敵意に晒されて

『もう一度、あの味を……』


 おばあちゃんの願いをかなえるため、幻の、自生する檸檬硝子レモンガラスを求めて家で同然で旅立って三日目……。


 その日の、ほぼ天頂に位置する太陽からの日差しを浴びるのにもうんざりし始めた頃。



「どうやら、あそこみたいだよ」



 そう言う片結びサイドテールのソラ君が指差す先――眼下は広大な森で、その中に一か所だけ樹が無く拓けているところがある。



「降り易くていいのですー!」



 合成魔獣ヒポグリフに乗った杏色二つ結びツインテールのリコットちゃんが弾んだ声を出す。

 どうしてそんなに楽観できるのか、呆れ半分、羨ましさ半分で、つい意地悪いこと――しかし本音――を言ってしまう。



「案外、罠だったりして……」


「オークルオードちゃぁん! こ、怖いこと言わないでほしいのです!」



 私の発言に警戒増し増し、涙目になるリコットちゃん。

 半分は冗談だけど、半分本気。


 噂を聞きつけてくる奴に限らず、空を飛んでいるものなら誰もが気にするであろうスポット

 敢えてそこに誘い込むことで、空からの侵入ルートは固定できる。

 招かれざるものを排除したければ、それは守る側にとって好都合だろう。



「ただの考えすぎだといいけれど……」



 拓けたところに着陸する。夏らしい鮮やかな緑が飛び込んでくる。


 行きの道程は順調だった。怖いくらいに害を為すものには遭遇せず平和に飛び続けることができた。ひたすらに進んだことで三日目の昼前には森に辿り着けたのは幸いなこと。



 降り立った森は夏にしては爽やかな気候に感じ、静かだった。

 ヒポグリフを木陰で休ませる。

 その大きな体にもたれるように、私たちも座り込んで休息した。


 天からの陽光がおだやかで、木々の立ち並ぶところではやわらかな木漏れ日が差し込んでいた。



「ウサギだ……」



 ソラくんがぽつりと呟く。

 跳ねるように走る、耳の長い白い毛皮の持ち主……ウサギたちは遠巻きにこちらの様子を窺っているようだった。



「あ、リスなのです!」



 リコットちゃんが木の上を指さす。

 幹に作った巣穴に出たり入ったりせわしなくしている。



「あら……、賑やかにな声が聞こえると思えば、かわいい侵入者さんね」



 どこからともなく声が聞こえたかと思うと、樹の陰から……いや、樹の前から突然。

 細身長身の人影が姿を現したのだ。



 ◇



「それで、わざわざこんなところにまでお子様だけで来たわけ……? 王都から?」



『精霊の森』に辿り着いた私たちの前に立つのは、独特の尖った耳を持ち、細身かつ長身で容姿スタイルよく、整った顔立ちの耳長種エルフ


 透き通るような肌はもちろんのこと、髪もうっすら緑がかった白色と色素が薄い。

 対照的に吸い込まれるような深い深い千歳緑ちとせみどりの瞳が際立ち、うっとりと見惚れてしまうほどの、神秘的な雰囲気を纏っている女性。


 実際に身にまとっているのは生成きなり色の“布”と言われてもおかしくないほど薄い法衣ローブだ。

 肌がそれほど見えているわけでもないのに、女の私でも、ちょっと目のやり場に困る……。

 そんな彼女は呆れた様子で私たちに話しかける。



「人間ってつくづく……。ま、いいわ。ヒポグリフなんて初めて見たけど、それほどあなたたちに懐いているわけだし。森の動物も警戒しないみたいだから、悪意はないとみて見逃してあげる。用が済んだらさっさと帰って頂戴。人手不足だから余計な仕事はしたくないの」



 彼女はこの森の番人だという。

 関わりたがらない冷たい瞳でこちらを一瞥、立ち去ろうとする背中に私は声を掛けた。



「……あの、檸檬硝子レモンガラスの花を捜しているのですが」



 女性の、長い耳がぴくり、と跳ねる。振り返らないまま答えが返ってきた。



「無駄よ。あんな壊れやすいもの、持ち帰れるわけないわ」



「御存知でしたら分けていただけませんか!? お願いします!」



 間髪入れずソラ君が頭を下げる。

 彼にそうしてもらう義理なんてどこにも無いのだけれど……。



「……人間はろくなことに使わないもの」


「お願いしますなのです! オークルオードちゃんの……おばあちゃんの為……なのです! 最後に……最後に思い出の一杯……を届けて……ヒック……あげた……いのです……ヒック」



 言いながら頭を下げるリコットちゃんは既に半べそかいていた。

 どうして、どうしてそこであなたが泣くのかしら……。



「以前ここから分けていただいた株を使って栽培しているというところを訪ねました。でも、自然に育てるべきところを欲に目がくらんで効率化を目指し、人工的に魔力注入を始めてしまったそうです」



 ソラ君が経緯を語る。



「味が落ちてしまい後悔しているけど、それでも需要が多く止められないと。自然に任せた栽培では価格が吊り上がってしまい本当に欲しい人のところに届けられなくなると。それで、口止めをされていたけど、と精霊の森ここを教えてくれました。消えかけている命に、最後に思い出の味を届けてあげたいんです! お願いします!」



