? 俺の影が薄い訳じゃないと信じているから。

 今は大体10時ちょうど。

 花時計のある広場への入り口は、時計で言うと、6時の方角にある。

 位置的に、ちょうど正反対の場所にあるので、時計という物の性質上、右、つまり3時の場所を通りながら、移動する目的地を目指す。

 にしても、この花時計、でかすぎだろ。

 自分でやったことはないけど、プラチナ版のハクタイジムのギミックかよ。




 程なくして………いや、程なくはない、結構程はあった。

 俺が、3時の場所にやっとの思いで辿り着いたとき、ちょうど長針が15分の位置に来たんだけど。

 俺の脚が遅すぎるとか、体力が無さすぎるとか、そーいう事は無い。

 ………はずだ、きっと、たぶん、おそらくは………というか………そうだと願いたい………


 というか、俺今日はなんかすごくネガティブだな。

 調子に乗ったことを考えたりマイナス思考になったりと、我ながらキャラが全然立ってなくて泣けてくる。

 と自分で言ってしまうところがダメなんだろうけど、うん。

 分かってはいつつも、俺はこういうマイナス思考だか、マイナスイオンだか何だか知らないけど、なんかそういうのにハマると結構引きずるタイプなんだよなぁ。

 ま、前を、前を見て生きるしかないんじゃないかなぁ、とは常日頃戒めているのだけど。


 と、そんなことを考えてる間に、俺が向かっていた花時計の中心、まるで玉座のようにたたずむ一つの西洋風の椅子。

 その上にひっそりと………いや、ひっそりとではないか、音を鳴らしてる訳だし。

 かと言って、『騒々しい』かと言うと、そうではなく、『聞こえないほど音が小さい』こともない。

 適当に、『耳に心地よい』とでも表現しようか。

 あ、あくまで、適切かつ妥当、の意味であると補足しておこう、こういうところで思わぬ炎上が始まるのが昨今だ。

 おっと、話が脱線したな、元に戻そう。

 で、そんな高級そうな椅子に座り、オカリナやハーモニカ、さらにはトランペットまで、まぁとにかく色んな楽器を『耳に心地よい』感じで吹き鳴らしている女性が一人。

 一歩、また一歩と長針を踏みしめて近寄ると、さすがにこっちに気付いたらしい。


 (………俺と相手の距離、残すところ0.5メートル、つまり50センチの位置まで近づいた時に気付かれたか)


 でもって、俺がさらに近寄ると、こっちを向いて一瞬止まる。

 ………え? え、何?

 全く心当たりのない俺は、どうしたものかと立ち尽くす。

 大丈夫かな、いや考えてみれば、相手にとっては昨日までこの屋敷に居なかった妖怪が音を立てずに忍び寄ってきていたわけだ、警戒するのが普通だし、寧ろしないと今後が心配だ。


「おーい、おーい、おーい」


 と言いながら、相手の目の前で手のひらを上下させる。

 ボーっとしている人に対してのコミュニケーションを図る一発目は、大抵こんなもんじゃないだろうか。

 しかしながら、全く反応がございません、これはいったいどういうことだろう。

 まあいい、次の手だ。


「おぉーい、おおぉぉーーいぃ!」


 先ほどの動きを、動きを大きく、そして声も大きくしてリプレイする。

 これでもかというほど繰り返しても、全然動かない。

 さて、面倒事になる予感。

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