出発は真夜中に

 夜更けに我が家の敷地へ潜入してきたリコットちゃんとソラ君、二人によって私にもたらされた檸檬硝子レモンガラスが自生していると記された場所。

 そのメモを眺めながら頭の中を巡るのは久しぶりに合わせた顔、交わした視線と、言葉。


 ほんの数瞬だったはずなのに、愛おしい時間は長く感じた。

 早く退散してとあおりつつも、行かないでほしいと心の中では叫んでいた。

 一緒に……一緒にいたいよぉ。


 それにしても二人の行動力と言ったら肝を冷やされる。

 敷地内に入り込んだと知られたならただじゃ済まされないだろうに……子供だけで来るなんて……。

 いや、大人と居ても潜入しちゃダメだけど。

 正面から逢いに来ても追い返されると見越してなのか……もしかして、もう来ていたのかもしれない。

 来客を冷たくあしらって私には何一つ教えないなんて失礼なことも、父様母様ならやりかねないわ。


 心ここにあらずの状態から現実に引っ張り戻すため、机の上の冷めきった紅茶を一啜り。

 口の中に広がるほのかな渋みを味わいながら改めてメモを見る。


 それは私たちの住む王都から伸びる街道をずっと進んだ、峠道が走る山のふもと、「精霊の森」と称されるところだった。


 地図で見たその場所へは、簡単に行ける距離ではない……。

 それに比べればこの間行った檸檬硝子の菜園なんて目と鼻の先。


 精霊の森はずっとずっと遠く、陸路はおろかほうきまたがって飛んだとしても、往復で七日……それ以上か。


 七日なんて、そんな長い距離を行けるのか、私たち子供だけで。

 途中で魔物や野盗に襲われるのではないか。

 この間の菜園でも、ヒポグリフが農地を荒らす魔物だと勘違いされて敵意を向けられ、怖い思いをしたばかりだ。

 それに、本当にそこに檸檬硝子レモンガラスるのか――。


 探しに行こうと前向きに考えられず、何日も何日もずっともじもじする日が続いた。

 両親への言い訳も浮かばなかった。七日間も子供が留守にする最もらしい理由なんか......。


 二人が計画を提示してくれたけれど……私は失敗することばかり考えてしまい、尻込みしていた。

 よぎるのは不安ばかり。


 私は決断を恐れ、いつも迷ってしまう。


 そんな私のことを、二人は急かすことなく待ってくれていた。

 親に従い勉強している姿勢を見せなくてはならないから放課後一緒に過ごすことはできなかったけれど、学園への通学中や昼休みなど、事あるごとに私を見つけては声を掛けてくれていた。


 七日の旅をできるか分からない、でも……。


 二人が――ソラ君とリコットちゃんがいるなら、やってみたいと思う気持ちだけはどうしても消えなかった。

 一緒なら、怖いことも苦しいことも乗り越えられるかもしれないって。

 こんな縛られる生活が続くくらいなら、いっそ飛び出して、盛大に失敗しちゃえばいい。

 どうせ親の期待通りになんてできっこないんだから。

 魔物に襲われて死んじゃってもいいとさえ思い始めていた。


 それに……、それに万が一、おばあちゃんの為だったら、もしかして父様も母様も理解して送り出してくれるかもしれない……。


 病気が一向に良くならないおばあちゃん。

 想い出の檸檬硝子レモンガラスのお茶を飲むことが出来たら、少しは元気が出るかもしれないもの。

 だから、わずかな期待にかけて探しに行くのを、父様も母様もきっと応援してくれるよね……?