 ソラ君……。


 赤の他人の私のために、会ったことのないおばあちゃんのために、なんでそこまで……



「ふうん……。 想い出……、ねぇ。最後の一杯?」



 かくかくしかじかと説明すると、長耳種エルフは目を細め、少しだけ口角を上げる。

 何かいい悪戯を思い付いたかのような、うっすらとした笑みが気になった。



「お願いします!」


「お願いしますなのです!」



 私のことなのに、他人事のようにやりとりを眺めていた。

 どうなってもいい、なりふり構わないと決めた覚悟を冷たくくらい瞳で潰されていたけれど、必死に頼み込む二人の姿を見て、私はようやく口を開く。



「お、お願いします……。ただで、とは言いません。人手不足なのでしたら……その対価の分、いえ、それ以上でも。ここで働きます……!」


「オークルオードさん……」


「元々、そのつもりでした。勝手なこと、バカなことをする大人をたくさん見て。人間の世界に嫌気が差しています。ここで命を捧げても構いません」



 底の知れない千歳緑の瞳を真っすぐに見つめ、私は言う。

 二人はそれを静かに聞いてくれている。


 怖くて仕方が無いのによどみなく言葉が出てきたのは本心なのか、はたまた知らぬうちにあの深淵の瞳で操られていたのか。



「……言ったわね。そしたら、貴女、私の弟子になりなさい。この森を守る手伝いをしてもらうわ」


「……!」


「どうしたの? 何を躊躇うの? 命を捧げても構わないのでしょう? ただ一瞬で命を奪うより、一生苦しみ後悔する選択をさせるほうがずっと面白いわ」


「と、突然すぎるのですっ!」


「彼女はまだ学生で、優秀ですから将来の選択は他に「いいから!」」



 長耳種エルフの提案を必死に止めようとするソラ君とリコットちゃんに対して思わず叫んでいた。

 やめて。冗談じゃないわ。取り下げるなんて格好悪すぎるじゃない。

 これ以上言わせないで。泣いちゃう。



「……! オークルオードちゃん……」


「……わかりました。家を……家族を捨てます」


「なら、話が早いわ。すぐにでも用を済ませて頂戴。気が変わったと逃げられてはたまったものじゃないわ」



 庇ってくれた二人の発言を遮り、私は勝手に決断した。

 絶好の機会でもあった。あんな家に、あんな両親に縛られるのはまっぴらよ。



「風の精霊の力で貴女の望むところまで運んであげる。片道三日もかかるのでは檸檬硝子レモンガラスも割れてしまう。それに、人間は約束を反故にしかねないもの。時間は出来るだけかけないほうがいいわ。その代わりに……人質を取らせてもらうわ」


「人質……!?」



 物騒な言葉に戸惑う。



「そこの綺麗な顔のキミ……」



 長耳種エルフがそう言い視線を向けると突如、ソラ君が膝から崩れ落ちた。

 リコットちゃんが駆け寄る。


「ソラぁぁ!!」


 震える声で名を呼び、体を揺らし頬を叩くがソラ君は眉一つ動かさない。



「お、お……、お、オークルオードちゃん……! ソラが、ソラがぁぁっ!」


「ふふ。彼の周りの空気を奪って気絶させたのよ。今日のうちに帰路に着かないと、精霊が彼の周りの空気を奪い続けて窒息させてしまうかもしれないわね? 二つ結びのお嬢さん、貴女はここに残って、そうやって彼を抱いていればいいわ。ふふ……」


「な、な、な、なにを!」



 リコットちゃんの濡れた瞳に怒りの色が浮かぶ。楽観だけが取り柄だと思っていた彼女から、こんな殺気が放たれるなんて!

 いけない。手を出してはいけないわ……!


「リコットちゃん、落ち着いて。ソラ君は気絶させられただけ。……けれど、侮ってはダメ。出し抜こうなんて考えてはいけないわ。きっと、私たちよりすごく強いもの。すぐに戻ってくるから、ソラ君のこと、お願いね?」


「で、で、で、で、で、でも……」



 殺気が収まったと思えば、今度は震え、大粒の涙を零す。そんなリコットちゃんの手を私は両手で握って一度深呼吸をさせる。

 気が動転しているのは私も一緒だから……



「しっかりするのよ、リコット」


「オークルオードちゃん……」


「『なのです』忘れてるわ。慌てすぎ。」


「あ……」



動転してもっと大事なことが起きているけど、それは……まぁ今は見逃してあげる。

落ち着いたら揶揄からかってあげようかしら。



「とにかく。急いで行ってくるから、待ってて」



 こくこく、と頷くリコットちゃんの、握る手に力が込められた。

 大丈夫、と私も強く握り返す。



「気を付けて……なのです」



 小さな手を離して立ち上がり彼女の髪を撫でる。



「早くしてくれるかしら」


「どうぞ。支度は整いました」



答え終えるのが早いか、私の体がつむじ風に包まれた。

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