名も過去も捨てて

 ◇


 目を開くと、私はまた木々に囲まれていた。緑の香りが鼻をくすぐる。

 視界には木々や花々、蝶に小動物。私に条件を突き付けてきた耳長エルフの女性。


 ……ソラくんとリコットちゃんが居ない。



「二人ならもう帰したわよ?」



 何を考えていたのか当てられたよう。

 顔に出ていたのか。

 深い深い緑色の瞳で見つめられると吸い込まれそうで、衣服を纏っている事さえ意味の無いように思えてくる。



「とても大切な友人のようだったから裏切ることは無いと思ってね。安心なさい。はちゃんと目覚めたわ」



 まただ。

 何もかも見透かされているような態度が癪に障る。

 けれど、こんなことでイライラしていては……。



「あなた、名前は何と言ったかしら?」



 心が読まれているわけではないらしい。

 本当に読めるのなら、名乗らなくとも判るはずだから。


 ……判った上で聞くような性格が悪い者である可能性は否定できないけど、ここでそんなことを探っていても仕方がない。



「オ-クルオード・ビブリオテーカ、です」


「長いわね……」


「え?」



 反応から初耳であるらしい。

 ひっそりと安堵する。


 でも名前聞いておいて長いって……。

 眉間に皺を寄せ真剣な表情を浮かべる耳長の女性。

 癖なのか、長い髪をひと掴みだけ手にしては毛先をくるくると指に絡めてもてあそんでいる。



「私たちが守護する樹人トレント様は話すのがとーってもゆっくりなの。長ったらしい名前なんて呼ばせられないわ。そうね……。オークルオードだから、オーが二回……オーツーでどうかしら」


「オーツー? 名前ですか?」


「そうよ。全てを捨ててきたのだから、いっそ名前も捨てたらいいのよ」


「はぁ……」



 名案、とばかりに押し付けられた。

 心機一転なわけだけど、いまいち心が躍らなかった。

 名前さえも地味になるなんて……。


 いえ、地味なんてもんじゃないわ、ダサい。


 けれど……。


 誰とも比べなくていい、自然の中に生きるのだからどうでもいいことだよね。



「わかりました。オーツーですね。それで、貴女は……」


「チトセよ。千歳チトセ白緑ビャクロク。ちーさまとお呼びなさい」



 名乗ると千歳緑ちとせみどりの瞳を左だけ瞬くウインク



「はぁ……」


「さぁ、いらっしゃいオーツー。樹人トレント様に挨拶よ」


「そのトレントさまって、どこにいらっしゃるんですか?」


「何を言ってるの? 目の前にいるじゃない」



 不思議そうに言う耳長……もといちーさま。



「目の前?」


「ずーーーーっと上を見上げてごらんなさい」



 ただ森が広がっているようにしか見えなかった視線を、ちーさまが指差すのを追うように上へと上げる。

 首をいくらあげても終わりの見えない森。



「え……これ一本の樹……?」


「そうよ」



 事もなげに答えるちーさま。

 森に見えていたのは一本の大樹から生える無数の枝だった。

 枝のひとつひとつが、成木一本に相当する大きさ。


 想像を超えていた……いえ、端からトレントなど物語の中の話で実在すると思っていなかったのだ


 ちーさまはすぅーっと、深く息を吸い込む。

 大樹に向き直ると足を肩幅に開き、一声。



「ト レ ン ト さ まーーー!! ちーーーーーーーで ご ざ い まーーーーーーーす!!」



 先程までの余裕たっぷりの口調と打って変わって、声帯で出せる声限界で叫ぶ。

 後ろで聞いていた私は思わず耳を塞ぐ。


 反響が木霊こだまとなり、遅れて響く。

 それさえもやがて消えると、吹きそよぐ風以外には静寂となった。


 言葉が途切れる。

 返事は……無い。



「む。眠ってらっしゃるのね」



 反応が無いとみるや、すぐに踵を返す。

 切り替えの早さ、なんたるや。



「目覚めたら自己紹介しましょう。先にその人間じみた繊維の服を止めるといいわ」



 自身はともすると透けるのではないかと心配になるほど薄い生地の法衣ローブ

 ええ……誰もいないとはいえ、そんなの着るの……?



「御安心なさい、もっと上等なのを差し上げるわ」



 ちーさまに弟子入りし、親や人間社会と縁を切ったはいいけれど……、なんだかとても、苦労しそうな気がする……。

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私がドルイドになったワケ~宮廷魔術師見習いと思い出の薬草茶・檸檬硝子~ 霜月サジ太 @SIMOTSUKI-SAGITTA

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