 そんな私の淡い期待は、両親に話を切り出した時点で見るも無残に砕け散った。



「泊りがけで旅行に行くなんて、何を言っているの? 成績が落ちたばかりじゃない。オークルオードが安定して好成績を取り続けることが、おばあ様の安心に繋がるのよ」


「遊び惚けた結果起きたことに、全く反省しておらんのだな。夏休みは毎日補習ができるように先生方の予定はもう組んでもらっておる」



 母に、父に。頭ごなしに否定された。


 勉強は一度失敗したから今こうして頑張っているのに。

 おばあちゃんが私の高成績を望んでるなんて、普段見舞いに行かない両親あなたたちがどうして言えるのか。


 病に臥せっているおばあちゃんを利用しているだけだ。

 反論したかったけど、私の話はそれ以上聞いてもらえなかった。


 だから、私は……。



 ◇



 それは、学園が夏休みに入った初日の夜更け。

 私は『檸檬硝子レモンガラスを探してきます』と部屋の机に書き置きを残し、誰にも気づかれないよう、我が家の二階にある自室の窓から箒で飛び立った。

 両親や家の者たちが『檸檬硝子レモンガラス』と聞いてピンと来るかどうかは知らない。

 どうでもよかった。


 二人とは事前にリコットちゃんの牧場で集合と打ち合わせておいた。

 少し肌寒いくらいの夜風が紅潮した顔に当たって気持ちいい。

 飛び出すまではしたけれど、見つからないか、追いかけられないかと不安が襲い掛かっては心臓が飛び跳ね背中や掌に汗をかいていた。


 厩舎の軒先で荷積みしているソラ君、リコットちゃん、合成魔獣ヒポグリフと合流する。

 此処で身支度を万全にして檸檬硝子レモンガラスが自生するという精霊の森に向かうのだ。

 空から降り立つ私を二人と一頭が迎えてくれる。

 リコットちゃんが腕を目いっぱいに上げ手持ちの灯りランタンを掲げて下降する私を照らす。



「えへへ~。オークルオードちゃん無事に出てこられて良かったのです~」



 だらしのない、緩み切った顔で私を見る。

 私もそんな表情で返したいけど、顔がうまく動いてくれなかったので、ついそっぽを向いてつれないことを言ってしまう。



「毎晩勉強しながら家の皆の動きを探っていたのよ。抜け出すのに苦労させてもらったわ」


「さすがだね」



 さらっと褒めるソラ君の言葉にこらえきれず、吹き出した。

 三人で笑いあう。

 鳴き声で参加するヒポグリフ。



「あなたも……久しぶりね」



 いかにも構ってほしそうに突き出してきたヒポグリフの鷲頭を撫でると、ヒポグリフも喜んでくれたのか目を細めてもう一啼き。


 前回出かけたときは彼の背中に乗せてもらったけれど、今回は長旅だから私が乗る代わりにたくさんの荷物を背負ってもらっている。

 ……頼りにしてるわ。

 求められるがままにたてがみと羽毛でふさふさの胴体を両手でたっぷりと撫でまわした。


 前回のお出かけの後、リコットちゃん一家総出でヒポグリフを大洗浄したそうで、ノミもすっかり居なくなり、本当なら背に乗ってもよかったのだけれどそうしなかったのは私の自尊心のせい。

 ――我儘ワガママと言ってもいいかもしれないわね。

 だって……、目の前で同級生に圧倒的な実力差を見せつけられて黙っていろって言うほうが無理ではないかしら。

 せめて肩を並べたい。だから長時間の飛行に耐えるべく集中力を鍛えたり、魔力の浪費を少なく効率的な魔力運用を理論から実践まで学び、実際の飛行訓練も繰り返した。

……試験勉強や、将来のための訓練と称して。



「じゃあ、そろそろ行こうか」



 合成魔獣ヒポグリフの背に積み込んだ荷物の再確認をし、リコットちゃんはおうちの人に出発を告げに行き、すぐ戻ってきた。

 リコットちゃんの弟フィグ君も付いてきたかったみたいだけれど、運悪く風邪ひいて寝込んでいるそう。

 ……残念ね。箒の後ろに乗せてあげてもよかったのに……。


 私はソラ君と同じく箒にまたがって。

 この日のために、たくさん練習したんだから。


 ――きっと大丈夫。飛べる。


 闇のとばりに星々をちりばめた夜空。月は低い位置にあって、ずいぶんと欠けている。


 夜中に出発するのは、人目に付きにくいから。

 昼間はどうしたって見つかりやすい。


 万が一見つかって連れ戻されては元も子もないから、多少の危険を冒してでも見張りの少ない夜のうちにできるだけ街から離れておきたい、という提案には賛成だった。

 ひっそりと街から出る道程ルートはリコットちゃんのお父さんが教えてくれたそう。


 気遣い無用、とのことでお礼の挨拶もしないまま、私たちは発つ。


 牧場を囲う森を助走がてら駆け足で抜け、頭上が開けたところで空へと上がる。

 最初にソラ君が飛び、周囲を警戒してくれる。

 大丈夫、と手振りで合図を受け取ると続いてリコットちゃんを乗せ大荷物を積んだヒポグリフも、助走の甲斐あり重量をものともせず飛び立った。


 最後に私も、箒をまたいで魔力を込めると、ゆっくりと上昇した。


 ソラ君の平気だという合図が変わらないのを確認し、軌道に乗り徐々に加速していく。



 待っててね、おばあちゃん。





 ……それにしても。

 ソラ君はいつも箒にまたがらず横乗りしてるけど、あれってバランス取りにくいのよね。

 飛ぶ練習の傍ら試してみたけれど、ちっともうまくいかなかった。


 彼は一体どんな訓練したのかしら……。

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