第18話 アイシテルゲーム
麗かな月曜日。屋上開放日に恋人の友里とその親友の高岡が、屋上でお弁当を食べることを知っていた駒井優は、取り巻きの目を盗んで屋上へやってきた。一学年下の村瀬が、友里の傍に座っていることに気付き、優は眉をしかめる。村瀬は友里と優が付き合っていることを知りながら、友里に片思いをしている。
「あれっ、何だ駒井さんも来たのか」
村瀬は、あっけらかんと優に友里の隣の席を譲った。優は少しだけ、申し訳ない気持ちになったが、当然の権利とばかりに友里の隣に腰かけると、友里がとろんとした笑顔で、優を出迎え、お弁当を渡してくれた。それからは、友里しか目に入らず、声を仕草を楽しみながら、食事を味わうという至福の時間に身をゆだねた。
「そうだ、駒井さん、愛してるゲームって知ってます?知ってますよね、さんざんやらされてそう」
村瀬の一言に現実に引き戻された優は、同級生の女子達に「愛してる」と言って、照れたほうが負けというゲームを持ち掛けられたことを一緒に思い出した。優が「愛している」と言えば、勝手に歓声をあげて終わってしまうので、優にはあまり楽しいものではなかった。
「友里さん以外に、簡単に愛してるとか、言っちゃだめですよ、駒井さん!じゃ、やってみましょ~!」
「そういえば村瀬は、衣替えはしないの?」
6月の第一週だった。黒のパーカーを、制服の上に羽織っている村瀬に優は涼しい顔で言った。
(友里ちゃんに軽々しく言うわけない)
そんな思いを内包しながら、村瀬から視線をそらした。
「中のシャツももう半袖に…!って話題そらさないで下さいよ!」
村瀬が大きな声を出した。村瀬と同学年の高岡が、呆れたように眉をしかめ、村瀬をキッと睨んだ。
「村瀬、あんまりふざけてると、駒井優に社会的に抹殺されるわよ」
(しないよ)という気持ちを込めて、なにか誤解が生じている高岡の中の優の姿に、優は高岡の名前を呼んだが、高岡が優に目線を合わせることはなかった。優は高岡に嫌われている。分が悪いと思った村瀬は、唇をとがらせて、話題に参加しなかった友里へ矛先を向けた。
「でも友里さんはな~、もっと散々すげえこと駒井さんに言ってそうなんですよね、今更アイシテルとか、余裕そうで。んん、ま、いっか。じゃあ友里さん、駒井さんにぶちかましてくださいよ!」
村瀬の言葉に、優は屋上の地面を眺めた。(遊びで、簡単に、「優ちゃん愛してる♡」と言いそうで)恋人の友里はポジティブでとても明るいが、ワルノリをするところがある。優は、そう思いながら、友里を見ると、全身を真っ赤に染めた友里を見つけ、言葉を失った。
「あのっあれ、ちょっと……待って、優ちゃんにっておもったらっ」
しどろもどろにつげる友里に、優も頬を染めた。
(本当に?)
戸惑っている優を、高岡が嫌そうに眺めていることに気付いて、優は慌てて気持ちを立て直すと、村瀬がニマニマと友里を眺めていることに気付いた。
「えっろ」と唇が動く前に「みるな」という気持ちを込めて、友里を自分の薄い胸に抱きしめた。友里はうっすらと汗をかいていて、まるで、優に口づけをされた時のようにとろんと溶けていて、優は、そんな友里を自分以外には見せたくないと思った。
優はそっと友里の柔らかなポニーテールを撫でた。
「いいよ、無理しなくて。ふたりだけのときに、ね?」
「んむ」
友里が唸る様に、優の胸で頷き、照れを分散させるように制服の胸リボンをツンツンと引っ張った。
「独占欲こわ」高岡の呻きは、優に少しだけ刺さった。
その夜。
優が部屋に戻ると、友里がキチンとベッドメイキングされたベッドの前に立っていて、優をそこに座るよう促した。優は、(また何か思いついたのかな)と突拍子もない恋人の仕草に慣れていたので、おとなしくそこに座った。すると、友里は優の膝を跨ぐように座り、対面になった。
「優ちゃん」
「うん」
優の頬に小さな友里の手が触れる。鼻をツンと当てて、友里が意を決したような顔をしている。
(……昼間の、愛してるゲームかな)優は思って、友里の唇をふさいだ。
(その口から、遊びで愛してるなんて聞きたくない)唇の角度を変える時に「あいしてる」と呟くと、友里は「んう」と小さく喘いだ。そしてしばらく唇を自由にさせていたというのに、突然優の肩をガッとつかんだ。
「ちょっとまって!」
優が「?」と思っているうちに、自分の太ももに優の腕を挟み込んだ。そして、グッと乗っかる。優は友里の柔らかな太ももと自分の太ももの間に、腕を拘束された。友里を見上げると、【ふんふん】と鼻で息をしている。
「優ちゃんが触るとその、アレだから、話し合いが終わるまで封印です!」
友里の太ももが七分袖から出た生身の優の腕にしっとりと吸い付くようで、(封印……というけど逆に違う扉が開きそう)と絶対に口に出せないことを優は思った。
グイと手を持ち上げてしまえば、友里の封印など簡単に解ける。けれど、優はその甘い拘束をほどく気持ちになれなかった。
いつもなら友里の顔が真正面だったが、今日は、豊満な友里の胸が真正面にあり、思わずそこに口づけをした。
「!」
ハッとして目を開くと、淑女だと思われていることに気付く。
「ごめん、はしたないことを」
「お口も封印しなきゃだ!」
(どうやって話し合うの)と思いながら、体を使うとしたら、唇の封印などひとつしかないなと優は思った。
「優ちゃんもしかして、わかってて邪魔してる!?」
友里に叫ばれ、優はハアとため息を吐いた。(観念するか)と心で想う。
「昼間の、愛してるゲームの件でしょ?」
「そう!」
友里の大きく元気な声にげんなりとする。友里は昔から言い出したらきりがない。
「言わなくても、友里ちゃんのきもちはわかってるから大丈夫。それより、ふたりきりの時に別の人の話題をだすのって」
言ってから、村瀬に対して嫉妬めいた事を言っていることに気付き、優は言葉を切り上げた。
「ごめん、独占欲が過ぎるね、また高岡ちゃんに叱られちゃう。やるって約束したものね、友里ちゃんからどうぞ」
「……」
友里のふとももに挟まれたままの腕を感じながら、あっさりと「愛してる」と言われると思っていた優は驚いた。友里が履いている、猫のものとも虎のものともとれる肉球付きのもこもこのルームシューズが、視界の端でうごめく。困ったように足先をぶらぶらしているようだ。
「ゲームで言おうとした時にね、優ちゃんのこといっぱいかんがえたらいえなくなっちゃったの、ごめんね」
(愛してるだけじゃないのか)優は、友里を見つめた。顔を覆って、照れながら、友里は言葉を続ける。
「好きなところしかない。淑女なとこはもちろん、小さなころから、世界一カワイイ!」
「淑女じゃないよ」
「そんな人が今、わたしを好きで、恋人なんだってわぁってなって!」
(もしかして、ルールをしらない?)優が思って、友里の言葉を遮ろうとしたが、友里は強い意思で優を掴んだ。
「ううん、聞いて!冷静に見えて落ち込みすぎるとこも愛おしいし、独占欲を見せた自分にガッカリしたり、遊びで愛してるがいえないとこも大好き」
「!」
優は、友里がつらつらと続ける「告白」を停止することをあきらめた。ルール違反だとはわかっているが、きっと友里は優が「あとで」と言ったお昼休みからずっと、優の為に言葉を考えて、優が喜ぶことだけを考えて、ネットなどで検索してしまったら自分の言葉ではなくなるとおもったのだろう。
(そういうとこが好きだ)
優は、友里に愛されていることにジンと胸が暖かくなった。
そして、遊びで言ってしまうだろうと思っていたことを恥じた。友里は友里なりに、優への気持ちを真摯に考えていた。
しかし、ほの暗い波が、足に絡むような気持ちが、うっすらと漂う。
優は、友里の傍にいたいだけの独善的な自分の傍ではなく、自分以外の幸せに気付いてしまわないかと不安になる。
(「言葉にしなくてもわかる」なんて、裏を返せば、自分の見たいものだけをみたがっているだけだ)
優はそう思い、深い海に重く沈んでいくような気持ちになった。
「情けない所しかないって思ってそうなとこも好き!」
「う」
的確に当てられて、優は力が抜けて友里の胸に沈んだ。
「半分悪口だな」
「好きなとこだよ!?」
慌てたように友里が言う。
優は、柔らかな友里の肢体にいる資格がない気がして、顔をあげると、蜂蜜色の友里の瞳がくるりと輝いた。いつまでも見つめていたいが、もしも、手離さねばならない出来事が起こるのなら、聞いておいた方がいいのではないかと思った。
(たとえ遊びでも)
友里は、優の襟足を柔らかく撫でながら抱きしめるように優の肩に手を回し、背筋を伸ばした。
「優ちゃんは言わなくてもわかるかもだけど、わたしが誰かに促されたり、ふざけているように見えても、いつだって本当だって信じててね」
「……」
「あいしてる」
泣きそうな顔で言う友里に、優は言葉を失った。それまでの重く沈んだ思考が一瞬で消え去り、辺り一面が真っ白になったようで、なにも答えられない。ただ、(言わなくてもわかるなんて、うそだ)という気持ちだけが、胸にじわじわと広がるのが分かった。友里の声で、初めて聞いた気がした。
じわじわと友里の顔が、真っ赤になって行く。そして優に飛びつくように抱き着いた。
「だめだ!!!照れちゃって!も一回やらせて!!」
ぶんぶんと優の上で飛び跳ねる友里に、優もつられて頬が赤くなっていく。人は声から忘れ、匂いを最後まで覚えているという。しかし、きっと優は何度でもこの日の友里の声を、仕草を、思い出すと思った。遊びから始まったとはいえ、友里にとっては、遊びではない。真剣で、素面で、心からの想いだ。いつか終わりが来ても、確かにこの日、ここに想いがあったことが、心に刻まれた。優はじわじわと、言わなくてもわかるとうそぶいていた自分を恥じた。
(どれだけ好きなんだ)
言葉に出すことで初めてわかることもあると気付いた。友里からの「愛している」が、こんなに嬉しいと、思ってもみなかったのだ。
(言葉一つで、頭が真っ白になるなんて)
それまでの重苦しい気持ちが、消え去り、友里色に染まったように辺りが明るくなっているのがわかり、気恥ずかしいような、敬虔な気持ちになる。まるで友里が神さまで、信仰が正しかったのだと神の啓示を受けた信者はこんな気持ちだったのかもしれないと、優は自分自身に(どれだけ)ともう一度思った。
「だめ、一日一回が、限界」
絞り出すような小さな声は、ぴょんぴょんと優の膝の上で照れを吹き飛ばすように跳ねる友里に届いたのかわからなかった。
「優ちゃんも照れてるから、ひきわけってこと?」
「うん、そうだね。もう……。友里ちゃん、このルールはね」
優が汗をかいた前髪を整えながら滾々とルールの説明をする。愛している以外のセリフは言ってはいけないことを知り、友里はよけいに頬を赤らめた。
「他の人に、しないで」
優が言葉を添えると、照れたままの友里が、こくこくと頷いた。
「わたしも、もうほかの人に言わないから。友里ちゃんだけに渡す言葉にするね」
「……べ」
(別にいいのにって言おうとしたな?)
優は幼馴染の直感で、友里をじっと見たが、その言葉を飲み込んだようだったのでホッとした。
「友里ちゃんだけだよ」
「……う、うん」
「いや?」
「ううん、あのね、簡単にその言葉はいつでも使っちゃうから、優ちゃんにいうときは、可愛い!とか大好き!とか好きの最上級を全部のせの、真面目な感情で、別なんだよっていいたかったの!」
友里が言う。優は、少しだけ考えて、「なるほど」と言った。
「じゃあ、友里ちゃんがふざけて言ってても、わたしだけには、感情がちがうってこと?」
「そう!!」
うまく言ったものだと思った。これで、友里は愛しているを振りまけるし、優の心持ひとつにされてしまった。
優はじっと友里を見た。
「同じだね」
「ん?」
「わたしも、いつでも、友里ちゃんだけが特別」
友里の頬に、擦りついた。お互いに、体を預け合い、見つめ合う。
「愛してる」
優が囁いて、唇の先だけで、友里の頬に口づけると、友里は真っ赤になった。
「……は、はずかしいかも~~!!」
意味が伝わったようで、優はニコリとほほ笑んだ。
「こんなふうに拘束するのは、恥ずかしくないのに?」
優は太ももの下の腕をちらりと見た後、手のひらを返して、友里の太ももをつうっと指先でなぞった。友里はようやく自分が行っていた行為が、とてもはしたないことに気付いて、ビクンと体を硬直させると、瞳をウルウルとにじませた。
:::::::::
「駒井さん!昨晩はおたのしみでしたね?!」
開幕下品な言葉に、優は美しい眉間をゆがませた。
「愛してるゲームで盛り上がったんでしょう!?俺が言い出したおかげで!ほんの少しでいいから解説してくださいよう」
優が、その要求は友里の痴態を知りたいと言っていると気付いて、漆黒の瞳を深く濁らせた。見ると村瀬のパーカーが半袖になっている。
「衣替えしたんだ」
「そう、昨日言われてそういや暑いなって…!ってまた話題変えないで下さい!」
「すなお」
はっとして噴きだす優に、村瀬は唇をへの字にした。
「まあ……お礼を言っておくよ。友里ちゃんもわたしも、ゲームに参加したって、言葉の意味が違うからね」
「え!?なにそれ意味深、えろ」
「えろくない」
ぶうぶうという村瀬を置いて、優はくすっと笑った。梅雨はもうすぐ、しかし今日も快晴な一日だった。
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